すなおはとつぜんにやってきて

 フンス‼ と鼻息がきこえるようだった。

 思わず世良せらのあくびも止まる。

 美玖みくの親友のモカに手をひかれて学校にもどってきたのは、六時間目の途中。

 やっと退屈な古典の授業が終わって、んーーーっ、と大きな伸びとともに大口をあけていた世良(体は美玖)のもとへ、肩をイカらせたモカが近づいてきた。


(ただごとじゃねーな)


 怒っているのだ、顔が。

 そしてその怒りは、どうやら自分に向けられているものではない。


「ゆるせない! ゆるせないったらゆるせない!」

「ま、まあ……おちついてくれよ、モカちゃん」

「決めた!」と、世良に横顔を向けて遠くのほうをみた。「私、悠馬ゆうまくんに文句いってくる!」


 なんでそんなことに……と、世良はプンスカ状態の彼女をみながら考える。


(えーと、こいつは橋のトコでおれに『悩みがあるの?』とか言ってたから……)


 きっとそれだな。

 で、「悠馬くん」ときたか。

 あ。そういや、おれはモカに「やりまくり」みたいなことを言った気がする。

 そのへんと〈悩み〉ってのを結びつければ――


「よぉ、モカ」

「とめないで!」

「かってに早合点はやがてんするな。べつに、こっちがヤリ捨てされたわけじゃねーんだからよ」

「ヤ」ツインテールの毛の先が、わなわなとふるえた。「ヤリ……私のみくぴの口から……そんなお下品なおコトバが……」

「昨日もヤッたし、おとといもヤッたぞ。だからあいつに文句いう必要はねぇ」

「ヤらないでー!」


 悲鳴のようなモカの声がクラスにひびきわたる。

 ところで、ウワサというものは広がるのが早い。

 10分後にはもう、となりのとなりのクラスまで伝わって、このことが〈彼〉の耳に入っていた。


(ヤッてる? おれと美玖が? そんなバカな)


 あと数分おそかったら二人はすれちがっていたのだが、



「美玖。ちょっといいか?」



 クラスメイトの男子に文化祭の演劇の台本を持ってこられて、世良は演じるロミオの役について説明を受けていたところだった。前のイスに、モカも横向きで座っている。

 そこにやってきた、美玖が片思いする幼なじみ。


(げっ)


 教室の入り口に、片手を壁につけて立っている背の高いイケメン。

 きっ、と少し目つきを鋭くして。

 そのけわしい表情がまた、放課後に居残る女子たちをキュンキュンさせた。

 くぃっ、とあごを動かして「こい」というジェスチャー。瞬間、小さな歓声がわいた。ドラマみたーい、というつぶやきもきこえる。


(――おいでなすったか。いいぜ。じゃあ、ケンカの第二ラウンド開幕といこう)


 個人的にはこいつのことは嫌いだが、美玖はこいつに気がある。

 ならば、なるべく好かれとくのがきちってモンだ。

 それに美玖のツラで「きらい」って口走ったのは、正直、やりすぎたと思ってたところだ。

 いいチャンスがめぐってきたぜ。


「おう!」


 ひゃっ、というモカの表情が目に入った。

 すぐにそでをひかれ――


「みくぴみくぴ。あんまり、その……男っぽいキャラは、悠馬くんにはウケが良くないかもだよ? もっと女の子女の子してたほうが……」

「そうだな。おまえのいうとおりだ」


 くしゃっ、とモカの頭をさわる世良。

 きゅん、とときめいてしまった。

 日に日に「もしかしたら自分はみくぴのことを――」という想いをつのらせていることは、今は誰にも言えない。


(よし! こっから「おれ」ってのはやめて、女みたいにしゃべって、と)


 世良は悠馬の前に立ち、むん、と胸をはった。


「私にご用かしら?」

「かしら? おまえらしくない言葉づかいだな」


 うるせー、と世良は胸の中で毒づく。


「まあいいか。ちょっと、つきあってくれ」

「上等……じゃなくて、いいでしょう」


 こういうんじゃねぇんだよな、と思いつつ、美玖のしゃべり方がうまくコピーできない。

 仕方なく、世良はもっとも身近な女子である宮入みやいり雛子ひなこのマネをしていた。


(しかし、いいツラしてやがるぜ)


 彼の横を歩きながら、ななめ下から顔を盗み見る。

 シュッと鼻がたかく、シュッとあごが細く、シュッと切れ長の目。

 髪は流れるようにサラサラで、ところどころ光が反射してキラキラしている。

 自覚こそないが、世良は見とれていた。というより、美玖の体が彼に見とれ、こっそりと心拍数を上げているのだ。


「このへんで、いいだろう」


 食堂。

 放課後に、少しの間だけ喫茶店のようにつかえる場所だ。

 オープンテラスの、はしっこの席に座る。


「どうした美玖。座らないのか?」

「ああ。私は立ったままでいい、の、です」

「違和感がある口調だな……。それ、なんかのあてつけか? おれに怒ってるのか?」

「べつに」


 さっ、と悠馬が前髪をかきあげて言う。


「あのさ、まわりにウソを言いまわるのって、よくないと思うんだよな」

「あぁ⁉ ……いえ失敬。ウソと申されますと?」

「おれとおまえは何もしてない。ただの幼なじみだ。そうだろ?」


 ぐふっ、とボディに一発いれられたような感覚があった。

 おそらく「ただの」と強調するように言った、彼のせいだろう。

 そういえば、と世良は思い出した。

 

(……こいつに告白したとき、ことわられて、涙が出たんだったな)


 あれはたぶん、世良おれの心ではなく、美玖あいつの体が反応したからだ。

 今のも〈それ〉だ、きっと。 

 これはなんというか……変則的なケンカだな、と思ったとき、


「ん? 美玖、おまえのスマホか?」


 ブレザーのポケットの中のそれがふるえた。

 ふるえつづけているので、メッセージではなく電話らしい。


「あ、いや、なんでも。おほほ」

「出なくていいのか。ずっと鳴らしてるぞ? 緊急じゃないのか?」


 世良は悠馬から見えない角度まで顔を横に向けて、舌打ちした。そして、こそっとスマホをチラ見する。


「っ! やっぱり、あのバカアフロか!」

「……? なにが『やっぱり』なんだよ? それにアフロって……?」


 スマホをろくに目視もせず、世良は力任せに画面をタップした。2回。それが、どこでどうまちがったのか……


「美玖さーーーーん! 美玖さんってば、美玖さーん!」


 実際にポケットの中に人間がいるかのような存在感と声量。

 あ、と思ってももうおそい。


「ひどいじゃないですかーーー。ずっと待ってたんですよーーー!」

「待ってた? 美玖。これ誰だ?」

「いっしょにホテルに行くって言ったじゃないですかーーーっ!」


 しっかり、悠馬はそのボイスを聞いてしまった。

 どどど、と体の中に押し寄せてくるものがある。

 目の前にいるのは、異性の幼なじみ。きょうだいのように、ともに幼少時代をすごした仲だ。


(バカな。あの美玖が……ホテル? 男と?)


 悠馬には、つねに恋愛強者きょうしゃの余裕があった。

 ゆえに、〈そういうこと〉はいつすませてもいいと思っていたのだ。

 むしろウカツに〈そういうこと〉をしたらウワサも広まるし、一人だけに縛られて恋愛が不自由になるし――美玖のことも多少は気になっているし…………。

 はやい話、彼はまだチェリーだということだ。


(ヤバい。ヤバすぎる)


 失ってはじめて気づくものがある。

 幼なじみがほかの男と関係をもっていたことを知って、急速に、悠馬の中でNTRによる興奮が爆発していた。

 が、


「最低だな、おまえは」


 彼には強者のプライドがあるから、そうやすやすと素直すなおにはなれない。

 あくまでも、強気にふるまわなくてはいけない。NTRにハァハァしているのを悟られてはならない。


「はっきり言って、そこまで軽い女とは思わなかったよ。おれとヤッたとかって平気でウソまでつくし……」


 と、悠馬が視線を斜め下に向けて静かに語っているとき、

 世良はスマホを鬼の形相ぎょうそうでニラんでいた。


(考えられねー‼ がわりーにもホドがあんだろ!)


 しかしながら、電話をかけてきた倉敷くらしきに非はないと言える。

 世良が約束をすっぽかしたのは事実であり、目的地も〈廃墟のホテル〉だったからだ。


「きいてるのか、美玖」

「きいてるよっ!」

「なんだよ逆ギレとか……」悠馬は美玖のつぶらなひとみをまっすぐ見つめた。「せっかく、久しぶりにデートしてやろうかと思ってたのに」

「はっ」世良にはもう、美玖を演じることなど頭にない。「デートしてやるだと? ツラがいいだけで調子にのりやがって。そんなもん、こっちから願い下げだよ」

「おれとデートしたくないのか?」


「するっ‼‼‼」


 と、近くのテーブルの下から、突然イカつい男があらわれた。

 世良(心は美玖)だ。

 お祈りするときのように手を組んで、ランランとかがやいた目を悠馬に向けている。

 のみならず、着ているのは学校の制服ではなかった。


(せ、世良センパイがいたのか……。しかも、セーラー服を着てる……うっ、この前の悪夢が……)


 目を合わせないように下を向く彼からは、完全に血のがひいていた。


「ねぇ! はやく悠馬に『する』っていいなさいよ!」

「しねーよ」


 あきれた目を、美玖に向けた。


「なんか疲れた……今日はもう帰るか……」ぐいっ、と自分の細腕で世良の屈強な腕をとった。「行こうぜ」

「あっ、ちょっ」美玖がこまった声をあげる。「デートが……デートがぁぁぁ……」

「それと、おまえな」腕をとっていないほうの手で、悠馬を指さした。「ジツのねーウワサっていうのは、自然に消えるもんなんだよ。いちいち気にすんな、わかるか? 男だったらよぉ、もちっとドンとかまえていけや」と、自分の胸をグーでたたく。


 去っていく二人。我が幼なじみと、校内一の不良の背中。


(なんだよあいつ……男とホテルに行ったり、女ぎらいで有名なあの人と仲良くしてたり……)


 彼女の存在を、位置的にも精神的にも遠く感じている悠馬だった。

 はなれれば、追いたくなるのが恋のつね


(きょうだいみたいな関係が、おたがいキズがつかなくていいと思ってた――いや、そう思いこもうとしてたのかもな) 


 まだドキドキがおさまらない。

 美玖の姿を、見えなくなるまで目で追いかけた。


 その5分後、


「世良氏。調整の途中で抜けられてはこまる」

「ごめんごめん」背もたれも何もない、脚のひくいイスに座った。「じゃ続きをお願いね。宇堂うどうちゃん」


 こくり、とうなずくメカクレの女子。

 場所は家庭科室。

 世良が文化祭でコスプレするセーラー服を仕立てているところだ。宇堂の仕事ははやく、もう完成が近い。


「……外が気になるので?」

「ん? いやいや、そんなことは」


 気になる。

 美玖は、外に世良を待たせているのだ。


「ところで宇堂ちゃん、さ」

「なにかな?」

「ヘンなこと聞くけど……私のこと、こわくない? ほら、今って密室に二人きりでしょ?」

「ご心配なく。警備会社直通の防犯ブザー持ちなのじゃ」


 美玖が相槌を打つまえに、宇堂は言葉を足した。


「というわけもなく。世良氏に襲われたら、わたくしはひとたまりもないのじゃ」にっ、と宇堂の口元に笑みが浮かんだ。「だがその心配はない」

「えっ」

「世良氏は信用に値する」

「信用~? これが?」と美玖は世良の顔を指さす。「どうみてもヤカラじゃん」

「ヤカラにあらず。そして不良にもあらず。いうなれば、おぬしは哀しきモンスター。さしずめ、〈泣いた赤鬼〉の青鬼のほう。それぐらいの安心と信頼がある」


 よくわかんないな、と美玖はその話はそこでやめた。

 そこからマンガやラノベの話をしているうちに、とうとうセーラー服は完成した。


「世良氏、どうかな?」

「最高」ぐっ、と美玖は親指をたてた。「ほんと、このまま着て帰りたいぐらいだよ」

「通報案件」

「ははっ、そうだよね」


 じゃあ、と校門の手前で宇堂とはわかれた。


(えーと……あっ! いたいた)


 大きな桜の木。

 そこに背中をつけて、立っている、


「おーい!」

「……」


 腕を組んだ姿勢で、一ミリも動かない。


「起きてる?」

「……」

「寝てるの?」

「……」


 少し下を向いた自分の顔を、下からのぞきこむ。

 まぶたは、閉じられていた。

 寝とる! とあきれる美玖。立ったままで熟睡? どんだけ器用なの?


「いっしょに帰って、私をまもってくれるんでしょ?」

「…………ぁ」


 ふいうちは、ふいをうつから、ふいうちなのだ。

 そんな当たり前のことを、思い知らされた。

 ノーガードの心に、スマッシュヒットが入ってきた。 



「美玖……おまえは……おれが、まもる…………」



 赤面した。

 こんなセリフは、片思いの悠馬に言ってほしいのに。

 不良の先輩に言われても、うれしくないはずなのに。

 美玖はスマホを手にとって、真っ暗な画面に自分の顔――不良の顔――を映した。


(……安心と信頼、か)


 うん、とうなずくような仕草をした。

 かすかにきこえる寝息。

 数分後、彼がチャイムの音で目をさますまで、美玖はずっと映りこんだ世良じぶんの顔を見つめていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る