昭和ブルー 小学編
まさき博人
「マスジマ」
起立
『おはようございます』
着席
日直のボクが、皆に声を掛けました。
隣の席には、マスジマがいます。
小学六年の一学期、同じクラスのマスジマのことが、どうにも気になり始めていました。
黒目勝ちの大きな瞳、オカッパ、いつも短いスカートに黒いタイツを穿いている。痩せてはいるけれど、活発で元気いっぱいです。
ボクだけではなく、好きになるヤツは多いと思う。
そして何と、マスジマもボクのことを気にしてるぞと感じた時から、ますます気になって仕方がなくなっていました。
ボクの家から歩いてほんの一、二分、木造一戸建てのト営住宅に住んでいるマスジマとは、登校する時よく一緒になりました。
丁度、鉢合わせのようにピッタリと出会った時は、そのままふたり並んで普通に会話しながら学校に向かう。
でも、ちょっとでもタイミングがずれると、それが後でも先でもお互いの存在を意識し過ぎて近寄れずに、同じ間隔を保ったまま歩く。
他の子どもたちはそれぞれしゃべったり走ったり、ランドセルを背負って広い道の右側を進んでいきます。
住宅街なので車はあまり通りません。突き当たりの雑木林と畑の境い目にある八百屋さんのところを左に曲がる。おじさんとおばさんが野菜を並べながら、いつも優しい笑顔で「おはよー」と声を掛けてくれます。
今度は、駄菓子も売っている文房具屋さんのところを右に曲がります。畑の中の一本道。横切るモグラを見たこともありました。
ボクも通っていた左側の保育園を通り過ぎると、我らの第ヨン小学校が大きな木立に囲まれて待っています。
ボクたちの足で10分くらい、ずれた時はやたら長く感じるけれど、一緒の時はあっという間に着いてしまいます。
ボクたちのクラスは班に分けられています。六人で一つの班。学期毎に班長が選ばれて、その班長が副班長を指名できるのです。
班長は、自薦他薦の候補者をクラス全員の投票で決めます。ボクは立候補して選ばれました。
繰り返すようだけれど、
『班長は副班長を指名できる』
この特権を使わない手はありません。そこでもちろんボクは、マスジマを指名するのです。
他の男子にとって、ボクはイヤなヤツかもしれないけれど、そんなことにかまってはいられない。だって、遠足とか、社会見学とか、林間学校、臨海学校、修学旅行だって班毎に行動するのだから。絶対にマスジマとは同じ班にならなくてはいけないのです。
それに、一緒の班にならなければ隣の席に座ることはできません。教室で隣同士になれた時は、とってもシアワセなのです。
班を作る時には、机や椅子を教室の端に片付けて、班長副班長がそれぞれの場所に陣取り、そこで、担任のムラコシ先生の号令で、皆一斉に好きなところに集まります。班長の人気を計るみたいでちょっと怖い。当然六人以上集まるところも全然足りないところも出てきます。
ボクのところには十人以上集まってしまいました。これはボクの人気というよりマスジマの方だな、きっと。
ここからが、ムラコシ先生の腕の見せどころ男女の割合、活発な子、おとなしい子のバランスを見ながら、無理やりさを感じさせないでうまく調整していきます。中にはどこにも行こうとしない子もいます。そういう子はマスジマのような優しい、誰にでも同じように接することができる子がいる班に入れるようにしたりします。
ムラコシ先生は、若くてお兄さんみたいな先生。そして、ボクたちのことが大好きなんだと感じさせてくれます。クリスマス会をやったり、珍しく雪が積もった日には、授業を止めて雪合戦をしたり。はしゃぐボクたちを見てニコニコしています。
休みの日には、タカオ山やジンバ山にクラス半分くらいの参加者を引き連れて、山登りを教えてくれました。知らない登山者とすれ違う時に、コンニチワと挨拶するのも楽しい。
やらかした時があります。お調子者のボクと、もうひとりのお調子者のサトウが、登った時と同じ道を下山中に、ふざけてみんなより先にどんどん下りて行きました。どこかで道を間違えたらしく、見覚えの無い、車が通るような道に出てしまったのです。
「おい、こんな道あった?違うよね。」
「間違えた-」
ボクたちは急いで元の道に戻ろうと、今度は山道を駆け登りました。枝を掴み、岩を踏み、懸命に登りました。何とか見覚えのあるちょっと広めの道に出た。
「ここだ-、いくぞ-」
今度は、懸命に走り下りました。走ってはいけないと教わりましたが、少し暗くなってきたので許してください。
登山口まで下ると、ムラコシ先生とみんなが待っていました。叱られる!今までムラコシ先生に叱られたことも、誰かを叱っているところも見たことは無いけれど、今回ばかりは覚悟しました。
だけど、ハァハァ言ってるボクたちをムラコシ先生は叱りません。少し悲しそうな顔をして、ボクたちを抱きしめてくれました。ものすごく心配してたんですね、ムラコシ先生、本当にごめんなさい。
先生は、シュンとしているボクたちに、穏やかな声で、
「みんな、心配してたぞ、謝りなさい。」
そこでボクたちは
「ごめんなさい。」
と、みんなに頭を下げたのでした。
さて、学校での昼食は自分の席で食べます。その時に、みんなに一本づつちょっと薄い味のビン入り牛乳が配られます。
ボクたちが住んでいるこの町は、ムサシノの一角の新興住宅地。雑木林と畑、大学や高校、中学、小学校、そして保育園幼稚園も含めて学校が多く、遊興施設を制限された文教地区です。
隣の市は、競輪場や米軍基地、パチンコ屋や飲み屋さんが並んだ繁華街があって、とても金持ち。だから小中学校は完全給食なんだって。
それに比べて我が町はとても貧乏、昼食時にはこのちょっと薄い味のビン入り牛乳が配られるだけなのです。皆、弁当持参。
でも、こんなのは後からオトナに聞いたこと。ボクたちは、住宅地だけれど、まだまだバッタが飛ぶ空き地がいっぱい、カブトムシのいる雑木林があるこの町が、とっても好きなのです。
春も終わり、もうすぐ梅雨入りかなという日の昼下がり。そのちょっと薄い味のビン入り牛乳を飲みおわったら、空きビンをケースに戻さなくてはいけません。ケースは教壇の横にある。
ボクはマスジマに、
「そっちの方がケースに近いからボクのも持ってって。」
と、空きビンを差し出しました。
するとマスジマは、少しだけ教室の後ろの戸口の方に移動して、
「いえ、そっちの方が近いわ、アタシのも持ってって。」
と、空きビンを差し出すのです。
ボクは空きビンを持ったまま戸口まで行って、
「ホラ、そっちの方だよ。」
そしたらマスジマも空きビンを持ったまま廊下に出て、
「そっちの方よ。」
ボクは更にその先へ行く。
階段を下り、昇降口に行き、運動靴に履き替え、校庭に出て、少しづつ先に行っては先に行かれ、やがて校庭の隅っこ。塀は無いのでそのまま外へ出て、桑畑の中に入り、とうとう畑の向こうの家の垣根で行き止まり。
何やってんのお前たち、と言われそうだけれど、なんだか体がフワフワするようなうれしさを感じていました。
鬱蒼とした桑畑、静かです。むせるような植物の匂い。
笑い合っていたふたりは黙り込みました。
微かな風に擦れ合う葉の音と、小走りして来たふたりの少し荒い息づかいだけが聞こえます。
お互いをまともに見ることができなくなっていました。
ボクは耐え切れなくなって、マスジマをひとりそこに残し、走って教室に戻ってしまいました。
この胸のドキドキは、走ったためなのか、いや、それだけではないことを気付いている自分を、どうしたらいいかわからない。
右手には、ちょっと薄い味のビン入り牛乳の空きビンが一本、まだしっかりと握られていた。
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