アイドル転向

37話 バタフライエフェクト

 それから1年と少しが経過して2031年の春になった。

 私が小田嶋麻衣として転生してから7年が経過したことになる。

 

 WISHのマネージャー業も3年目を迎えようとしていた。

 その間にマネージャーとして様々なメンバーを担当した。

 人気のある子、ない子。自信のない子もいたし、パフォーマンスに問題を抱えている子もいた。内気な子もいたし、明るい子もいた。素行に問題がある子もいた。

 だけど、どの子もアイドルが大好きでWISHというグループが大好きで、その活動に本気で取り組んでいたし、本気で楽しんでいた。

 マネージャーという立場はもちろん裏方だけれど、その姿を間近で見られることはとても貴重な体験だった。側にいればいるほどメンバーのことも、WISHというグループのこともどんどん好きになっていった。




(どう考えても『WISHのために自分を捧げている』……よな?)


 ふとそんなことを思い出した。

 

 そうだった。

 松島寛太としてのしがない一生を終えかけていた時に救ってくれたのは、天使ちゃんだった。

 あの時なぜ『WISHのために自分を捧げたかったです!』と言ったのか、自分でもその真意は今もって分からないが、その願いを叶えることを条件に私は小田嶋麻衣としての転生を許されたのだった。

 毎日の忙しさにふと忘れそうになっていたが、不条理な夢のような出来事の上に今の自分が成り立っているのだった。




「失礼します!」


 ある日の午後、呼び出された社長室に入っていったが、当の社長は浮かない顔をしていた。

 いつも豪快に笑っているイメージが強くこんな表情はあまり記憶になかった。


「……どうしたんですか?」


 我がコスモフラワーエンターテインメントは相当な実績を上げてきているはずだが、相変わらずさして立派な社長室もなく、社長も依然として現場で働いているような状況だった。もちろん忙しくて体裁を整えるヒマがないというのもあるだろうが、社長も現場で色々な人間と直に接しているのが好きなのだろう。

 声を掛けたところで、ようやく社長は私の存在に気付き顔を上げた。

 

「……ああ、麻衣。実はさっきね、希と香織の卒業が決まったのよ」


「……!」


 私は驚きのあまり言葉を失った。

 この一年間もずっと2人はWISHのエースであり続けた。

 他のメンバーも皆頑張っていたし、人気が出てきたメンバーは何人もいたが、結局2人の人気には誰も及ばなかった。

 

「2人同時なんですか?……せめて、時期をずらしてもらうこととかは出来ないんですか?」


 私はそう妥協案を提出した。

 2人同時卒業というのは、流石にグループにとってあまりにダメージが大きすぎるのではないだろうか。


「そうなんだけどね……2人は別に一緒に卒業しようって決めていたわけではないみたいなのよ。たまたま同じ時期に卒業を決断したってことなのよ」


「……そんな偶然があるんですね」


 社長に相槌を打ちながらも俺は状況を必死で整理しつつ、一つのことに思い当たった。


(……俺の元居た世界の2034年では、そんなこと起こっていなかったはずだ!)


 もちろん松島寛太としての当時、WISHやアイドルについてそこまで注目していたわけではないが、それでも何となくは記憶していた。それだけWISHという存在が社会現象となっていた証拠でもある。


 黒木希と井上香織は、間違いなくWISHの2トップとして君臨していた。

 MVでも歌番組でも、バラエティ番組でもCMでも、雑誌のグラビアでも常にこの2人が真ん中にいた。

 もちろん普通に考えれば、24,5歳という年齢はアイドルの卒業時期として妥当だ。

 2人が卒業後どういった進路を取るのかはまだ定かではないが、2人の人気なら芸能界でも引く手、数多あまただろう。


 だが……WISHというグループにとっては痛すぎる損失だ。

 舞奈の言葉ではないが、コアなアイドルファンでは普通のない人々にとっては「最初に世の中に出てきた時のメンバーだけを、そのグループのメンバーとして認識している」というのは事実だろう。

 中心メンバーとしての2人がいなくなることは「WISHというグループは変わってしまった」もっと大袈裟に言うと「WISHは終わった」と世間的に認識される可能性があるということだ。

 コアなドルオタでなければ大抵はその程度の認識だ。

 そして一度流行したものに対して「○○は終わった!」と声高に言いたがる人間が一定数いるのもどうしようもない事実だ。


 色々と思案をしていると、社長が少し言いにくそうに口を開いた。

 

「それとね、これはまだ内々の話なんだけど……滝本先生がWISHの姉妹グループを構想中なんですって……」


(……俺が生きてきた世界線とは違ってきている!)


 そんな話は俺が生きていた元の世界では聞いたこともなかった。

 大プロデューサー滝本篤はさらなる野望を持ち、WISHの妹分グループを作ることによって芸能界での地位を確固たるものにしようと言うのだろうか?

 もちろんグループを増やすことでファンの分母も増やし、アイドル全体で見れば人気は広く長いものになるかもしれない。

 だが目新しいものに惹かれるのもオタクの一つのさがだ。いや、これは人としての性かもしれない。

 人気は分散し、新しいグループの方に人気は集中する可能性は高い。

 もちろん滝本グループやアイドル文化全体を見れば、それは良いことなのかもしれない。

 だがWISHのマネージャーとして……そしてそこに自分を捧げることを誓った私としては、WISHこそが他の何をおいても最も大事な存在であることは言うまでもない。


(もしWISHの人気が急降下し、解散なんて事態になったら俺の命はどうなってしまうんだろうか?)


 天使ちゃんはそうした事態については一切説明をしなかった。

 というか天使ちゃんという人知を超えた存在にもこうした事態は想定出来なかったことなのではないだろうか?未来は誰のものでもないのだ。


(バタフライエフェクトか……)


 ふとそんな言葉が浮かんだ。

 蝶の羽ばたきのようなほんの些細な動きが巡り巡って大きな変化をもたらす……という意味だろうか。

 俺、松島寛太が小田嶋麻衣として転生した。

 マネージャーというかなり近しい立場に身を置いているわけだから、蝶の羽ばたきよりは直接的にWISHに関わっていることは間違いないだろう。

 もちろん因果関係は定かではないが、私が小田嶋麻衣として転生してきたこと……そしてマネージャーとしてのWISHのメンバーに関わってきたことは、こうした事態の変化と無縁ではないのかもしれない。


「それでね、麻衣ちゃん。一つ提案というかお願いがあるんだけどね……」


 社長の声が妙に優しい音色に変わった。


 ……どう考えても嫌な予感しかしなかった。



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