焦り
新学期が始まり、バイトにも慣れていない上に、Aブラスもあるので、今年の文化祭では演奏はしないことにした。
文化祭の準備に時間を取られることが少なくなった私は、バイトと練習に集中することができた。
楽器屋さんでのバイトというのは、思ったより大変だったけど、店長や周りのスタッフに助けられて、割とスムーズに仕事を覚えられたと思う。まだまだ知らないことだらけだけど。
練習の方も、特に悩みがあるとか、そういうことはないんだけど…。
オーディションを終えてから、どうも勢いがなくなっている。
大きな目標だったから、当たり前といえば当たり前なんだけど…。
時間はいっぱいあるし、集中もできている。でも、何か足りない。
何かが…。
その答えは、意外な形ではっきりした。
それは、ある日恒星と電話をしている時のことだった。
『俺さ、4年の先輩から仕事をもらったんだ。アマチュアの団体だから、仕事って言っていいかわからないんだけど、でも、生まれて初めて演奏でお金をもらうんだ。』
それはすごい!アマチュアとはいえ1年生で仕事をもらえるなんて…!
「すごいじゃない!さすが恒星ね!いつも頑張ってるもんね!」
でも…
『ありがとう!結がいてくれるからこそ頑張れるんだよ!これからは、もっと頑張るよ!』
なんだろ…?
「それは私も一緒!私も頑張るわ!」
なんか、もやもやする…。
『考えたんだけど、俺がAブラスを受けたのは、もしかしたらこういう結果が欲しかったからかもしれない』
ん?
「どういうこと?」
『うん。オーディションを受けるからには、もちろん合格することが目標なんだけど、目先の結果だけじゃなくて、さらにその先に繋げたいというか、なんて言ったらいいんだろう…』
わかるようなわからないような。
「受かったことが話題になって、何か別の演奏の機会に繋げたい、みたいなこと?」
恒星の顔がパッと明るくなった。
『そうそう!簡単に言ってしまえばそういうこと!まぁ、一つの結果が別のところにつながるなんて、そうそうないことだし、頑張り続けるしかないんだけどな。でも、今回演奏の機会をいただけたのは、オーディションの結果からつながっている気がして嬉しいんだ。』
なるほど。ちょっとわかったかも。
『ん?どうした?』
「あ、ごめん。恒星はすごいなって思って。」
これは本当だよ?
『あ、ありがとう。』
恒星が返答に困っている。話題を変えちゃおう。
「んん、ほんとにそう思うから!ところで、文化祭では、何か演奏するの?」
できる限り元気に答えたつもりだった。でも、恒星には気づかれてるかも。
すごく鋭いから。
『いや、今年はやめようかと思ってる。ちょっと、準備に動き出すのが遅かったから。結は?』
そっか。
「うん、私も、今年はなしかなぁ…」
だめだ、全然元気でいられない。
『そっか。』
恒星は、多分私の様子に気付いてる。でも、何も言わない。
これは、優しさかなって思う。正直、私も今何かを聞かれてもちゃんとは答えられ自信がない…。
『今週末は、どうしてる?お茶でもどうだ?』
え?
「いいの?」
忙しそうなのに。
『え?いいよ?なんで。』
ありがとう、恒星。
「ありがとう。土曜日はバイトだから、日曜日はどう?」
『うん、14時までバイトだから、その後でもいいか?』
「うん。いいよ。」
私、なんでこんなに弱ってるんだろ…全然らしくない。
いつもの私だったら、ウジウジしててもしょうがない!頑張ればいいんだ!ってすぐポジティブになれるのに。それに、周りがどんなに結果を出してたって、私は私!気にしてもしょうがない!ってなれるんだけどなぁ…。
そっか、これ、今回の話が恒星のことじゃなくて、もっと遠い人の話だったら気にならないんだ。
きっと、誰よりも近くにいてくれる恒星のことだから気になるんだ。
恒星がオーディション前にどれだけ努力をしてきたか、一番近くで見ていたのは間違いなく私。
オーディション期間だけでいえば、家族やバイト先の人達よりずっと長く一緒にいたと思ってるし、弾き合い会の回数も、間違いなく一番多かった。
結果、2人とも合格できたんだからそれでよかったんだけど、恒星は既にその先の結果まで出している。それに比べて私は…ってほんと、自分らしくなくて嫌なんだけど…。
でも、多分私は…
悔しいんだ。
嫌だな。こんな私。
恒星に起こった良いことが素直に喜べないなんて…。
こういうの、皆どうやって消化してるんだろ…。
楽器に限らず同じ分野で頑張ってる人同士は皆少なからずこういうことを考えるんじゃないのかな…?
頑張ろう、私。ここでちゃんと乗り越えなきゃ、これからも同じことを考えてしまう。
そうなったら、恒星とだって一緒にいられなくなってしまうかも…。
こんなに大好きなのに…それは嫌だな…。
珍しく思い悩んだ私は、次の日は練習をしないで帰ることにした。
練習しなきゃ結果は出せないんだけど…休むことも大事だと思うことにした。
誰かに相談しようかなとも思ったんだけど、やめた。
多分、これはそういう話じゃない。
自分でどうにかしなきゃ。
こういう時は、気分転換のためにも普段あまりいかないところに行くようにしている。
まず地元に戻った私は駅の近くにあるお気に入りのカフェに向かった。
ここは大学に入る前に発見したお気に入りのお店。
店内はちょっと薄暗くて、全体的にアンティーク調の落ち着いた感じ。
ゆっくり自分の時間を過ごすにはぴったりのお店。
私は、窓際にある1人用の席に座った。
ウィンナーコーヒーを注文してしばらくボーッと街並みを眺めてた。
今日は、ちょっと天気も良くない。今にも降り出しそうな曇り空で、どうしても気分は沈みがち。
このスッキリしない感じは天気のせいもあるかなぁ。
私は、夏休みから今までのことをゆっくり振り返ってみた。
休みの間はとにかく必死で練習した。でも、大変だとは思っても辛いとは思わなかった。
それにはオーディションに合格したいっていうはっきりした目標があったからっていうのもあるけど、やっぱり、恒星の存在が大きかった。
恒星はいつだって誰よりも頑張ってた。私も、同じくらい頑張ってた。
比べてどうこうなんて、今まで考えたこともなかったのに。
なんで?
なんでこんなに悔しいんだろ?
先に恒星に仕事が来たから?
違う、そうじゃない。
私に仕事が来ないから?
それも違う。
だったら、なんで…。
じゃぁ、逆にどうなったらスッキリできるの?
例えば今この瞬間に仕事が来たら、嬉しいし、きっと今悩んでることはどうでも良くなると思う。
でも、その仕事が終わった後は?またこうやって、悔しくなるの?
恒星に仕事が来る度に?
もしそうなら、いつまでも何年経っても、いくつ仕事をもらっても同じじゃない。
だったら私、なんのために演奏するの?
(…は…のために…するんだ?)
え?誰だっけ?前に確か
(結はなんのために演奏するんだ?)
思い出した。詩乃だ。
昔詩乃に聞かれたんだ。
あれは、確か付き合い始める前。高校2年生の時のコンクールの後だ。
私は、あの時既に1stを吹かせてもらっていた。
そこに至るには、結構大変だった。3年生の先輩で、最後のコンクールだからどうしても1stを吹きたいって言い出した人がいた。
私は、別に2ndだってよかったんだけど、顧問の先生には考えがあったみたいだった。
何度も話し合いをして、結果オーディションまでして私が1stを吹くことになった。
なのに、その年も県大会を抜けられなかった。
誰かのミスが原因とかじゃないんだけど、私は先輩に申し訳ない気持ちで一杯だった。
それで、悔しくて泣いた。その時、詩乃に言われたんだ。
(結は、なんのために演奏するんだ?)
私は、その時は意味がわからなかった。いや、今だってわからない。
あの時詩乃は何が言いたかったんだろ?っていうかなんでこんなこと思い出すんだろ?
なんのために演奏する?仕事をもらうため?評価をされるため?
もちろん、そういう理由だってないわけじゃない。
いつだって自分の演奏を評価するのは他人なんだから。
でも、それだけじゃない…。
それはそうよね、だって、今までだって音楽を通して辛い思いをしたことなんていっぱいあったんだから。
ただ評価されたいだけでやってたら、こんなに長くは続かないじゃない。
もっと、根本的な何かね。
そういえば、あの時私はなんて答えたんだっけ?
必死に記憶を辿ってみる。
確か私はあの時…
「関東大会に行くため」って答えたんだ。
詩乃は
『そうじゃなくて、もっと根本的な理由だよ。先輩のために演奏してるのって聞いてるんだ』
それで、私が黙っていると
『違うだろ。確かに、オーディションで結果的に1stを奪う形になってしまったとしても、結が演奏するのはいつでも自分のためだろ。』
で、結局どうやって会話を終えたのは覚えてないけど、あんまりいい終わり方じゃなかった気がする。
でも、この会話の答えと今の悩みの答えは近い気がする。
私が演奏するのはいつでも自分のため。それはそうよね。自分がやりたいんだもん。
演奏したい?なんのために?
なんの…ため?
うーん、ダメね。ちょっと、簡単には思いつかないかも。
それに、詩乃との会話はヒントになるかもしれないけど、飽くまでヒント。
考えるべきことは、このモヤモヤとどう向き合うか。
焦るけど、焦るだけでは何も変わらないわ。
時間がかかっても、この問題とちゃんと向き合う方法を探してみよう。
私は、これもクラリネットを、演奏を、音楽を続けたいし、恒星ともずっと一緒にいたいから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます