第56話:奈落
「返して貰おうか」
地下一階に下りて暫く進んだところで、スティアンがそう言った。
後ろはあの底なしの崖がある。嫌な気分だぜ。
「何を返せと言うんだい?」
アレスはあくまでも穏やかにそう返したが、顔は笑ってはいない。
その表情が奴の癪に障ったんだろう。
「何をだと!? この薄汚い泥棒どもがっ。古代獣を横取りしておいて、よくもぬけぬけと言えたものだな!」
……はぁ?
古代獣って、たぶんデンのことだろ?
いや横取りも何も、敗走したのお前らじゃん。
そりゃあ、こいつらが再チャレンジ前に俺とセシリアで倒してしまったが、デンは誰のものでもない。
むしろ本人は俺に倒されて喜んでんだけどな。
今はアレスたちがいるから大人しくしているが、時々その辺をふら~っと飛んでヘラヘラ笑っているのが見える。
今も紅の奴らの頭上で、呆れ顔で首を振ってるぜ。
「リヴァ、心当たりは?」
「ない──と言えば嘘だが、完全な言いがかりだ。確かに俺とセシリアの二人で古代獣を倒したが、その時その場にあいつらはいなかった。それって横取りとは言わねえだろ?」
「なるほど。君たちも古代獣を狙っていたが、この二人に先を越されてことに腹を立てているようだね。だが完全に筋違いというものだ」
アレスの言葉に少しだけ棘のようなものが感じられた。
理不尽な理由で仲間を脅迫されているんだ。彼も気に入らないのだろう。
ほんと、巻き込んで悪いと思ってるよ。
「な、なんだと! 僕らが先に古代獣と戦っていたんだ! 役立たずが二人死んで、立て直すためにスティアン兄さんたちの到着を待っていただけだ!!」
「つまり敗北したからその場を離れた。その間にリヴァ殿とセシリア殿がたった二人で、その古代獣を倒したという訳だな」
「そう言っている! だから横取りだと言っているんだ!」
ディアンの言葉に、確かバーロンだったな、あの馬鹿弟がムキになって声を荒げる。
あいつ、自分たちは俺とセシリアの二人より弱いですって認めてんの分かってんのかな。
「モンスターは等しく誰のものでもない。たとえ第一発見者であろうが、力不足で撤退したのならその時点で放棄したも同然。その間に第三者が現れて獲物を倒そうが、それは当然の権利であって咎められるものではない。冒険者であれば当然知っていることだと思ったが」
ディアンがやれやれといった顔で紅の旅団一行を見下ろす。
長身で体格もいい彼に見下ろされ、若い連中は萎縮した。
それがスティアンには気に入らなかったのだろう。
奴は突然剣を抜いた。
「たかが冒険者風情が、侯爵家の者を愚弄するのか!」
「おやおや、これは異なことを仰る。貴殿もその冒険者ではなかったのか?」
「くっ。もういい! お前たちにはここで死んで貰う。女二人は我々のクランへ丁重にお迎えしよう」
「おいおい、殺しはご法度だって知らないのか? それともお貴族様だけ、殺人も許されるっていうのかよ」
「その通りだ」
おい、マジかよこいつら。本気か?
ちっ。面倒くさいがいったんこの場から離れるか。
ダンジョン内では転移の指輪は使えない。なら──
「あっツ」
ポケットから機関の指輪を取り出そうとしたところで、突然腕に電気が走った。
その拍子に指輪を落してしまう。
「それは帰還の指輪か? くくく。恐れをなして逃げ帰ろうとでも?」
「そうはさせん。お前はここで死んで貰う!」
「スティアン・フォルオーゲスト! いい加減にしたまえ!!」
スティアンが剣を振り上げたその時、アレスが俺の前に立つ。
くっ。馬鹿野郎! 奴の動きを止めらないじゃねえかっ。
アレスを押しのけようと肩を掴んだが、奴の剣は目前──
「アレス様っ」
悲鳴にも似たキャロンの声と、そして真っ赤な血しぶき。
「キャロン!?」
「落ちろっ」
アレスの声とスティアンの声とが重なる。
ダメだ。
俺のせいで誰かが死ぬなんて、そんなの絶対に!
「てめぇ! ぶっ殺す!!」
止まれ──。
瞬き一つ。
だが目に見えない力、魔法によってアレスの体は吹っ飛んだ。
馬鹿弟か!?
「アレェーッス!!」
伸ばした手は確かにアレスを掴んだが、同時に俺の足は宙を飛んでいた。
「だめ、リヴァッ」
「女を止めろ!」
身をひるがえすと、叫ぶバーロンと俺たちを追って地を蹴ったセシリアが見えた。
その後ろで傷ついたキャロンを抱えたディアンの姿が見える。
「でんっ──アレス様!?」
「ディアンはキャロンを! 決して、決して死なせるなっ」
奈落の底に落下するってのに、彼女の心配か。
ったく、お前って奴は本当にいい奴だよ。
「嫌、嫌ですアレス様! アレス様ぁ!!」
漆黒の闇に包まれた底なしの崖。
落下する俺たちの耳に、悲痛な叫びをあげるキャロンの声が聞こえた。
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