42話 卒業コンサート②
湿っぽい感傷に浸る間もなく、コンサートは進んでいった。
序盤の怒涛の展開からは一転、中盤はユニット曲のパートに突入していた。ユニット曲とは比較的少人数でパフォーマンスする曲のことを指す。
WISHは総勢で40人を超す大所帯のグループであり、個人のパフォーマンスが注目される機会はこうした場面でないとなかなかない。
「舞奈……がんばってね……」
次は舞奈を中心とした3期生によるユニットだった。
他のメンバーに聞こえないように、舞奈にだけそっと囁く。
舞奈は黙ってうなずくとステージに出ていった。
(……そんな表情もするようになったんだね、舞奈は……)
3期生によるユニット曲は、WISH全体の曲調からすると異質のダークで激しいダンスナンバーだった。衣装も全身黒のパンツスタイルで、WISHの女性らしい柔らかなイメージとは真逆だ。
この曲では8人の3期生メンバーがフォーメーションを変えながら激しく歌い踊っているため、明確なセンターがいるわけではない。
けれど舞奈が一番目を惹いた。他のメンバーも見なくては……と思ってもついつい目が舞奈を追ってしまっているのだ。
しなやかなダンスはさらにその表現力を増し、その表情は哀しみに満ちていた。
舞奈の担当を外れてから1年ほどしか経っていないはずだけれど、もうまるで別人のように大きく見えた。
ユニット曲はさらに様々な曲が並んでいた。
王道のアイドルソングだけでない曲をやれるのが、こうしたパートの面白さだ。メンバーの個性が最大限発揮できるこうした機会は貴重で、コアなオタクの中には全体曲よりもこちらの方を楽しみにしている人も多いようだ。
そして再びセトリは全体曲へと戻ってゆく。
それはコンサート第1部が終盤へと差し掛かっているということだ。
再びWISHの王道のアイドルソングが中心になってきた。歴代ヒットシングルをこれでもかと連発し、息つく間もなく観客を盛り上げてゆく。
WISHには約7年の歴史がありヒット曲が沢山ある、というのはこうした場面でとても強い。
「この曲を聴いた時はこんなことがあったな……」
という光景がファンの数だけ存在するわけで、そんな無数の思い出を乗せて曲は流れてゆく。
こうして息も吐かせぬ怒涛の展開のままコンサート第1部は終了した。
アンコールを求める手拍子がドーム内に鳴り響いていた。
第1部は普通の全国ツアーのような内容のコンサートだった。もちろんメンバーのパフォーマンスも良く客席も盛り上がっていたが、今日は希と香織の卒業コンサートという特別な日なのだ。そもそも2時間半の公演予定の内まだ1時間半も経っていない。これからが本当の本番と言える。
客席もそれをよく分かっており、アンコールを求める手拍子にはいつもと違った熱が込められているのが伝わって来る。
手拍子はもう3分近く続いていた。
もちろん客席を意図的に焦らしているわけではない。大きな会場になればなるほど移動の距離も長くスタンバイに時間が掛かってしまうのだ。
(……いよいよか……)
コンサートのプログラムが進むということは、当然俺の登場も近付いてきたということだ。思わず自分の手を握ると手汗でじっとりと濡れていた。
「スタンバイ、OKです!」
スタッフによる無線で確認がなされ舞台監督のゴーサインが出ると、会場は再び暗転した。
「「「ウォー!!」」」
待っていましたとばかりに歓声を上げる客席だったが、その声が爆発することはなかった。
アンコールはメンバーの登場によってではなく、VTR映像が会場内の各スクリ-ンに流れることによって始まったからだ。
客席は息を潜めるようにしてそれに集中する。
「エントリーナンバー987番、黒木希です」
「エントリーナンバー1031番、井上香織です」
流れ始めたのはWISHの最初のオーディションの時の映像だった。
(若い!……それに正直、垢抜けないな)
2人ともまだ高校生だし、その姿も洗練されていなかった。
もちろん2人ともよく見れば端正なルックスでスタイルも抜群なのだが、雰囲気としてはよく居る田舎のJKという感じでしかない。まさかこの2人が数年後に日本のファッションアイコンになるなんて、誰が予想出来ただろう。
VTRは時系列順に続いていった。
オーディションを経ての初めてのグループとしての活動。
初期は注目度の割に人気が出ず、プロモーションのために地方のショッピングモールでチラシを配っていたこともあった。
最初のコンサートは300人規模のライブハウスでのものだった。そんな彼女たちがドーム会場を埋め尽くす存在になるなんて、誰が予想できただろう。
俺自身も楽屋のモニターでVTRを観ながら、小田嶋麻衣として転生してからの日々を思い出していた。あまりに色々な出来事があった。
「……わ、綺麗……」
メンバーの誰かの声が聞こえた。
ふと見ると、別のモニターにステージ脇でスタンバイしている希と香織の姿が映っていた。
まるでウエディングドレスのような豪華な衣装は2人のサイリウムカラーである紫と赤であしらわれており、アップにまとめられた髪型と
普段の制服とはあまりに違う印象に驚き、いつも一緒にいるメンバーたちでさえ息を呑んでうっとりと見ていた。
やがてVTRが終わり、2人がステージに登場した。
割れんばかりの歓声が起こるが、その歓声にもどこかしっとりとした感情が含まれているような気持にさせられる。
2人は軽く一礼するとマイクを口元に持っていった。
一息も聞き漏らすまいと、客席は再び静まり返る。
「こんばんは、井上香織です。今日は私と希の卒業コンサートにこんなにも多くの人に集まっていただいて……私たちは本当に幸せ者だなと思います」
香織の言葉に希が微笑んで頷き、2人のMCが始まった。
コンサート前半の、悲しみを吹き飛ばさんばかりのパフォーマンスとは打って変わったしっとりとした雰囲気が流れていた。
2人が登場した瞬間から涙を流すオタクもいた。彼らもまたそれだけの年月、情熱を傾けてきたのだろう。
モニターを通して見ているメンバーたちの間でもすすり泣く声が聞こえてきた。
「ちょっと~、まだ泣くのは早いでしょ?」
誰かが笑いながら言ったけれど、そう言った彼女の声がもう震えていた。
卒業していくメンバーはこれまでも何人もいたけれど……何度味わっても別れの涙は抑えられないもののようだ。
やがてイントロが流れ始めた。
2人の卒業のために書き下ろされたユニット曲だ。共に歩んで来た7年間を思い出させるキーワードが散りばめられたバラードで、すでにファンの間では神曲と名高い曲だった。
「はいみんな!スタンバイね!」
舞台監督から大きな声が掛かる。
モニターに釘付けだったメンバーたちも、それを聞き一気にスイッチが入る。
この曲が終わった瞬間にメンバー全員がステージに登場するという段取りだった。
(あれ……?)
気付くと俺は楽屋に一人きりだった。
(え、マジで?今から10分後にはステージに立つってこと……?)
感動的なコンサートに集中していて……そしてそれに伴う色々な思い出が蘇ってきて、自分がこれからしなければならないことを忘れていた。いや、もちろん忘れていたわけではないのだがその重大さを忘れていた。
(あ、ヤベ……膝震えてきた)
マネージャーだった俺がメンバーとしてステージに立つなんてことは、本当に正しいのだろうか?やっぱり俺は元の松島寛太としての弱い心のままなんじゃないだろうか?そもそもこんな精神状態で良いパフォーマンスが出来るのだろうか?ちゃんとパフォーマンスが出来たところで、ファンは俺を受け入れてくれないんじゃないだろうか?
今さらながらそんな思いが浮かんできた。
「麻衣~?」
楽屋に入って来たのは、社長だった。
俺は泣きそうな情けない顔をしていたと思う。
そんな気持ちも社長はすべて見透かしたかのようにクスリと笑った。
「大丈夫よ、あなたはステージに出るだけで良いから。ステージに立った時点で合格よ」
「……いや、そんなんじゃダメです。せっかくのお2人の最後の花道を汚すような真似は……」
「大丈夫よ!……あなたが登場して『あの子は誰だ?』って客席が少しでもザワつけば、それだけで私の作戦は成功なの。『WISHって未だに何をしでかすか分からないヤバイグループだな』そんな風に話題になれば、それだけで大勝利なのよ」
「……でも……」
「良いから。……あなた言ってたじゃない?本当はずっとステージに憧れていた、って。7年待ち続けたあなたにしか見えない景色がきっとあるし、あなたにしか与えられないものが間違いなくあるわ……それにね、どんな風に転んだって少し経っちゃえば良い思い出よ」
いつの間にかステージでは2人とメンバーとの長いMCが終わり、イントロが流れ始めた。
「小田嶋さん!スタンバイお願いします!」
この曲の次の曲が俺の登場曲だった。
もう所定の場所に向かわなければならない。
「緊張も……苦しさも……全部楽しんで来なさい。今はこの瞬間しかないんだから!」
歩き出した俺の背中に社長の声が飛んできた。
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