第3話
団長室を後にして、廊下を早足で歩きながらシェーラは自分の固く引き締まった腕を片手で軽く撫で、悶々と考え込む。
どこもかしこも鍛え続けてきて、柔らかさなど少しもない体。顔まで筋肉になることはなかったが、たおやかに優しく微笑むなど無理。
ふと窓ガラスに映る自分の甘さのかけらもない顔を見ては、溜息をつかずにはいられない。
アーロン・エウスタキオ。
魔術師の名門・エウスタキオ一族きっての実力者。年齢は三十歳手前ながらすでに王立魔術師団で最高位についているエリート中のエリート。
シェーラが十五歳で騎士団に入団した頃、すでに騎士団と魔術師団の関係はほとんど最悪。その理由が、実はアーロンそのひと。
魔術師団に入団以来、すべての階級を最年少で突破し上り詰めていったアーロンは、魔獣討伐等騎士団が名を挙げる絶好の機会において、考えられ得る限りの手柄を独り占めし続けてきたのだとか。
さすがに見過ごせないと騎士団から抗議を入れてもどこを吹く風。ならばと闇討ちの計画もあったらしいが、ことごとく返り討ち。
こうして、双方の対立のど真ん中にいながら、ついには師団長まで上り詰めたかの人と、シェーラはこれまで会話はおろかそばに近づいたこともない。
魔術師団の方では彼を崇拝する配下が睨みをきかせており、騎士団の者たちも「男のメンツの問題」と面倒この上ない理由で女性であるシェーラを関わらせないようにしてきていたのだ。
それならそれで、と一触即発の空気から距離を置いて淡々と過ごしてきたのだが、それが仇になったのかもしれない。
関わりを持たないできたシェーラは、彼個人と対立した過去はなく、女性であり、騎士団内での地位も高い。「政略結婚」の手駒として一応無理のない筋ではある。
しかし騎士団所属として、魔術師団への悪感情にはどうしても染まっている部分があると自分では思っている。とても冷静に向き合える気がしない。
何より、個人的にさっぱり知らない相手との縁談など気がすすまない。それどころか。
(男性が圧倒的に多い騎士団で、これまで私が男性付き合いをしていない時点で察してほしいんですけど……。鍛錬は得意なんですけど、男女交際は無理なんです……)
男女比。
大体にして、いわゆる上流階級出身の女性の仕事といえば、家庭教師やさらにハイクラスの屋敷や王宮での侍女。もしくは配偶者との商会や店舗の共同経営などが一般的。体を張って王都周辺の警備や辺境での魔獣退治をする戦闘職など、まず女性は寄り付かない。単純に、体力的な問題で向いてないという事情も大きく、さらに危険な割に決して図抜けた高給取りではないという理由もある。
こうして、一向に女性の増えない環境に身を置き続けたシェーラであるが、ならば交際相手は選り取り見取り選びたい放題かといえば、そんなことはない。
貴族の中でも厳格な家風の両親のもとで育ったせいもあり、未婚女性としての貞操観念は固い。付き合うならば結婚する相手、という固定観念がある。遊びで交際などできない。かといって特殊過ぎる職業ゆえ、家経由の縁談は無し。
では、真剣な恋愛はどうか。
これがまた、まったくと言って良いほど無い。鍛錬し、職務をこなし、宿舎に戻って就寝。規則正しく二十六歳まで生きてきた。同僚たちを仕事仲間以上に思ったことも無く、羽目を外して夜中に抜け出して街へ繰り出す、誰かと逢瀬をするなど実行はおろか考えたこともない。それで不都合もなく、入団当初は女だからといくらかあったからかい行為も、階級が上がってからめっきり減った。
(今更、結婚などと言われても……。第一、アーロン様も納得はしていないだろう)
エウスタキオの姓を持つ者が魔術師団には多数いるため、名前の方で呼ばれている師団長を思い浮かべる。
シェーラは遠目に見るだけだが、細身の長身の青年で、いつも体の線が出ない魔術師のローブをまとっている。
フードを脱げば目も眩むような美男子なのだとか(これは侍女たちによる噂話)。
望めば姫君との結婚も可能なかの人が、その年齢までなぜ未婚であるか。理由は知らないが、間違いなくこんなところで政略結婚をするためではないはずだ。
王命で苦渋の選択となったのは、ひとえに対立の原因を作った責任を取るためだろう。
相手が不本意なら、できればシェーラの側からもなるべくこの縁談を潰す方向で協力したい。
命令に背いてあえての嫌がらせをするほど分別がないわけではない。それでも、例えばわざわざドレスを仕立てるには時間が足りなかった、などの理由をつけながら見合いへの意気込みの無さを表現してみよう、と決めた。
手持ちの私服といえば、動きやすさを重視しているがゆえにほぼ男装のようなシャツとズボンのみ。副団長かつ貴族の出としてみすぼらしいものではないが、女性としてはかなり失格の部類のはず。
これはさすがに結婚相手には――相手からその一言を引き出せば良いのだ。
決心してしまえば、後は実行あるのみであった。
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