第49話 ふたりの思い出
暗い部屋の一室で、その受け渡しは行われていた。
白い装束を身にまとった二人がテーブル越しに顧客と対面していた。
――それで、例の薬は準備できたのかしら
――はい、ここにございます
白装束の一人である若い男は二種類の錠剤をテーブルの上に置いた。一つは白の錠剤に水色の鳩のマークが表示されたもの。そして、もう一つは白い錠剤に黒い鳩のマークがあった。
――この薬は梔子様の御子息の夢を叶えることをお手伝いできる、世紀の発明であると自負しております。一瞬にして、人生をやり直せる……
――本当なのね
――はい。これまでも数ある治験により効果が実証されております
男は別の資料を取り出して説明を始めた。顧客は、食い入るようにその説明を聞いていた。
顧客の願いと欲求が、悲劇を呼ぶとは知らずに。
***
自由歓談の時間が始まると、俺は椿から送られたSENNのメッセージを頼りに椿と合流した。二人ですぐに控室に向かい、紅葉ちゃんのもとに戻る。パーティ中に事件が起こらなかったのは幸いだった。
紅葉ちゃんは控室で一人取り残されており、スマホをいじりながら時間をつぶしていた。しかし、紅葉ちゃんは俺と椿に気が付くと、スマホを置いて駆け寄ってきた。
紅葉ちゃんはうっすらと涙を浮かべていた。
「お姉ちゃん……!」
「紅葉……。一人にさせてごめんね」
姉の椿はしゃがんで紅葉ちゃんを抱きしめていた。
「お父さん……ひどいよ……。お前は人前に出てはいけない。この部屋から出るなって……」
祝賀会が始まる前、父親や姉とともに会場に行こうとした紅葉ちゃんを、柳さんが立ちふさがるように押しとどめたという。幼児化してしまった紅葉ちゃんを人前に出すわけにはいかない、というのが柳さんの一貫したスタンスだった。由緒ある神原家に悪いイメージが付くことを恐れての行動だと椿は話していた。
「娘に対する愛情なんてこれっぽっちもないのよ、あいつ」
「俺が言う立場ではないけど、親としての気持ちとか、責任が欠片もないんだな……」
他人の家族を批判するのは憚られるが、柳さんの娘に対する仕打ちはしつけの範疇を大きく逸脱している。
椿は一つため息をつくと、俺の言葉に続けるように話した。
「これなんていうんだっけ? モラハラ?」
「そうだと思う。紅葉ちゃん、よく耐えられたなあ……。柳さん、子供への接し方を考え直したほうがいいよ」
「リツに言ってもらえると、少し嬉しいな。うちの事情なんて、他人に言えるようなものじゃないもん」
「……」
その一言に一瞬、俺の顔が熱くなった。
「……リツさん、ありがとう」
「い……いや、それほどでも……」
苦笑いして、なぜか頭が痒くなる。それを見た椿が不思議そうに俺をのぞき込んだ。
「リツ、大丈夫? まさか、熱でもあるの?」
「い、いや……」
ちらりと椿から目をそらす。逸らした視線の先には紅葉ちゃんがいた。俺の身体は硬直していたが、それは紅葉ちゃんにとって、俺が紅葉ちゃんをじっと見つめているように見えたらしい。
「ん? リツさん、どうしたの?」
今度は紅葉ちゃんに姉と同じ顔をされた。
「わたしの顔に何かついてる?」
「いいいいい、いや、なにも……」
しかし姉の椿はにやにやしているようで、俺の肩を肘でつついた。
「ねえ、まさかリツ、紅葉に気でもあるの?」
「え……」
そんなわけねえだろ! 紅葉ちゃんは女子高生とはいえ、いや、どこかの漫画の主人公は女子高生は守備範囲外だとは言ってたが、俺にロリコン趣味はない! 気があるのは……お前のほうかもしれない……。
脳内で必死で否定するも、口から言葉は出ずに顔色に汗が滲み出る。
椿はさらにからかってきた。椿はニヤニヤしながら、俺を指差す。
「マジ? あんた、まさかロリ……」
「ち……、違うわっ‼︎」
思わず大声を出してしまった。
椿も、紅葉ちゃんも驚いた様子で俺を直視する。
空気が気まずいことになっているので、俺はすぐに謝罪した。
「すまん。熱くなっちまった……」
「いや、悪いのはこっちだから……。私こそごめんね。あなた、紅葉見て笑ってたから……」
「大丈夫。俺にそんな趣味はない」
俺は後ろめたくなり、椿から視線を話した。椿も同じ気持ちなのか、俺に背を向けた。
しばらく控室には沈黙が流れていたが、椿の声に俺はハッとした。
「そ……そうね。リツは大人だからね」
「……大人でなくても、それなりに精神が成長していれば、リアルな女児に手を出す奴なんかいないと思うけど」
「ははは……」
椿は思わず苦笑いしていた。
俺もそれを見て少し顔の緊張が徐々に和らぎ、なぜか笑顔になった。
「……何か嬉しそうだけど、どうしたの? なんかキモいんだけど」
「いや、いつ以来だっけな、こんな冗談で馬鹿なことしたのって」
不思議そうな顔をする椿に、俺は高校時代までの日々を重ねていた。
確か、椿や同窓会事件の
俺はそのことを話すと、椿も同調してくれた。
「もう数年も経つのか……。俺たちって全然変わってないよなあ」
「ふふっ。そうかもね。またこんなことするのも楽しいよね」
椿と勝手にしんみりしていると、くすくすと軽やかな微笑が聞こえてきた。
笑い声の方向に顔を向けると、紅葉ちゃんが手に口を当てて穏やかに笑みを浮かべていた。
「やっぱりお姉ちゃんとリツさん、仲いいよね。仕事仲間を超えて、プライベートでも付き合ってもいいんじゃない?」
その一言に俺はぽかんと口を開けた。横目に見えた椿も同じようだった。
椿は顔を真っ赤にしていた。
「も、紅葉、何言ってるの? リツとは幼なじみだけど、それ以上でもそれ以下でもないからね……? わ、私ならリツよりもっとしっかりした男性とお付き合いしたいし……」
ええっ……! 思わず声が出そうになった。
だが、よく考えれば至極当然なことである。あくまで椿は俺の能力を見込んで雇ったんだから……あくまで仕事仲間でしかない。
「そ……そうだよ紅葉ちゃん! 俺と椿はあくまで同じ事務所に所属する間柄だし……」
「でも、お似合いだと思うよ?」
上目遣いでにんまり笑う紅葉ちゃん。心中まで見透かされているようだ。そんな目で見られると言い返せない……。
「うぉっほん‼」
しかし、すぐに場の空気は椿の咳払いによって強制的に元に戻された。
「さて、さっさと脅迫状について調査するわよ」
椿の鶴の一声で、俺たちは梔子夫人の元に向かうため、身支度を始めた。
作戦会議は歩きながらでもできる。
でもよかった。このところ父親との確執で椿は元気をなくしていた。俺にとって椿が笑ってくれるのが、一番嬉しいことなのだ。
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