84話 (完)素晴らしい人生でした……
「危ない!!! 」
悲鳴のような大声と強い衝撃により吹き飛ばされる身体。目まぐるしく揺れる視界……。
終わった……。完全に俺の一生は終わったのだ。
いや、待て待て……この場面で戻ってきて死ぬのを回避できないなんて、理不尽すぎねえか?戻ってきた意味なくねえか?クソ!……つっても仕方ないわな。
……だが強い衝撃で吹っ飛ばされた後、予想していた2度目の走馬灯は流れて来なかった。
「バッキャロウ!!! 」
替わりに聞こえてきたのは俺のすぐ近く……ほんの30センチほどの至近距離からの男の怒鳴り声だった。
そういえば衝撃も、あの時に比べれば幾分柔らかいものだったように思える。
「おい、松島!大丈夫か? 」
「……金田先輩? 」
「金田先輩?……じゃねえんだよ!お前死ぬところだったんだぞ! 」
俺は何度かまばたきを繰り返した。
状況を整理するには幾分かの時間が必要だった。
「……おい松島?救急車呼ぶか? 」
俺を危うく轢き殺そうとしたトラックはとっくに走り去ってしまっていた。
しばし呆然としていると、金田先輩が一転して優しい言葉を掛けてきた。俺の様子にただらぬ気配を感じたのかもしれない。
「……いや、大丈夫です。救急車呼ぶとリアルに結構な金額を払わなければいけないらしいです」
「そ、そうか。まあお前がそう言うなら……。どこもケガはないんだな? 」
さっき先輩に突き飛ばされたおかげで肩口が痛んできたが、まあそんなものは今抱えている状態異常の内では取るに足らないものだった。
「金田先輩?今って飲み会の帰りでしたよね?……ちょっと酔っているということを言い訳に一回だけ叫ばせてもらって良いですか?」
「帰りというか2軒目に移動する所だけどな……何?叫ぶ? 」
先輩はポカンとしていたが、それをイチから説明している余裕はなかった。主に俺の心情的に。
「あの!!!クソポンコツ天使!!! 」
通りを歩く人々が驚いように振り返るが、酔人だと判断するとすぐに興味を失ったかのように誰もが視線を戻した。
何が『向こうに戻ったら記憶は全部忘れてる』だ!!!
全部……小田嶋麻衣としての8年間も、その前の松島寛太としての一生も全部全部、鮮明に覚えてるじゃねえかよ!!!
本当にあのクソポンコツ天使は嘘つきイカサマ野郎もいいところだな!!!
「松島、お前……そんな声出せたんだな」
急に叫び出した俺を前に先輩が恐る恐るといった感じで声を掛けてきた。
……まあ、そうなるだろう。
「すいません……ちょっと、どうしても我慢 出来なくてですね……」
叫んだことで少し気が晴れたのか、今度は一気に泣き出しそうな気持ちになった。
「……お前、あんまストレス溜めすぎるなよ? 」
ありがとう、先輩。でもそうじゃないんですよ……。
全部忘れてしまえたら楽だったのだろうか?……いや、そんなことはない。そんなことはないはずだ。
「お~い、お前ら。先行ってるぞ!金田はちゃんと松島連れて来いよ! 」
少し先に10人ほどの集団がいた。みんな顔見知った先輩・上司たちだった。
金田先輩が軽く手を挙げてそれに応える。
その時、急に音楽が鳴った。
聞き覚えのあるイントロに俺の身体は無意識に反応して立ち上がる。WISHの……曲名は思い出せないけれど、何回も踊って身体に染み付いた曲だった。
「……松島? 」
……だがここはライブ会場でも、レッスン場でもなかった。
流れてきたのは街頭の大型スクリーンからの音楽だった。
『さあ、ということで今日はWISHの元メンバーでプロデューサーとなった小田嶋麻衣さんに来て頂きました! 』
次に流れてきたのは無駄に声の良いDJによるインタビューの音声だった。音楽だけでなく、インタビューも流すパターンの街頭宣伝のようだ。
……え?小田嶋麻衣?
「金田先輩?先輩も先行ってて良いですよ……」
俺はどう足掻いてもここから動くわけにはいかなかった。
街頭スクリーンに足を止めて真剣に見ているのは俺だけだった。
「何だ、松島?お前WISHのことが気になってるのか?……実は俺も元々オタクだったんだよ。何でも教えてやるぞ? 」
先輩の言ったことも気になったが、それよりもスクリーンの映像に集中しないわけにはいかなかった。
小田嶋麻衣……って、俺の他に誰かが小田嶋麻衣をやっているのか?
小田嶋麻衣という存在はそのまま消失したはずだ。海外留学に旅立つ……という名目のもと近しい人たちの記憶からも消して、存在しなかったことになるはずだった。
いや……こっちの世界とあっちの世界が必ずしも繋がっているとは限らない。パラレルワールドだと考えるとどんな可能性も有り得るのか?
……鼓動は高鳴り、視線は釘付けのまま、まばたきを忘れるほどだった。
『皆さん、どうもこんにちは。この度WISHのプロデューサーに就任した小田嶋麻衣です』
藍だ!!!
声も姿形も、慣れ親しんだ
『小田嶋さんは2年前にWISHを卒業して、その後の海外留学を経て今回WISHのプロデューサーに就任されたんですよね? 』
『はい、そうなんです。当時は本当にWISHに復帰してくるのか?とか色々なことも言われたんですが………………………………………………』
気付くと金田先輩も隣に並んでスクリーンを見ていた。
「へ~、小田嶋麻衣って本当にプロデューサーになって戻って来たんだ?てっきり男関係の問題が出て、それが発覚する前に海外に逃げたんだと思ってたんだけどな」
「そんなわけないでしょ! 」
思わず強い言葉が出た。……こっちがどんな気持ちでアイドルをやって、そしてそれを辞めなければならなかったのか……少しは想像してみろよ!
「脅かすなよ……。世間的にそういう噂があったってだけの話だよ……。何だ?松島は彼女のオタクだったのか? 」
オタクというか、まあ誰よりも小田嶋麻衣を知っている自信はあったが……。
それよりも気になることがあった。
藍はなぜ小平藍として生きることを辞めて、小田嶋麻衣に戻ることを選んだのだろうか?「藍としてWISHで活動していきたい気持ちが今は強い」と言っていたはずだが……。
「金田先輩?先輩はWISHのオタクなんですよね?……小平藍っていう子知ってますか? 」
俺は視線をスクリーンに向けたまま、隣にいた先輩に尋ねてみた。
……そう言えば金田先輩がWISHのオタクだなんて聞いたこともなかった。もちろん元の俺はWISHに対してほとんど興味がなかったから仕方ないが。
「松島お前、
俺の問い掛けに先輩は膝を叩いて答えてくれた。
……この沸点。先輩は間違いなく正真正銘のオタクだ。
「……えっと、あの曲何だっけ?彼女がセンターになった曲……」
「『PHANTOM CALLING』ですか? 」
「そうそう!何だお前も相当なオタクじゃねえかよ!……あの曲をきっかけにまたWISHの風向きが変わって、面白くなったんだよな! 」
先輩がバシバシ肩を叩いてきた。この人も酔っているのだろう。
さっき地面に叩き付けられたこともあって肩口は相当に痛んだが……まあ我慢せざるを得なかった。
スクリーンではまだ小田嶋麻衣のインタビューが続いていた。
『私はメンバーとして、その前はマネージャーとして長年WISHに関わってきました。その中で本当に色々な子たちと出会いました。深く関わった子もいれば、それほど深くは関われなかった子もいます。……でも、その関係性の中で私は生きてきて、そして小田嶋麻衣という存在になれたのだと思います。皆、私の中で生きているのだと思っています』
インタビュアーは神妙に頷いていたが、やや抽象的に過ぎた彼女の言葉に対して、今後のWISHの方向性という具体的なものに話を戻した。
……でも俺には、その言葉で充分だった。
藍はきっと小平藍として一度センターに立ったことで満足したのだろう。メンバーとして自分が最前線に立つことよりも、裏方として誰かを輝かせることの方に興味が移ったのだろう。
それに、藍は何度も家族に会いたいということを気にしていた。小田嶋麻衣として本当の父母と気兼ねなく会える毎日を選んだのだろう。
もちろん、俺の推測には何の根拠もないしそれを確かめる術は無い。
だけど俺には藍の気持ちが手に取るように分かった。それは身体を共有したものだけが分かるような確信だった。
ポケットに入っていたスマホを開いてみる。
2034年4月8日。
間違いなく俺が向こうの世界に旅立った日だった。10年前に戻り小田嶋麻衣として生きて8年間を過ごした。そしてまた今日に戻って来たのだ。
「おい、松島。お前WISHのライブ観たことあるのか? 」
「あ、いえ……」
思えば生で客席からWISHのライブを観たことはなかった気がする。加入前の学生時代はもっぱら映像でだったし、関わるようになってからは観客として余裕を持って観れたことなんかなかったと思う。
「バッカ、お前!WISHはライブが最高なんだよ!今度行こうぜ!……あれ、榎本さんも興味あるの? 」
気付く俺の隣には1人の女性がいた。
……彼女、たしか榎本さんは隣の課の人だったはずだ。ほとんど話したことはなかったけれど。
「は、はい。実は私もWISHに興味があって……」
控え目に笑う彼女と目が合った。
アイドルのキラキラした笑顔とは違っていたけれど、彼女の微笑みはそれにも増してとても優しい ものに見えた。
「あ、おい、あんまりこんな所でダラダラしてるとまた課長にどやされるぞ。急ごうぜ! 」
走り出した金田先輩を追いかけるように俺も榎本さんも走り出した。
冴えないクソリーマンの30歳をやっていくなんて、もう思わなかった。
広い意味では俺の中に麻衣はいるし藍もいる。もっと言えば希も舞奈も彩里も社長も……みんなが俺の中に生きているのだ。
俺にはそう思えた。
世界はまるで色を変えたようにキラキラと輝いて見えた。
(完)
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