第51話 はたすべき役割
間もなく、パーティの後半が始まった。壇上に立った桐原さんが歓談の時間をアナウンスしていた。
お座敷だった会場はあたり一面から座席とテーブルが撤去され、会場だった和室から外の洋間まで、広い空間がそこにはあった。
現在夜の九時。俺と椿、紅葉ちゃんの三人は歓談に華を咲かせる来客を避けつつ、夫人を捜した。なお、椿の父である神原柳氏も会場にいるだろうが、俺たちは柳氏を完全に無視していた。見つかったら紅葉ちゃんを連れ戻すことはわかりきっている。それをするくらいなら、堂々と探偵業務を遂行したほうが逆に動きやすくなる。
俺たちが捜している人はすぐに見つかった。
梔子萌夫人は窓際で主人の喜之助氏や子供たち三人、そして執事の桐原さんとともに何か話していた。
だが、俺たちが近づいてみるとそれは相談をしているというより、揉めているようだった。
萌夫人の叱責が飛ぶ。
「
母親の叱責に対し、清介はどこか涼しい顔をしていた。
「どうだか。少なくとも兄さんよりはおふくろの意に沿えていると思うぜ」
「“おふくろ”なんてはしたない言い方しないの。小説家になるなんて夢見てないで、勉学に励みなさい! 今からでも勉強すれば東京の大学に編入できるでしょう!」
「勉強勉強って……人には得手不得手があるんだよ。おれはやりたいことがあるの。自分の意思で小説家になろうと思ったの」
説得するかのように語気を強める清介。
だが、母親は一歩も
「強がりを言うんじゃありません! 男はどっしりとした芯の太さがないといけないの。度胸のなさを、自分の意思と言い張ってるだけじゃないの!」
「だから、おれは小説書くのが好きなんだって」
「貴方の好き嫌いを訊いていないの! 梔子家の、ひいては社会の役に立つことをしなさいと言ってるのです!」
「好き嫌いって……、それで決めちゃダメなのかよ!」
「駄目です。梔子の名を汚さないで
息子の意思を全否定するかのような発言が飛び出す。
思わず俺は心が締め付けられた。まるでいじめじゃないか……。
「……やめて」
か細い声が聞こえた気がした。紅葉ちゃんが椿の陰に隠れて目を強く閉じていた。
「息子さんにそこまで言うなんて……毒親じゃない……」
椿も目をそらせて、見たくないと強く意思表示していた。
ふたりとも、自分たちと柳さんとの関係を重ね合わせているのだろうか。
よく見ると、隼人の身体が震えている。落ち着いていない証拠だ。
「ああ、もううぜえ! おれは何のためにおふくろに絶縁宣言したかわかってないだろ?」
「絶縁宣言? ああ、あの手紙のことかしら? あんなの無効に決まってるじゃないの」
「……どうしたんだよ、紙を……」
清介さんのわなわなと震える声をよそ目に、萌夫人は当然でしょとでもいうような顔をしていた。
「ああ、捨てましたわ。必要ないでしょ、そんなもの」
「……おふくろ!」
何かこみ上げる者があるのか、清介さんはこぶしを強く握った。目を強く閉じ、気持ちの高ぶりを押さえているようだ。
あたりに緊張の糸が張り詰めている。近くにいる俺も心臓の拍動が早くなる。
「何」
冷たい萌夫人の一言がさらに緊張を高めた。糸が切れたら、間違いなく何かが起きる。
家族間のこととはいえ、出るべきなのか……。萌夫人は、何者からか殺害予告の脅迫を受けているのだ。
失礼承知でもこれは仕事。
だが、同じことを考えていたのは俺だけではなかった。
椿の足が動き出していた。
「お、おい椿!」
俺の呼びかけに目もくれず、椿は清介と梔子夫人の間に入った。
「
あえて全員に聞こえるような大きな声で、椿は言った。
「捜しましたよ……」
「……あら、神原さん」
「ご無事でよかった」
「……」
呆気にとられる夫人に、その場にいた子供たちや旦那も呆然としていた。
「私たち、必死で捜してたんですよ。あなたの命を狙っている人がいるのに、一人で行動されるのは危険すぎます」
「……そう、でしたわね」
梔子夫人は袖からハンカチを取り出すと、額の汗をぬぐった。
だが、清介はすぐに椿に詰め寄ってきた。
「おいおい、いきなり部外者が首突っ込んでるんじゃねえぞ」
「あら、ごめんなさい。でも、私もお仕事ですので」
椿は詫びるような表情を見せず、毅然とした表情を清介に向けていた。
「仕事?」
「私はあなたのお母様に依頼された探偵。ときわ探偵事務所の
そう言って探偵事務所の名刺を差し出す。
「た、探偵⁉︎」
「私には、お客様からの依頼に応じる義務があるのです」
声を上げる清介。話を聞いていた喜之助氏や姉の綾乃、兄の隼人や桐原さんも驚きの色を隠せない。
お、おい椿、素性を明かしてもいいのか⁉︎
俺の緊張と戸惑いの数値が一気に上昇する。なぜか額から汗が出てきた。
立ち止まっているわけにはいかない。俺は急いで椿のもとに駆け寄り、そっと耳打ちした。
「なあ、俺らのこと話していいのか?」
「こうなったら仕方ないでしょ。目の前に犯人がいるかもしれないし、あんな言い争う状況、いつまでも放っておくわけにはいかないわ」
「そうだけどよ……」
「もう、ぶつぶつ言わない! ここは私に任せて」
椿には何か考えがあるらしい。
その様子を見ていた清介が怪訝そうに顔をしかめた。
「なあ、お袋に依頼されたってどういう話だよ」
「あなたは、お母様が脅迫状を受け取ったことはご存じですか?」
その言葉を聞いて清介は一瞬固まった。
「き……脅迫状?」
「二週間前に誕生日のこの日、あなたのお母様の命の狙うという殺害予告があったんです。私たちはお母様から依頼を受け、脅迫状の送り主を捜すためにここに来た」
椿の言葉を棒立ちのまま聞いている清介。
周りにいる者たちも固唾を呑んでそれを見守っているようだ。
「もしよろしければ、知っていることをお話ししてくれませんか? あなたも話は聞いてるでしょう」
「……」
清介は何も言わない。ただ、口元がわなわなと震えている。
彼から言葉が放たれたのは、次の瞬間だった。
「え、そうなのか? は、初めて知ったぞ?」
清介の目線が上の空を向いている。家族の一員だし、誕生会に際して連絡を取り合っているはずだから、全く知らなかったわけではないだろう。清介は明らかに何か隠している。
「本当ですか?」
「本当だって! 二週間前は福平にいたんだよ! 話を聞けるわけないだろ?」
「何処にいたかは重要じゃありません。話なんて、電話でもSNSでもできますからね」
「はあ?」
清介の声が早くなり、感情的になってきている。視点も合っていないし、瞬きも多い。
俺は、清介が明らかに嘘をついていることを感じた。父さんが話してくれた自慢と、大学での勉強の知識がここで生かされてしまった。
「まさか、お前、おれがかおふくろを脅迫したと疑っているのか?」
「証拠もないのに疑えませんよ。情報提供をお願いしてるんです」
「……あっそ」
そう言って清介は口を噤んだ。その場に沈黙が走る。
――呆れたぜ。じゃあおれは帰るわ
何か吹っ切れたような声がその場に響いた。清介は肩を落とし、手をズボンのポケットに突っ込んでいた。
「ああ面白くねえ。おれも執筆しなきゃならんし帰るわ」
「待ちなさい! 清介!」
萌さんが止めようとするが、清介はそんな言葉も無視して会場から出て行った。
「萌、落ち着きなさい」
喜之助氏が萌さんを制した。喜之助氏は萌さんの肩をつかんで、諭すような表情になっていた。
「ですが……あなたもあなたですよ。子育てには無関心で仕事ばかりで……。あなたにも責任の一端があるのですよ?」
「その話は後でもいいだろう。今は落ち着くんだ」
しかし萌さんのイライラは煮え切らない様子だった。そして、彼女は後ろにいた長女の綾乃さんに指示を出した。
「綾乃、清介を連れてきて頂戴」
「はい」
綾乃さんは心配そうな面持ちであったが、母親の指示に何かを決心した顔になると、会場の外に出て行った。
一難は去ったがまた新たな一難が生まれようとしていた。
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