第6話 社会人『場岳 キヌ』の正体

 それはある日のこと、日が沈みかけたその日のこと。晴香は天音の事務所へと向かう途中で絡まれていた。

「やっほー、キミさぁ、なかなか芳しい香りがするね」

 そう言った女は天音と同じ明るい茶髪の女性。違いと言えばスーツを着ていて分けた前髪を葉っぱのヘアピンで留めていて胸が大きめで目の大きな美人だということ。つまり、髪の色以外全てが別人。

「なんだか凄く化けて出るタイプの人に好かれそうな感じ」

「は、はぁ」

 晴香は女の感情の大波に着いて行くことが出来ずにただ相づちを打つだけで精一杯であった。

「私の名前は場岳 キヌ、キミは?」

 知らない女性からいきなり馴れ馴れしく話し掛けられて人と接することに慣れていない晴香はどうにか答える。

「川海 晴香です」

「いいね女子高生! 私もそんな時期あったなぁ懐かし」

 キヌの語りから余程昔のことのような雰囲気が漂っていた。

「あの……天音、バイトの先輩といいキヌさんといい若くても高校生って懐かしく感じるものなのですか?」

 キヌは方目を閉じて底なしに明るい声で言った。

「もっちろん! もちもちの勿論よ」

 キヌの言葉に思わず柔らかな笑みが零れ落ちる。暖かな想いが溢れ出る。

「もしかしたら先輩と話が合うかも、いや、絶対合うよ」

「それはそれは楽しみだね、どんな物をお見せして下さるのか、どう笑わせて下さるかな」

「やっぱり相性良さそう」

 天音と楽しく騒ぐことの出来そうな、対等な関係になれそうな女性を見付けたことを嬉しく思いつつも、どこか寂しそうな顔をしていた。ほの暗い濃い青に塗られた空は沈んだ晴香の心の色のよう。迫りかけの闇から逃げるように晴香はキヌの手を引いてアパートへと歩いていく。その行いで心は闇の中へと落ちて行くというのに。

 例のアパート、あの階段、廊下、そしてドア。晴香は呼び鈴を鳴らした。ふと後ろを確かめたそこには肩を震わせるキヌの姿があった。

「どうしたの?」

「なんでもないなんでもない寒いだけ」

 季節的に寒いことなどありはしないであろう6月のこの場所。晴香は疑問符を浮かべつつも、キヌの心を読むことなど出来ないのだからすぐに諦める。ドアは開いて白い和服を着た女が現れた。

「出たな! 妖怪ていくあうと! 今日は何の用かい?」

 晴香を眺めて後ろのキヌを眺め、天音は笑う。

「この妖怪ていくあうとめ、愛しい人ね。そんなにアタシの働く姿が見たいのだか」

 ふたりを迎え入れて話は続く。

「そこの、歓迎にお茶漬けでもどうぞ。アタシは晴香以上の美人は好きじゃあないのさ」

 隠す気もない本心、何ひとつ揺れのない態度。キヌは晴香を後ろから抱き締めて言う。

「晴香より好きな子がいないならともかく、晴香より美人が嫌いだなんてマンガ雑誌買うのにも苦労しそう可哀想」

「くたばれ妖怪持ち帰られ! 名乗れそして髪の毛一本と顔写真置いて帰るんだね」

 何をするつもりなのだろうか、晴香には容易に想像がついた。恐らく丑の刻参りの藁人形だろう。

「私の名前の前にキミが名乗ってみたら?」

「はっ、アンタみたいなお祓い対象に名乗る名などありはしないねぇ。敢えて言うなれば御原井 擦流代」

「私は場岳 キヌ、よろしくね、おはらい するよさん」

「天音……仲良くは」

 言葉を遮って天音は言葉を全力で投げ込む。

「ムリ。このアナグラム女となんか仲良く出来やしないね、ばだけ きぬ……ばけだぬき」

 天音に扇子を向けられたキヌ、髪では隠せないはずの表情がつかないはずの影に隠れて見通せない。

「くくくっ、バレたねバレたねそうでなきゃ」

 途端、キヌは葉っぱのヘアピンを髪から引き抜いた。煙が上がり、辺りは見えなくなる。それから何秒経っただろうか、煙が引いたそこにいたのは先程よりも量が増えた柔らかそうな茶髪に頭から生えた耳。タヌキ模様の顔に着崩した緑茶のような色をした和服に収まりきれずに現れた尻尾。その姿は完全に化け狸なのであった。

「今どき葉っぱを頭に乗せてもバレバレなんで葉っぱ型のヘアピン使って化けるキュートなタヌキの場岳 キヌ参上!」

「参上もなにもずっといたし」

 キヌの正体を目の当たりにして晴香は目を丸くしていた。

「アンタもしや今気付いたのかい? ソイツは困ったもんだねぇ」

 今更知った晴香はただ混乱に目を回す。

「騙されていただけたみたいで化け狸冥利につきるね」

 それから十数分の間の会話を挟んだ後に立ち去るキヌ。晴香は天音を眺めていた。

「どうしたんだい? アタシに見とれてしまった?」

 晴香の胸の中で無理矢理眠らせていた本音の全てを吐き出し始めるのであった。

「実はキヌさんに会った時、天音と気が合いそうと思って、一緒にいるビジョンが見えてね、凄く嬉しかったの。賑やかになるかなって。でもね、喜ぶ裏で天音とずっとふたりきりでいたいなんて思う私もいて……素直に喜べない私がいたの」

 晴香は続けて言葉を紡ぐ。

「今日は残念だねって思いつつもなんだか安心して喜んでるなんて……やっぱり私、嫌な人なのかな」

 そんな晴香を天音はしっかりと身体も言葉も心も全て包み抱き締める。

「嫌な人だなんてアタシはこれっぽっちも思えないね、逆に安心。アンタにもそういうとこがあるんだねぇ」

 耳に天音の唇が微かに触れる。息が耳にかかりくすぐったくて暖かい。天音からの愛を受けて晴香の内で脈を打つ心臓は落ち着きなく暴れていた。顔は熱く、目は見開かれていて、想いは昂ぶっていた。そんな晴香の心を知っていて天音は意地悪な笑みを浮かべて囁き混じりに言うのであった。

「良かった、アンタが聖人君子なんかじゃなくて。そんなの、人間には似合わないもの」

 暗くなっても尚電気も点けられていない部屋で抱き合うふたりの心の中で、仄かに暗く生温い愛情が絡み合っていた。

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