杜舎
部屋は三つ隣だが、ちょうど間にエレベーターホールを挟んでいるので少し歩く。エレベーターの近くに来た時女性の話し声が聞こえたので反射的に足を止めていた。話していた内容からすると仲居だろうなと思ったからだ。なぜならアケビという単語が聞こえた。
「……ってるらしくて」
「本当? 馬鹿じゃないの、何考えてるんだか」
「昨日死んだ奴、専門学部じゃないけど確か民話とか調べてるって言ってた」
「じゃあ、あの学生たちもそういう集まりとか」
自分たちのことか。それしか考えられない。チーンと音がしてエレベーターが到着したようだ。
「それなのにアケビがどうの絵がどうのって話をするなんて。これだからモリヤは」
「そういえば、一人食べてない……」
そこで会話が途切れた。おそらくエレベーターの扉が閉まったのだ。エレベーターを見ると下に降りていく。
話を少し整理する。昨日死んだ奴とは間違いなく木村のことで、亡くなった、という言い方をしていないあたりはなんだか引っかかる。まるで何とも思っていないような、何なら迷惑だとさえ思っているようなぞんざいな言い方だ。
専門分野だと「思う」というのはどうせ酔った勢いや、いつもの誰にでも話しかける性格から自分のことをペラペラ話したのだろう。
いやそれよりも先程の話の渦中にいたのは香本に絵の話をしていたあの男性スタッフに間違いない。そして出てきたモリヤ、という苗字。一瞬守屋を言っているのかと思ったが話の内容から考えるに男性スタッフのことだ。
――でも、なんだろう。苗字のことを言ってるっていうには少し違和感がある。
これだからモリヤは。この言い方はモリヤ、の部分は人名よりも別の固有名詞の方がしっくりくる。例えば職業、出身が田舎や都会の場合も当てはまる。これだから田舎ものは、と言うような。そこまで考えてもしかしたらと思う
――モリヤって、地名とか?
早足に自分の部屋に戻ると、スマホでこの辺の地名を調べる。すると、この旅館がある場所はちょうど二つの町の境目にあることがわかった。旅館の住所は一応萱場だが、旅館から見える風景は全て杜舎郡となっている。住宅や土産物屋が並んでいるのが萱場、山がある方が杜舎。山が多い方にも民家はいくつかある、今の情報だけでも彼が杜舎出身なのではないかという憶測が立つ。
古い言い伝えなどを調べている自分たちにアケビの話をするなど、なんてバカなんだ。そんなふうに聞こえた。言い伝えに何か知られてはいけない事でもあるということか。
本当に今更だがこの旅館の人間たち何かがおかしい。人が死んでいるのに慌てている様子もないし、おかしなことを気にする。客の話は盗み聞きをするし……いや、これは自分たちがそういう研究サークルのメンバーだからというのもあるが。
何を警戒されているのか、何を探られているのか。もしかしたら自分が思っている以上にこの地域一帯のことを調べなければいけないかもしれない。何かとんでもないことがこの後起きそうな気がして、香本は眉間に皺を寄せた。
木村を殺した犯人は誰なのかもわかっていない。天井に血が飛ぶほど激しく刺殺されたのなら、よほど恨まれていたとは思うが。
守屋の部屋に戻って来ると守屋が朝食を運んでもらうように言ったから、と言ってテーブルの上を片付けていた。一般の部屋といってもツインルームくらいには広い、三人で朝食を摂るには十分だろう。警察官は相変わらず人形のように無表情で無口なので、そのまま放っておいている。
「久保田先生は?」
「部屋に戻った」
「梅沢、さっき写真って撮ったんだよね?」
「それがさあ。なんか仲居に怒られたから撮れてねえんだわ」
「え?」
香本と守屋が同時に声を上げた。怒られた? と守屋は首を傾げている。
「写真撮ろうとしたら、お客様写真はご遠慮ください、とか言って。凄い絵だから写真撮りたいんですけど、っつってもダメだった。神聖なものなので、とかなんとか。やんわり口調だったけどさ、なんかこう目が笑ってないっつーか。ちょっと怖かったからやめた」
「神聖ねえ。何か宗教みたいだね。香本君の時は嬉しそうにペラペラしゃべってた人いるのに」
「観光を産業にしてるなら、たぶん旅館の人はほとんどこの辺り出身だと思う。ここ出身の人はあの言い伝え、ありがたい話として崇めてるのかもしれない。男の人みたいに自慢したい人もいれば、土足で汚すなって人もいるんだろうね」
これだから杜舎は、という言い方をしていたとなると住む地域によって考え方が違う可能性はある。今後は杜舎出身者と、萱場出身者でわけて考える必要がある。
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