58話 教育係も楽じゃないよ
それから1週間ほどが経ち、私は社長から5期生ちゃんたちの教育係に任命された。
別に大々的に発表があったわけではなく社長から個人的に伝えられただけのことだが、その後私は自分のもとに来た仕事をこなしながら、5期生ちゃんたちのレッスンに何度も足を運んだ。
もちろんレッスンには先生が付いているので、具体的なレッスン内容に関して私が口を出す必要はほとんどない。でも私がその場に入り、コミュニケーションを取りながらそれとなく声を掛けてゆくことで、ぎこちなかった彼女たちが次第に打ち解けてゆくのが感じられるのは嬉しかった。
やがてそのままの流れで一緒にネット番組などにも出ることも何度か続いたので「新人の子たちとその保護者」という構図は少なからずファン人たちの印象にも残ったようだ。
やはり接点が出来ていてある程度打ち解けた人間が側にいることで、彼女たちも徐々に自分たちの素を見せることが出来るようだ。
私は藍が自分にとって特別な存在だということはもちろん意識していたが、しかし彼女のことだけを見ていたわけではない。
他の子たちもそれぞれ魅力的だったということもあるし、やはりマネージャーとしての習性が彼女たち一人一人のことを注意深く観察するさせたのだと思う。
「どう?5期生ちゃんたちの様子は?」
ある日社長に呼ばれて声を掛けられた。
私にもWISHのメンバーとしての活動があって、私個人に来た仕事があって、その上でさらに彼女たちの面倒を見ているわけだからかなり多忙ではあったのだが、不思議と疲れのようなものはあまり感じなかった。
それよりもまだ右も左も分からない彼女たちと接することが、自分自身のモチベーションになっていることを感じていた。それが仕事だという感覚もなく、ただただ彼女たちの日々変わってゆく様子を間近で見られることが嬉しかった。
「もう、毎日大変ですよ!同じメンバーと接しているっていうよりも、学校の先生にでもなったような気分ですね!」
5期生たちはそれぞれ個性を持った魅力的なメンバーばかりなのだが、その個性がまとまるような気配は今のところあまり感じられなかった。
その要因の一つは彼女たちに芸能経験のある子が多かったという点だ。
ある子は子役の経験があったり、劇団でミュージカルの経験があったり、別の地下アイドルでの経験がある子もいた。そうでない子もダンスや歌の経験があり、それぞれのプライドがぶつかる場面が時々見受けられた。
オーディションの際に即戦力として目されたのも、彼女たちに経験とスキルがそれなりにあり、自分自身の見せ方を知っていたからだろう。
もちろんそうした個性をしっかりとまとめることが出来れば、彼女たちがWISHの新たな魅力となることも間違いなかった。新しいメンバーがWISHという大きなグループに馴染むまでに苦労したり、多少時間が掛かるのは当然のことだ。
社長に対しては愚痴めいた言い方になってしまったが、私の言葉は嬉しい悲鳴のようなものだった。
社長も私の表情を見て何となくそれを分かったようだった。
「あら、そうなの?じゃあ期待しているわよ、麻衣センセイ。将来のWISHのプロデューサーとしての手腕の見せ所ね!」
「……あ、そういうことだったんですか」
その時になって私はやっと社長の意図を理解した。
5期生たちをマネジメントすることで、いわば小規模なWISHを取り仕切る経験を私に積ませようということだったわけだ。
(……社長は本気で私を自分の後継者に仕立てようとしているのだろうか?)
社長が実際そう口にしても、私にはまだどこかそれが現実離れした未来のことのように思えた。
「もう、藍ちゃん!何回同じところでぶつかってくるの?少しは周りにタイミングを合わせてよ!」
今日も5期生たちはひたすらレッスンを繰り返していた。
藍に対して声を荒げたのは5期生のメンバー須藤琴音だった。
さっきから何度か藍とポジション移動の際にぶつかっていたのだが、同じことを繰り返しても一向に動きを修正しない藍についにキレてしまったようだ。
琴音はこの5期生たちの中で中心的なポジションを築きつつあるメンバーだった。バレエ経験者らしい伸びやかなダンスとアイドルらしい笑顔で、他のメンバーたちも彼女に一目置いていることが雰囲気で伝わって来る。
「……いえ、あなたがズレれば何の問題もないのだけれど?工藤さん」
「工藤じゃなくて須藤です!苗字じゃなくて琴音って呼んでって言ってるじゃない!……それに、私がズレると他のメンバーともぶつかってしまうから、藍ちゃんの方で動線をズラしてってさっきMAKINO先生も言ってたじゃない!聞いてなかったの?」
「え?……でも私が見たレッスン用の映像では、あなたの方がズレることになっていたと思うのだけれど?」
藍は相変わらずのボソボソした、けれど不思議と良く通る声で反論を続けた。
言葉の勢いだけで言えば琴音が一方的に攻め立てているようなのだが、陰気な声の藍は決して主張を曲げることはなかった。
「あのね、小平さん?たしかに事前に渡した資料ではその通りなんだけど、今の皆のダンスを見ていると、小平さんがズレてもらった方が全体がスムーズに行くし、見栄えも良いのよ。お願い出来ないかな?」
溜まり兼ねたように指導に当たっていたMAKINO先生が仲裁に入って来た。
もちろん状況に応じてフリが少し変わるだとか、フォーメーションが少し変わるといったことは日常茶飯事だ。ダンサーさんたちが踊ったものではなく、ステージに立つメンバーたちのスキルや癖に合わせて調整を行ってゆく……そのためにレッスンを行っていると言っても過言ではないくらいだ。
「……でも、それってレベルが低いから妥協してゆくってことですよね?そんな風にやるなら、レッスンする意味なくないですか?」
「いえ全然そんなことないわ。むしろみんなのレベルが想定していたよりも高かったから起こった事態と言っても良いわ」
挑発的とも取れる藍の発言にもMAKINO先生はにこやかに対応したが、他のメンバーはそうも穏やかではいられなかったようだ。
一同の藍に対する眼の色が明らかに変わった。
「藍ちゃんさ、ここだけじゃなくて他にも移動のタイミングがみんなと合わない箇所があるよね?」
「レッスンだけじゃなくてさ、ご飯の時も一人だけ離れて座るし……私たちのこと嫌いなの?」
「私たちだけじゃなくて、麻衣さんに対しても全然話さないみたいだし、どういうつもりなの?」
「は~い、ちょっとストップね!……小平さんちょっと一緒に来て」
元々は争いもダンスに関する健全なものだったし、藍と琴音の1対1の個人的な言い合いなら私は口を出すつもりはなかったのだが……全員で寄ってたかって、しかもこの場のことだけでなく普段の振る舞いにまで及ぶとなると、流石に止めざるを得ない。
だが藍の普段の態度も皆が言う通りで、どちらかに非があるとすれば藍の側にあることは明らかだった。
私は藍の手を取り、一旦レッスン場の外に連れ出すことにした。
彼女は私に素直に手を引かれながらも釈然としない表情をしていた。なぜ自分が外に連れ出されるのかまるで分かっていない子供のようだった。
つくづく読めない子だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます