たたない不良⇄たたせる乙女

嵯峨野広秋

おれはたってるおれと出会った

 一級河川にかかる大きな橋がある。

 その日、その橋の下で、決闘と告白が同時におこなわれた。


世良せらめ」


 犬の散歩やランニングをする人たちがいる河川敷の道から、川の中へ向かって二つ目の橋桁はしげた

 ここは昼も夜もガラのわるい連中がたむろしていて、地元民はゼッタイに近づかない場所である。

 地面にはタバコの吸い殻や空のペットボトル、なにかの食べカスなどが散らかり、橋桁には、当たり前のようにたくさん落書きがされている。

 この地域で、もっとも治安がわるい場所といっていい。

 こんな場所に、17才の女の子が一人で来るはずがない。

 もし来るとしたら、逆に不良たちのほうが不審におもうだろう。


「おそい! 世良はまだかっ!」


 アフロの男が地面をける。

 灰色のブレザーをだらしなく着た彼は近くの工業高校の番長。名前を倉敷くらしきという。日頃から、世良を目のカタキにして、ことあるごとにケンカをふっかけていた。

 戦績は8戦8敗。ボロ負けである。が、けっして弱い男ではない。柔道とキックボクシングの心得があって、身長は180ごえで、世良と出会うまでは不敗だった。

 くり返すが、弱くない。

 世良が、強すぎたのだ。


「待たせたな」


 周囲がザワついた。

 逃げも隠れもせず、倉敷と仲間が陣取る橋の下まで一直線で歩いてきた人影。

 風でたなびくスカート。

 ゆるふわの長い髪。

 やや大きめの真っ赤なリボンタイが首元を飾る、お行儀よく着こなされた茶色のブレザー。


「はっ。おまえもコりねぇヤツだ。果たし状は下手くそな字だし……ペン習字でも習ったらどうだ?」

「お、おう……」


 世良は、ここで異変を感じた。

 ん? いつものように挑発にのってこねーぞ……、こいつ、なにかたくらんでるのか?

 ならば、もう一発。


「こいよ。アフロの形がかわるほど、ボコってやっから」

「え、えぇ……」


 ひいてる。かすれて、消え入るかのような「えぇ……」。

 そんなこと言います? みたいな「えぇ……」。

 なんだこいつ。

 今日、体調わるいのか?

 む。それより、これは…………


「おいクラシキ!」


 世良は怒鳴った。そしてまわりを見わたす。


「てめー、ふざけてのか! これから決闘しようって場所に女なんかつれてきやがって!」

「女?」倉敷は10人はいる、自分の仲間を一人一人確認した。「ここにはヤローしかいませんけど……あの……もしかしてジェンダー的なお話ですか?」

「クラシキ」ぴくぴくと世良の眉がうごく。「そりゃあ、なんの冗談だ。おれを敬語でイラつかせよーって、小細工か? おれはな、近くに女がいると、においでわかるんだよ。そのへんに隠れてんじゃねーのか?」

「へっ」

「あくまでシラを切るか。まーいい。女にブザマなとこ、みられちまえっ‼」


 ここから先はスローモーションで。

 スッと間合いをつめて、右フックの姿勢をとる世良。

 わけもわからないまま、あごをガードする倉敷。

 右フックはフェイントで、左のローキックをいれる世良。体の軸がブレる倉敷。

 とぶ。

 ぽかんと口をあけて見上げ、あっけにとられている倉敷の仲間たち。

 体の回転におくれてついてくる、よく手入れされた長い黒髪。

 世良は、空中で反時計回りに体を回し、つま先を彼のあごにめりこませた。

 ダウン。

 濃縮すると30秒にも満たない、みじかい決闘だった。


「あ……あが……」

「やめろ立つな、脳がゆれてる。また、おれの勝ちだったな」

「……ちょっ、まっ」がしっ、と地面をって世良にしがみついた。「行かせる、わけには……っ」

「まだやる気かぁ? いつになく、いい根性してんじゃねーか」

「せ、せめてお名前を」

「おれの名前なら永次えいじだけど」

「えっ。なんか女の子っぽくな……あ、いえいえ、ステキなお名前で」


 世良から手をはなし、地面に正座して背筋をのばした。


「ホれました。不肖ふしょうクラシキ、一生あなたについてゆきます」

「そうかそうか」世良は笑った。寛大な男のようにおおらかに笑ったつもりである。しかし実際は、ぱぁっときらめくような明るい少女の微笑だった。それが一際ひときわ、倉敷の心をつかんだ。「男が男にホレるっつーのは、あるよな。よし。おまえは舎弟にしてやんよ」


 ありがとうございます! という声が、橋桁に反射して強いエコーがかかった。

 悠々と立ち去りながら、さっきはやけに体が軽かったな、と手のひらを結んでひらく。


(ジャンプの高さが予想より高かった。おれってまだ強くなってるのか……って!)


 世良はおどろいた。

 なんだこの白い手は。白すぎる。なんかのビョーキにでもなっちまったか⁉

 てか、それどころじゃない。

 女装している。うちのガッコの女子の制服だぞ、これは。

 土手の階段を上がり切ったところで、背後をふりかえった。

 倉敷がまだ手をふっている。

 なんてこった。

 おれは、この女の姿で決闘を……いや、もはや決闘とかクラシキなんかどうでもよくて……やばいだろ……ありえないって……


(えーいっ! おとこにパニックはねぇ!)


 どっしり構えろ。山のように。

 どんな超常現象かミラクルかは知らん。

 が、事実、同じ高校の女子と体が入れ替わってる。


(ならひとまず、おれの体をさがすまでよ)


 自分の服の中をチェックした。

 ブレザーのポケットからスマホと財布がみつかった。

 その足で、とりあえず、橋をわたって向こう岸に行くことにした。



 そして先ほどの世良の「待たせたな」と同時刻。



 ガラのわるい連中のたまり場から遠い対岸は、まったくもって平和な風景だった。

 夕暮れに、犬の散歩やウォーキングする人々が通行する橋の下のアーチ。

 ここは告白の名所で有名だった。

 ちょうどこの時間、絶妙な角度で光があたり、ハートの形ができあがるからだ。すこし、地面に寝転んだような形で。”橋の下_ハート”で検索すれば、きっと近い画像が出てくるだろう。

 そのアーチの入り口の壁に背中をくっつけて、今、息をととのえている。

 とうとうこのときがきた。

 告白しよう。

 長すぎた片思いは、今日でおしまい。

 あ、いけない。

 私ったら、気がはやすぎるって。

 あいつがオッケーしてくれる保証なんかないじゃない。フラれるかもよ?

 でもわかるの。私にはわかる……。

 悠馬ゆうまも同じ思いだって。心が通じ合ってるって。

 3才からの、つきあいだもんね。

 ほら、来た。

 さすが私、足音だけであいつだってわかっちゃうんだから。


「悠馬‼」


 アーチの壁から背中をはなし、彼女は元気よく言った。

 無言で、ちょっと青ざめたような顔で、あとずさる彼。


「ちょっと! どこ行くのよ!」


 一歩二歩三歩と近づくと、

 一歩二歩三歩と悠馬は後退する。


「ねえ!」

「えっと……世良くん、だっけ? あはは……。ごきげんよう」


 容姿端麗なイケメンが、顔のあちこちをヒクつかせながら言った。

 ふりかえり、目の前の相手に背中を向けて小声でつぶやく。


「どういうことだよ……美玖みくのやつ……」

「いま、ミクっていった?」

「えっ⁉ いやいや、ぜんぜん」

「ミク、ここにいるけど」

「へ?」

「ほら!」と、178センチで強靭な体つきをした男が、両手を腰にあてた。「ね?」

「いや『ね?』って言われましても……」

「悠馬、ちょっといいかげんにして。こんなときに女の子をからかうのなんて、ひどいよ……」


 前髪に、稲妻のような一筋の金色のメッシュをいれた男が、かためたこぶしを口元にあてる。

 それが悠馬には「これからなぐるぞ」のサインにみえた。


「ま、まじすか」

「マジだよっ‼‼」


 二人の時間がとまった。

 マルチーズを散歩させていた老婦人が、数メートル前の不穏な空気を察知してUターンする。


「ずっと好きだったんだからーーーっ」


 美玖は後悔した。

 事前に思い描いていた告白と、現実がかけはなれていたからだ。

 しかし思いはげた。

 自分は、よくやった。

 今日の日を、私は永遠に忘れないだろう。

 さあ、はやく返事して?

 あなたも、私と同じ思いでしょ?


「ご」


 ご?

 ここからどう続くの。

「ごめん。おれから告白するべきだったな」かな。


「ご冗談ですよね? はは……。おれ――――おれは」イケメンが、ぎゅっと目をつぶった。「そっち系の人じゃないんでーーーっ‼」


 走り去る後ろ姿。

 美玖は、呆然ぼうぜん

 視界は真っ白で、自分の体すら目に入らない。

 何分、何十分、一時間とそのまま立ちつくした。

 棒立ちしているのは、茶色いブレザーでノーネクタイ、中のYシャツを第三ボタンまであけた体格のいい男子。

 そこに、上機嫌の美玖が歩いてくる。口笛をふいている。

 おもむろに座り込み、足元にいる、ノラらしき猫の頭をなでた。


「よしよし。ほら。そこのコンビニで買って来たぞ。いまどきのコンビニは、キャットフードもおいてるんだなー」


 にゃん、と猫が返事。

 美玖は目まいがする思いでその光景をみていた。

 大胆に股を広げたヤンキー座りで、みじかいスカートの向こうの見せてはいけない部分が丸見え。

 あれは、朝、私がたしかにはいたパンツだ。お気に入りのピンクのショーツ。

 その一点をみつめるうちに、おかしな気分になってきた。

 おかしな……はじめての感覚。

 ドクンドクンと、体の下のほうで脈うってるような――


「あん?」


 美玖が、美玖に歩み寄ってくる。

 美玖はそれより、下半身の違和感が気になってしょうがない。


「……ははっ。おいおい〈おれ〉がいるぞ。意外とあっさり見つかったなー」


 美玖がニヤリとわらう。

 美玖が首をかしげる。

 二人の美玖が目線をさげて、もっとも血の巡りがよくなった、同じ部分に焦点を合わせた。


 そこには不自然な隆起りゅうきがある。


「……うそだろ」


 次の瞬間、美玖が美玖に、とんでもないことを口走った。


「なぁにィィィーーーっ‼ そのズボンの盛り上がりはッ‼ まさか――おれの、おれのモノ・・が……」


 夕暮れの河川敷に、女の子のハイトーン絶叫ボイスがとどろいた。


ってるだとぉぉぉーーーーーーッ⁉」

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