三国志〜終焉の序曲〜

岡上 佑

三国志〜終焉の序曲〜

はじめに

 本作は、咸寧六年(280年)の三月十四日から始まる孫呉の首都建業を巡る攻防の物語である。あらかじめ結末を書いてしまうと、その日の昼下がりから始まるこの物語は、長い長い中国の歴史にとって見てすれば、時間的にはあっという間に、晋軍の勝利をもって終焉を迎える。本作は、言わば一瞬ともいえる時間に繰り広げられた攻防戦を描くわけであるが、タイトル内に「三国志」とある通り、この短い攻防戦を経て、三国を構成する一つである孫呉が征服されて、三国時代という一つの時代が終わりを告げるのである。


 普通、三国志といえば、後漢の支配体制が崩壊した乱世の末に、実力をもって中原を回復して、後漢の禅譲を受けた曹魏と、その禅譲を認めず曹魏と鋭く対立した劉備の蜀漢、それから長江を天然の要害にして独立を保った孫呉と、手に汗握るこの三国の攻防を描いたものである。そこでは、英雄、劉備玄徳と梟雄、曹操孟徳の対立を主軸として、綺羅星きらぼしの如く現れた群雄がそれぞの思いを胸に、戦場を駆け、知略を尽くして活躍している。ただこの多くの群雄が活躍した時代も、蜀漢室の復興を大義を掲げて敢行した蜀の北伐が、ついに成功をおさめることができず、劉備が三顧の礼をもって迎えた諸葛亮孔明が、秋風の吹き荒ぶ五丈原にて陣没した時点をもって、一つの終わりを迎える。大体の相場をいえば、三国志という物語としての盛り上がりも、そして読者の興味も、諸葛亮が陣没した時点で、半減してしまうようである。


 それでもその後の歴史の流れを追ってみると、曹操の興した曹魏は、諸葛亮の北伐を防いだ将軍、司馬懿が突如起こしたクーデターによって、事実上、乗っ取られることになる。そして、諸葛亮の死後およそ30年にして、263年、司馬懿の次男である司馬昭の発した二人の将軍(鄧艾と鍾会)によって、蜀漢は滅ぼされる。その後すぐに、それを功績として、司馬昭の子である司馬炎が禅譲をうけて、新たに晋を興すのである。


 こうして、魏・蜀・呉という三国の対立は、三国時代の終わりには、魏を乗っ取り、蜀を併合した晋と、三国最後の生き残りである孫呉が相対峙することになる。といっても、孫呉の末期には、暴帝・孫皓が出て、悪辣、暴虐の限りを尽くし、孫呉は敵と戦わずして既に自滅の体を示していた。そして満を満を持して280年、国力に遥かに勝る晋は、総勢20万を数える大軍にて、一挙に孫呉の併呑にかかったのである。こうして280年3月15日には、孫呉は滅びてしまうから、本作の物語の始まりである14日というのは、実は、その前日なのである。


 この時、孫呉の首都である建業は、既に西晋の諸軍によって、三方を包囲されてしまっていた。孫呉は、晋軍に対して陸戦の一大決戦を挑んだ末に惨敗し、中央軍を率いた宰相も敗死してしまって、後は、息絶え絶えに余喘を保っているに過ぎなかった。晋軍の発した徐州軍、揚州軍、そして長江を降ってきた巴蜀軍に包囲され、建業はまさしく絶対絶命であった。


 実は、当時においても、多少情勢が読めるものであれば、この攻防において建業の陥落などは、その結末は皆分かっていた。実際の戦闘としては見るべきものは多くはない。3月14日の時点では、孫呉は、現実的には、もう抵抗力と呼べるものは払拭していたのである。それでも尚、私が何を描きたいかを、多少明け透けに書いて仕舞えば、それは、決して勝敗の分かりきった城砦の攻防戦などではない。


 それはもっと別の攻防であり、参戦した各軍、各個人それぞれ属するような、テンデバラバラでありながら、時代の転折点に置いて集中し、極めて輻輳した私的な攻防戦を書きたいのである。すなわち晋国の臣下にとっては、晋軍の諸軍間による勲功や名誉、あるはそれとはまた別の何かをかけた攻防であり、孫呉においては、自らの生存と己の生き様をかけた攻防戦であったりということである。戦争としては、既に先は見えたとはいえ、一時代を画した大きな戦いである。その水面化では、通常では見えざる形で様々な攻防が広げられていた。


 それでは、この混沌とした攻防を出来る限り緻密ちみつに追っていく事にしよう。書籍版巻頭(カクヨムでは近況ノート)には図説の紹介が、巻末には人物の紹介がある。適宜参照しながら、皆さんも一歩一歩、頁を読み進めて行ってほしい。

 

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