すなおはとつぜんにやってきて
フンス‼ と鼻息がきこえるようだった。
思わず
やっと退屈な古典の授業が終わって、んーーーっ、と大きな伸びとともに大口をあけていた世良(体は美玖)のもとへ、肩をイカらせたモカが近づいてきた。
(ただごとじゃねーな)
怒っているのだ、顔が。
そしてその怒りは、どうやら自分に向けられているものではない。
「ゆるせない! ゆるせないったらゆるせない!」
「ま、まあ……おちついてくれよ、モカちゃん」
「決めた!」と、世良に横顔を向けて遠くのほうをみた。「私、
なんでそんなことに……と、世良はプンスカ状態の彼女をみながら考える。
(えーと、こいつは橋のトコでおれに『悩みがあるの?』とか言ってたから……)
きっとそれだな。
で、「悠馬くん」ときたか。
あ。そういや、おれはモカに「やりまくり」みたいなことを言った気がする。
そのへんと〈悩み〉ってのを結びつければ――
「よぉ、モカ」
「とめないで!」
「かってに
「ヤ」ツインテールの毛の先が、わなわなとふるえた。「ヤリ……私のみくぴの口から……そんなお下品なおコトバが……」
「昨日もヤッたし、おとといもヤッたぞ。だからあいつに文句いう必要はねぇ」
「ヤらないでー!」
悲鳴のようなモカの声がクラスにひびきわたる。
ところで、ウワサというものは広がるのが早い。
10分後にはもう、となりのとなりのクラスまで伝わって、このことが〈彼〉の耳に入っていた。
(ヤッてる? おれと美玖が? そんなバカな)
あと数分おそかったら二人はすれちがっていたのだが、
「美玖。ちょっといいか?」
クラスメイトの男子に文化祭の演劇の台本を持ってこられて、世良は演じるロミオの役について説明を受けていたところだった。前のイスに、モカも横向きで座っている。
そこにやってきた、美玖が片思いする幼なじみ。
(げっ)
教室の入り口に、片手を壁につけて立っている背の高いイケメン。
きっ、と少し目つきを鋭くして。
その
くぃっ、とあごを動かして「こい」というジェスチャー。瞬間、小さな歓声がわいた。ドラマみたーい、というつぶやきもきこえる。
(――おいでなすったか。いいぜ。じゃあ、ケンカの第二ラウンド開幕といこう)
個人的にはこいつのことは嫌いだが、美玖はこいつに気がある。
ならば、なるべく好かれとくのが
それに美玖のツラで「きらい」って口走ったのは、正直、やりすぎたと思ってたところだ。
いいチャンスがめぐってきたぜ。
「おう!」
ひゃっ、というモカの表情が目に入った。
すぐにそでをひかれ――
「みくぴみくぴ。あんまり、その……男っぽいキャラは、悠馬くんにはウケが良くないかもだよ? もっと女の子女の子してたほうが……」
「そうだな。おまえのいうとおりだ」
くしゃっ、とモカの頭をさわる世良。
きゅん、とときめいてしまった。
日に日に「もしかしたら自分はみくぴのことを――」という想いをつのらせていることは、今は誰にも言えない。
(よし! こっから「おれ」ってのはやめて、女みたいにしゃべって、と)
世良は悠馬の前に立ち、むん、と胸をはった。
「私にご用かしら?」
「かしら? おまえらしくない言葉づかいだな」
うるせー、と世良は胸の中で毒づく。
「まあいいか。ちょっと、つきあってくれ」
「上等……じゃなくて、いいでしょう」
こういうんじゃねぇんだよな、と思いつつ、美玖のしゃべり方がうまくコピーできない。
仕方なく、世良はもっとも身近な女子である
(しかし、いいツラしてやがるぜ)
彼の横を歩きながら、ななめ下から顔を盗み見る。
シュッと鼻がたかく、シュッとあごが細く、シュッと切れ長の目。
髪は流れるようにサラサラで、ところどころ光が反射してキラキラしている。
自覚こそないが、世良は見とれていた。というより、美玖の体が彼に見とれ、こっそりと心拍数を上げているのだ。
「このへんで、いいだろう」
食堂。
放課後に、少しの間だけ喫茶店のようにつかえる場所だ。
オープンテラスの、はしっこの席に座る。
「どうした美玖。座らないのか?」
「ああ。私は立ったままでいい、の、です」
「違和感がある口調だな……。それ、なんかのあてつけか? おれに怒ってるのか?」
「べつに」
さっ、と悠馬が前髪をかきあげて言う。
「あのさ、まわりにウソを言いまわるのって、よくないと思うんだよな」
「あぁ⁉ ……いえ失敬。ウソと申されますと?」
「おれとおまえは何もしてない。ただの幼なじみだ。そうだろ?」
ぐふっ、とボディに一発いれられたような感覚があった。
おそらく「ただの」と強調するように言った、彼のせいだろう。
そういえば、と世良は思い出した。
(……こいつに告白したとき、ことわられて、涙が出たんだったな)
あれはたぶん、
今のも〈それ〉だ、きっと。
これはなんというか……変則的なケンカだな、と思ったとき、
「ん? 美玖、おまえのスマホか?」
ブレザーのポケットの中のそれがふるえた。
ふるえつづけているので、メッセージではなく電話らしい。
「あ、いや、なんでも。おほほ」
「出なくていいのか。ずっと鳴らしてるぞ? 緊急じゃないのか?」
世良は悠馬から見えない角度まで顔を横に向けて、舌打ちした。そして、こそっとスマホをチラ見する。
「っ! やっぱり、あのバカアフロか!」
「……? なにが『やっぱり』なんだよ? それにアフロって……?」
スマホをろくに目視もせず、世良は力任せに画面をタップした。2回。それが、どこでどうまちがったのか……
「美玖さーーーーん! 美玖さんってば、美玖さーん!」
実際にポケットの中に人間がいるかのような存在感と声量。
あ、と思ってももうおそい。
「ひどいじゃないですかーーー。ずっと待ってたんですよーーー!」
「待ってた? 美玖。これ誰だ?」
「いっしょにホテルに行くって言ったじゃないですかーーーっ!」
しっかり、悠馬はそのボイスを聞いてしまった。
どどど、と体の中に押し寄せてくるものがある。
目の前にいるのは、異性の幼なじみ。きょうだいのように、ともに幼少時代をすごした仲だ。
(バカな。あの美玖が……ホテル? 男と?)
悠馬には、つねに恋愛
ゆえに、〈そういうこと〉はいつすませてもいいと思っていたのだ。
むしろウカツに〈そういうこと〉をしたらウワサも広まるし、一人だけに縛られて恋愛が不自由になるし――美玖のことも多少は気になっているし…………。
はやい話、彼はまだチェリーだということだ。
(ヤバい。ヤバすぎる)
失ってはじめて気づくものがある。
幼なじみがほかの男と関係をもっていたことを知って、急速に、悠馬の中でNTRによる興奮が爆発していた。
が、
「最低だな、おまえは」
彼には強者のプライドがあるから、そうやすやすと
あくまでも、強気にふるまわなくてはいけない。NTRにハァハァしているのを悟られてはならない。
「はっきり言って、そこまで軽い女とは思わなかったよ。おれとヤッたとかって平気でウソまでつくし……」
と、悠馬が視線を斜め下に向けて静かに語っているとき、
世良はスマホを鬼の
(考えられねー‼
しかしながら、電話をかけてきた
世良が約束をすっぽかしたのは事実であり、目的地も〈廃墟のホテル〉だったからだ。
「きいてるのか、美玖」
「きいてるよっ!」
「なんだよ逆ギレとか……」悠馬は美玖のつぶらな
「はっ」世良にはもう、美玖を演じることなど頭にない。「デートしてやるだと? ツラがいいだけで調子にのりやがって。そんなもん、こっちから願い下げだよ」
「おれとデートしたくないのか?」
「するっ‼‼‼」
と、近くのテーブルの下から、突然イカつい男があらわれた。
世良(心は美玖)だ。
お祈りするときのように手を組んで、ランランとかがやいた目を悠馬に向けている。
のみならず、着ているのは学校の制服ではなかった。
(せ、世良センパイがいたのか……。しかも、セーラー服を着てる……うっ、この前の悪夢が……)
目を合わせないように下を向く彼からは、完全に血の
「ねぇ! はやく悠馬に『する』っていいなさいよ!」
「しねーよ」
あきれた目を、美玖に向けた。
「なんか疲れた……今日はもう帰るか……」ぐいっ、と自分の細腕で世良の屈強な腕をとった。「行こうぜ」
「あっ、ちょっ」美玖がこまった声をあげる。「デートが……デートがぁぁぁ……」
「それと、おまえな」腕をとっていないほうの手で、悠馬を指さした。「ジツのねーウワサっていうのは、自然に消えるもんなんだよ。いちいち気にすんな、わかるか? 男だったらよぉ、もちっとドンとかまえていけや」と、自分の胸をグーでたたく。
去っていく二人。我が幼なじみと、校内一の不良の背中。
(なんだよあいつ……男とホテルに行ったり、女ぎらいで有名なあの人と仲良くしてたり……)
彼女の存在を、位置的にも精神的にも遠く感じている悠馬だった。
はなれれば、追いたくなるのが恋の
(きょうだいみたいな関係が、おたがいキズがつかなくていいと思ってた――いや、そう思いこもうとしてたのかもな)
まだドキドキがおさまらない。
美玖の姿を、見えなくなるまで目で追いかけた。
その5分後、
「世良氏。調整の途中で抜けられてはこまる」
「ごめんごめん」背もたれも何もない、脚のひくいイスに座った。「じゃ続きをお願いね。
こくり、とうなずくメカクレの女子。
場所は家庭科室。
世良が文化祭でコスプレするセーラー服を仕立てているところだ。宇堂の仕事ははやく、もう完成が近い。
「……外が気になるので?」
「ん? いやいや、そんなことは」
気になる。
美玖は、外に世良を待たせているのだ。
「ところで宇堂ちゃん、さ」
「なにかな?」
「ヘンなこと聞くけど……私のこと、こわくない? ほら、今って密室に二人きりでしょ?」
「ご心配なく。警備会社直通の防犯ブザー持ちなのじゃ」
美玖が相槌を打つまえに、宇堂は言葉を足した。
「というわけもなく。世良氏に襲われたら、わたくしはひとたまりもないのじゃ」にっ、と宇堂の口元に笑みが浮かんだ。「だがその心配はない」
「えっ」
「世良氏は信用に値する」
「信用~? これが?」と美玖は世良の顔を指さす。「どうみてもヤカラじゃん」
「ヤカラにあらず。そして不良にもあらず。いうなれば、おぬしは哀しきモンスター。さしずめ、〈泣いた赤鬼〉の青鬼のほう。それぐらいの安心と信頼がある」
よくわかんないな、と美玖はその話はそこでやめた。
そこからマンガやラノベの話をしているうちに、とうとうセーラー服は完成した。
「世良氏、どうかな?」
「最高」ぐっ、と美玖は親指をたてた。「ほんと、このまま着て帰りたいぐらいだよ」
「通報案件」
「ははっ、そうだよね」
じゃあ、と校門の手前で宇堂とはわかれた。
(えーと……あっ! いたいた)
大きな桜の木。
そこに背中をつけて、立っている、
「おーい!」
「……」
腕を組んだ姿勢で、一ミリも動かない。
「起きてる?」
「……」
「寝てるの?」
「……」
少し下を向いた自分の顔を、下からのぞきこむ。
まぶたは、閉じられていた。
寝とる! とあきれる美玖。立ったままで熟睡? どんだけ器用なの?
「いっしょに帰って、私をまもってくれるんでしょ?」
「…………ぁ」
ふいうちは、ふいをうつから、ふいうちなのだ。
そんな当たり前のことを、思い知らされた。
ノーガードの心に、スマッシュヒットが入ってきた。
「美玖……おまえは……おれが、まもる…………」
赤面した。
こんなセリフは、片思いの悠馬に言ってほしいのに。
不良の先輩に言われても、うれしくないはずなのに。
美玖はスマホを手にとって、真っ暗な画面に自分の顔――不良の顔――を映した。
(……安心と信頼、か)
うん、とうなずくような仕草をした。
かすかにきこえる寝息。
数分後、彼がチャイムの音で目をさますまで、美玖はずっと映りこんだ
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