何の取り柄もない透明人間の俺が、妹を救いに行く話。〜〈ザ・ヴォイド〉=消失の能力に目覚めたので、あらゆる障害を消失させて世界ごと妹を救うことにする〜
マガミアキ
第一部
第1話 妹と生き別れた俺が、透明人間になる話。
その夜。
トヲルの故郷は唐突に怪物の集団によって襲撃された。
そこはエクウスニゲルという辺境の地だった。
どこからか上がった火の手が、瞬く間に街全体へと広がっていく。
燃え盛る炎が夜の空を照らす頃には既に街は怪物にあふれており、逃げ惑う住民たちは次々に怪物の手にかかって
七歳を前にした幼いトヲルに、抵抗する術はなかった。
燃え盛る周囲の建物の合間をぬって、ひとつ歳下の妹、メイの手を引いてただひたすらに逃げる。周囲を満たす轟音は怒号か、悲鳴か、燃焼音か、建物の崩れる音か、あるいはその全てだっただろう。
トヲルはかき消されないように、メイに向かって声を張り上げた。
「あきらめるなよ、お兄ちゃんが守ってやる。絶対に逃げ切るぞ」
メイはほとんど泣き出していたが、それでも首だけは縦に何度も振って兄の手を握り続けた。
怪物の目の届かない場所へ、炎の及ばない場所へ、町の外へ、遠くへ――。
「……!」
路地を抜けようとした二人の小さな足音が不意に止まった。
炎を吹き上げる民家の脇から巨大な影が歩み出て、行く手を塞いでいる。
それは狼頭人身の怪物、ワーウルフ。
街を蹂躙しているのは、このワーウルフの群れだった。
トヲルは膝から崩れ落ちそうになりつつも、妹を背後にかばって立った。
ワーウルフは大股だがゆっくりと二人に近付いてくる。炎に照らされたその狼の頭部は、口の周りから鼻先一面まで血みどろになっていた。その牙の犠牲になったのは何人に及ぶのだろう。
思わず一歩後ろに引いた時、激しい破裂音と共にトヲルの身体が吹き飛ばされた。燃え盛るかたわらの民家が内側から爆発したのだ。
そのまま民家は崩れ落ち、地面に転がった彼は炎と家の瓦礫に囲まれていた。
地面に腕を突いて必死に身を起こす。
メイが見当たらない。吹き飛ばされた衝撃で手を放してしまったらしい。
「メイ! どこにいる、メイ!」
背後で瓦礫の一部が崩れる音がした。
「メイ!」
振り返ったトヲルの視界に入ったのは、炎を背に立つ先ほどのワーウルフだった。
今しがたの爆発を気にも留めない風に、再びトヲルに向けて歩を進めてくる。
「……メイ! 返事をしてくれ!」
トヲルは後ずさりながら、妹の名を呼ぶが、すぐに崩れた壁で背後を阻まれた。
正面のワーウルフは十分に距離を詰めたとみて、低く身をたわめると地を蹴った。トヲルめがけてその巨大な顎を広げて襲いかかる。
次の瞬間、炎を切り裂くように銀色の光が
ワーウルフの巨体は、飛び掛かる姿勢のまま中空で動きを止めている。
その喉笛から、剣先が突き出ていた。
間髪入れず刃が横に薙ぎ払われ、ワーウルフの太い首は半分以上斬り裂かれた。血潮と共に地面に転がった怪物はそれでも起き上がってみせたが、その時にはすでに
地面に崩れ落ちる怪物を怜悧な紫色の目で見下ろしているのは、自分の身長ほどある長大な両手剣を携える美しい女性だった。長い銀色の髪が揺れている。
「無事か、少年?」
放心したように女性を見上げるトヲルは、うわ言のように言った。
「メイが……妹が……」
女性は表情を強張らせた。
「妹? はぐれたのか。……ここに来るまでではそれらしい少女を見かけなかったが」
「俺が、守ってやらなきゃ……メイを……」
銀髪の女性は大剣を背中のホルダーに納め、トヲルの身体を抱きかかえた。
「とにかく――ここを逃れるのが先だ」
トヲルの口からはまだうわ言が漏れていたが、緊張が途切れたためか、彼はそのまま意識を失った。
*
揺れる幌馬車の荷台の中で、トヲルは薄く目を開いた。
「気が付いたか?」
傍らで彼の顔を覗き込んでいるのは、ワーウルフから助けてくれた銀髪の女性だ。
「あなたは……」
「我々は兵団の作戦部隊。怪物に襲撃されたエクウスニゲルの生存者を救出するために編成された。わたしはディアナ。ディアナ・ラガーディアだ。安心しろ、この車はすでにエクウスニゲルを離れている。きみは助かったのだ」
「……メイ……妹を……」
「すまない、やはりきみの妹と思われるような少女は見つからなかった。……被害者も含めて」
トヲルは身を起こそうともがいた。
「俺……戻ります、メイを連れて来なきゃ……」
「許可できねえ。寝ていろ」
強い口調で制された。荷台の向かい側に座っている男だ。こめかみに十センチはある傷痕がはしる強面だ。
「俺……妹を」
「諦めろ。戻ったところでお前には何もできやしねえ」
「……」
ディアナの手が、少年の肩を抑えて再び寝かせた。
「彼は同じ部隊のジェフリー・デミトラ。残念ながら彼の言う通りなのだよ」
ジェフリーは煙草を取り出して口に咥えた。
「街のワーウルフはオレらが殲滅した。お前が救出される直前のことだ。その際にディアナが仕留めたのが実質、最後の一体だったんだろう。お前がワーウルフに襲われる時までその妹と一緒にいたんなら、その後怪物に殺された可能性は低い。オレらが被害者としても要救助者としても発見できなかった点を楽観的にとらえりゃ、お前の妹はすでにあの街の火災から逃れ出たと考えられなくもねえ」
「だ、だったら、余計に助けに戻らないと……せっかく逃げられたとしても、このままじゃ――」
煙草に火をつけながら、ジェフリーが目顔でトヲルの言葉を遮った。
「……エクウスニゲルは放棄されることが決まったんだよ。あそこはもう、彼岸だ。彼岸への攻勢は、今回の作戦には含まれちゃいねえんだ」
「そんな……」
「……体勢を整えてから改めて失地奪還作戦が起案される。作戦の過程で生存者の有無も確認されるだろう。今わたしたちから言えるのはこのくらいだ」
ディアナは沈痛な面持ちでトヲルに語った。
男は煙草の煙を天井の幌に向けて吐いた。
「オレらは兵士であって、勇者じゃねえ。街の生存者を救出するこの任務を完遂するためには今から引き返す訳にも行かねえし、お前の好きにさせる気もねえ。わきまえろ」
沈黙がおり、しばらく馬車の走行音だけが荷台の中に響いた。
「じゃあ……」
口を開いたのはトヲルだった。
「俺も兵士になれば作戦に参加できる? その、失地奪還作戦に」
「何言ってやがる」
ジェフリーは鼻で笑う。
「俺も兵士になる。きっと妹を見つけて、助け出すんだ」
「よしんばお前が部隊に編成されるようなことがあったとしても、そりゃどれだけ先の話だよ。その時までに見つかってなきゃあ、どの道手遅れだ」
「ジェフリー」
ディアナは彼の言葉を制すると、トヲルに向き直った。
「……少年はいくつになる」
「六歳……でもあと二ヶ月で七歳になる」
「固有IDを獲得する年齢だな。ID特性が合えば、兵団の即戦力にもなりえる。わたしたちはわたしたちの世界を諦めない。この世界を怪物たちから取り戻すまで、失地奪還作戦は立案され続けるだろう。わたしはきみが兵士として作戦に編成されるのを待っている。もしその時もまだきみの妹が見つかっていなかったら――一緒に探そう」
トヲルは天井を睨んだまま、大粒の涙を流している。声が出ないように歯を食いしばった。
泣き声を挙げた瞬間に心が折れるような気がしたのだ。
心が折れたら、妹ともう二度と会えない気がしたのだった。
「……きみは強い子だな」
ディアナはかすかに笑みを浮かべ、その細い指で彼の目元を拭った。
*
人の魂は肉体に宿るものだ。
しかしその肉体が魂の在り方と完全に合致することはほとんどの場合ありえない。身体能力、知能、性別、適性、人々は望むべき自分の姿と現在の自分の姿とのギャップに苦しんできた。肉体は、魂の器であると同時に
では魂の在り方と完全に合致する肉体があればどうか。
インターフェース・ドール――通称IDはそのような考えのもと生み出され、人々にとって新たな肉体として普及した。
人々の魂は
七歳までは神のうち――すなわち、人は七歳になると本来あるべき自分の肉体を得ることになるのだ。
IDによって
飛翔、剛力、発火、念話――超能力や魔術と表現するにふさわしいそれら多種多様な能力は、ID特性と称され、やがて当然のものとして社会に受け入れられていった。
トヲルが七歳になる月の初め、彼はチューニング装置〈タマユラ〉がある市庁舎にいた。
見回せば、同じ月に七歳になるであろう子どもたちで施設のホールはごったがえしている。トヲルが世話になっている孤児院のシスター、クリスが声を張り上げた。
「おらあ、黙って列に並べくそガキどもー! 大人しくしてねーと外に蹴り飛ばすぞー!」
やたらと口が悪いが、実際に蹴り飛ばすことは決してしない優しいシスターだ。
隣に並ぶ同じ孤児院のクロウがトヲルに声をかける。黒髪に浅黒い肌が特徴的だ。
「やば、ドキドキしてきたよ。ぼくの特性って何だろう。空とか飛べたら最高だよね?」
「俺は……力が強かったり、素早かったり……そういう能力だといいんだけど。兵士になりたいんだ」
「兵士? ってことはわざわざ彼岸に行きたいの。危なくない?」
「妹を探しているんだ。きっと、今も彼岸にいる」
「ふうん……?」
クロウはトヲルの言葉をいまいち飲み込めていないようだが、それ以上きいてくることもなかった。列の前の方では、〈タマユラ〉のチューニングが進行しており、固有IDが確定する度にアナウンスが流れていた。
『エドワード・リンドリー。特性〈ファイアスターター〉』
『モニカ・ソーパー。特性〈歌姫〉』
それを聞いていたクロウはトヲルを見やった。
「さっきの子、〈ファイアスターター〉だってさ。都市インフラの仕事か……ひょっとしたら兵士として前線に行くことになるのかもね」
「うん……彼岸に行けるなら、どんな形でもいい」
「ぼくはごめんだけどねえ」
列は進み、先にクロウがチューニングを受けることになった。六角形の巨大な柱のような装置にハッチがあり、係員の案内でクロウは柱の中に姿を消した。
チューニングはものの数秒だった。
『クロウ・ホーガン。特性〈エアダンサー〉――』
空中で踊る者という意味だろうか。空を飛びたいと言っていたクロウの希望通りかも知れない。トヲルはそう思っていたが、〈タマユラ〉のアナウンスに続きがあった。
『――種族〈
市庁舎のホール内が少なからずざわめいた。クリスの表情に陰が差す。
「人外種……」
人の魂とIDとのチューニングの結果、まれにその特性が一般的な人の形を大きく逸脱する場合がある。その姿こそが、その魂に最も適していると判断されるのだ。この場合、〈タマユラ〉はIDに特別な〈種族名〉を付与する。つまり敢えて〈種族名〉を告げられたIDは人の姿からかけ離れている場合が多くなるということだ。
いつの頃からか〈タマユラ〉が告げる種族名のことを、人外種、と呼び習わすようになっていた。
果たして装置のハッチから出て来たクロウの姿に、ホール内のざわめきは更に大きくなった。
その背中からは、黒く美しい翼が二枚、大きく広がっていたのだ。
ホール中の奇異な目を集めている当のクロウは、しかし浅黒い顔に満面の笑みを浮かべていた。
「きゃっほーぅッ!」
大きく跳躍すると、翼を広げ、ホールの中を勢いよく飛び始めた。
その無邪気にはしゃぐ姿に、クリスの表情が少し和らぐ。ホールのざわめきは、いつしか歓声に変わっている。クロウは空中でくるくる回転したりして、まさしく踊るように宙を舞った。
「……あの調子なら、大丈夫だろう。ほら、トヲル。次はお前だ」
トヲルは緊張気味にうなずいて、装置の中に足を踏み入れた。クロウのように派手な特性でなくていい、少しでも兵士に適性のあるものを、とトヲルは強く心に願った。
ハッチが閉じられ、無音の暗闇に視界がゼロとなった束の間の後、〈タマユラ〉の無機質なアナウンスが耳に届く。
『トヲル・ウツロミ。特性〈ザ・ヴォイド〉――』
アナウンスに、続きがあった。
『――種族〈インヴィジブルフォーク〉』
人外種……!?
暗闇の中、トヲルは自分の鼓動が速くなるのを感じていた。
聞いたこともない種族名。〈インヴィジブルフォーク〉? 何だそれ?
翼が生えたクロウのように、身体の一部が変化するだけのIDはまだ幸運な方だ。
人外種は完全に人の姿を失うことも多い。
その特異なIDは魂をも侵し、下手すると人格というものを完全に失う場合もあると聞く。
そのなれの果てが――トヲルの町を襲撃したような、あの怪物たちなのだ。人外種の宣告にホールが緊張に包まれたのはそのためだ。
ハッチが開くと、二連続の人外種の宣告に騒ぎの大きくなっているホールの喧噪が流れ込んできた。
トヲルは、装置から明るいホールに一歩歩み出て、不安げにクリスの顔を見た。
なぜか目が合わない。彼女は今しがたトヲルが出てきて、空になった装置の中を険しい表情で見つめているだけだ。周囲を見回しても、誰も彼も一様に無人の装置内を驚きの表情で凝視していた。
トヲルはクリスのローブを引こうと手を伸ばし、そこで気付いた。
自分の手が見えない。
手はそこにある。感覚はある。
けれど見えない。
手だけではない。
足も、身体も、そこにあるはずの自分の姿を見ることができない。
トヲルは見ることのできない掌で、自分の顔を押さえた。
「う……ぅうわああああぁ――ッ!」
思わず叫び声を挙げていた。ホール中の顔が一斉に叫び声の方を振り返るが、誰もトヲルの姿を視認することはできないでいた。
種族〈インヴィジブルフォーク〉――それは、透明人間のことだった。
つづく
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