第3話 退魔師『雨空 天音』の大激怒
天音はカーテンを開いた。外は目を刺すような眩しさでお出迎え。そこから差し込んで来る光につい顔をしかめてしまう。
窓を開ける。ダラしない天音は換気など中々行わない。埃っぽい部屋となってしまったそこにたまに足を踏み入れる少女が毎度説教を授けるのだ、それはもう天音としては避けたいことの中でも最上級。
「今日は来るなよ、明日も来るなよ……永遠に来るなよ」
家事炊事、殆どを任せ切りなあの少女を厭わしく思いつつも、心の底に溜まった想いを正直に零してしまう。
「やっぱり来て、毎日来て……ずっとここに」
呼び鈴が鳴り、天音はドアを開ける。そこに立っている少女、紫色のリボンで髪を結った少女、川海 晴香の姿、背の向こうにいる存在を確認するやいなや、天音は声を荒らげた。
「やっぱりもう来るな! この妖怪ていくあうとめ」
いつも通りの無賃労働の持ち込み。晴香は不満を立て続けに言い続けるも天音はそれらの言葉に何一つ耳を貸さずに晴香の影に潜む数多の目を睨み付けて扇子を扇ぎ陽の光に溶かした。
「まったく、アンタと来たら毎度毎度何か持ち帰って来て。妖怪亡霊物の怪、その内ネタ切れ起こして何も憑かなくなれば良いのに」
「ゴメンなさい」
晴香は本気で頭を下げていた。真面目過ぎて天音の冗談を時々本気で捉えてしまうのだった。天音は冗談を加える。
「無償で祓う数が多過ぎたら本来入るはずの儲けがからっきし入らない錯覚に陥るしそしたらひもじく思えてきて悲しいの、分かっておくれ」
流れる甘い空気はふたりの間に咲いた花の群れのよう。晴香は天音から目を離すことが出来ないでいた。惹き付ける薄茶色の瞳は性別を感じさせない。中性的だったり男らしいといったものではなく男女といったモノを考えることすら放棄させる不思議な気配に充ちていた。そんな彼女と同じ部屋でふたりきり。
――いいのかな、このまま私……落ちてしまっても
形も色もはっきりとしない靄のような罪悪感を心に住まわせてはいたものの、止まることなど選べない。止まることなど、晴香の心は許してはくれなかった。
天音の顔が近付いて、柔らかな髪が晴香の額に触れる。
「もう少し、アタシの冗談について来て欲しいものだね。今すぐついてけるように仕立て上げてもよろしいかな」
――遠慮なんて、いらないよね
晴香は思い切って天音の唇に自分の唇を重ねようとしたその時のことだった。
ドアの向こうに人が現れたことを、天音に用があるのだということを呼び鈴が電子音で知らせて空気を打ち破った。
「さて、金づるか」
天音はドアを開けて依頼人を招き入れた。それは金髪がかった茶髪で芸術的なまでに顔が整った女性。女性は突然話し始めた。
「私、貧乏神に取り憑かれているのよ」
美人の方をしばらく凝視して大きなため息をついた。
「なるほどね、貧乏神かぁ。誰かの金持ってくくらいならアタシの贅肉持ってって欲しいものね。太ももとかお腹とか二の腕とかさ」
「天音普通に細いと思うけど?」
晴香の肩を抱いて天音は妖しく微笑む。
「太くはないかも知れないけど脂肪の付き方がダラしないのさ、お分かり?」
何も分からない晴香だったものの、それでも頷くしかなかった。天音は女性の方に目を向けて訊ねる。
「で、何かに取り憑かれたようには見えないけど、あと晴香以上の美人は嫌いだけど、話だけは耳に入れておこうか」
女性は話し始めた。
「私、どれだけ頑張ってもお金が出て行って貯まらないのよ。お客さんとお話しながらお酒を注ぐような仕事をしてて、給料や支払い代金とは別にいっぱい貢いでもらってるのに」
「なるほど、で?」
女性は俯いて、内に燻る感情を語ることが出来ないでいた。
「それだけです」
女性の語りはここで切れ、天音は沈黙を呼び寄せた女性に対して鋭い目付きを向ける。まさに矢で貫く勢いで、隙間を射るように睨み付ける。
「それだけ? お金は何に飛ばしてんのさ。もしや毎日ご飯がステーキとかじゃあないだろうね」
その問いに晴香はつい吹き出してしまっていた。
女性は気まずそうに目を斜め下に向けて視線を逸らして答える。
「保湿液、その日の気分に合わせた化粧品、コスメ、美貌を保つためのマッサージその他色々……」
女性の方に扇子が向けられた。
「なるほどねぇ、つまり……アンタ自身が貧乏神ってワケ」
怯えた顔をして両手を挙げて降参の意を示す女性に対して、天音はとても生き生きとした凶暴な笑顔を浮かべていた。
「つまり……アンタを祓えばいいってワケ。ね、イラつく美人さん」
「待って」
しかし、その言葉は虚しく響いて天音の元まで届くこともなかった。
「悪霊退散!」
「ちょっ」
「退散っ! 退散っ!」
「だから待って」
「邪気退散!」
「いやだから」
「煩悩焼却! 問答無用! 心頭滅却!」
「助け」
「黙れ美人、成仏しろ! 滅却滅却滅却っ!」
それはもうこの上なく愉快な仕事だった。
☆
美しさを活かした時間を労力を切り売りしていた単なる美人が出て行ってすぐのことだった。天音はひと息ついて晴香の手をほどほどの強さで包み込み、引っ張るようにソファへと誘導して座らせる。
「はて、アタシが緑茶なんか入れようなんてもう何年ぶりか。抹茶なんかはもう入れられるかも分からないし緑茶でいいね」
急須を取り出してお茶を淹れる。湯のみに注がれた深い緑色のそれは湯気と共に美しい香りを運んで晴香の鼻腔をくすぐる。
天音は湯のみに口をつけ、一度頷いてそれを晴香に出すのであった。
「って……天音の口付け!」
「リップサービスさ」
「それってそういう意味じゃない」
分かってる、そう言って笑っていた。そうしてふたりは緑茶で心温めて幸せを心いっぱいに味わっていた。きっとこうしたかけがえのない時間はこれからも同じように続いて行くものだろう、晴香の胸の中を充たす根拠のない確信は晴香の意志によってしっかりと実のあることとして花を咲かせていた。
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