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 ▽ ▽ ▽



「本当に辞めちゃうんですか?」

「うん……突然でごめんね。どうしてもって、頼まれちゃって……」


 ここで働くことに、なんの不満もない。

 本当は辞めたくはなかったけど、正社員として雇うからと言われた仕事を蹴ってまで、しがみつくようなものでもなかった。

 時給制より給料制の安定した仕事になった方が、安心して暮らせる。

 少なくとももう売れ残りの惣菜ばかりの食事からは、抜け出せるくらいにはなるはず。


 両親は私が幼い頃に死んでしまったし、私を育ててくれた祖母も病気で死んだ。

 保険金で学費を払おうとしたけど、大した額じゃなかった。

 天涯孤独の私は、生活のために働かなきゃならない。


 スーパーとほぼ同時に決まった掛け持ちの職場は、偶然にも高校生の時の先輩が起こした会社で、突然社員がやめてしまって、私に声がかかった。

「確か、理系の大学に進学したよな……」って、先輩にとっては曖昧な記憶だったろうけど、私を覚えていてくれたのはすごく嬉しくて……


 誰かの記憶の一部に、自分がいることが、嬉しかった。


「さみしくなるなぁ……まぁ、私なんかと違って、■■さんは眼鏡だし、頭がいいから、仕方ないですよね!」

「あのねぇ、最上さん。眼鏡をかけているからって、みんな頭がいいってわけじゃないのよ?」

「そうなんですかぁ? 私の知ってる眼鏡の人は、みんな頭いいですけど……あ、でも、■■さん記憶力も結構いいですよね? あのお客さんがいつ来たとか、何買ってったとかよく覚えてるじゃないですか」


 本当に、この子は明るくて、いい子だ。

 ふとした瞬間に、過去の嫌なことを思い出して、暗くなってしまう私の心を少し軽くしてくれる。


「まぁ……そうね。記憶力は昔からちょっと自信があるわ。神経衰弱とか得意だし」

「すごいなぁ……私苦手なんですよねぇ。じゃぁ、ここをやめても、私のこと忘れないですね!」

「何言ってるの? 忘れないわよ……! それに、辞めるって言っても、今月末まではいるし、買い物にも来るから」

「へへ……そうですよね!」


 短い間だったけど、ここで働けて本当に良かったと思ってる。

 私の大事な記憶の一部として、きっと、私はここでのことを忘れないだろう。


 そして、私がこの子の記憶の一部にも、なれていたら嬉しいな————







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