33話 突然の来訪

  握手会の休憩時間になった。やや長い30分間のお昼の休憩だ。


 俺にはもう舞奈に掛ける言葉が思いつかなかった。

 今の舞奈からはアイドル活動を続けていこうとする気持ちが感じられなかったからだ。


 これでは何を言っても無意味だ。マネージャーとして掛けられる言葉はアイドルとしての桜木舞奈に対してだけだ。そこから外れた一個人としての彼女に対して踏み込むのは幾ら彼女がまだ17歳の高校生だとしても、マネージャーの権限を超えたもののように思えた。


 休憩用の楽屋は本来5~6人のメンバーに割り当てられたものだったのだが、舞奈の雰囲気から何かを察したのか、他のメンバーは皆別の場所に移動してしまっていた。

 舞奈はケータリングのサンドイッチを食べながら、無言でスマホをいじっていた。

 気まずい雰囲気が小さな楽屋をとても広く感じさせる。


(マネージャーなんて無力なものなのかもな。……いやそりゃあ、アイドル本人に比べればそうに決まっているんだけどさ……)




 コンコンコンコン! 

 不意に大きなノックの音がして、俺は必要以上に驚いた。

 そしてこちらの反応も待たずにドアが開けられた。


「ヤッホー!麻衣ちゃん元気?会いたかったよ~!」


「希さん!?」


 入ってきたのはWISHのエースであり、先日まで俺が担当していた黒木希その人だった。


「あの、希さん申し訳ないんですが、ちょっと今は……」


 希は例によってどこまで本気か分からない、いつもの完璧な笑顔を見せつけてきた。

 メンバーといる時の彼女はほとんどこのテンションだった。クールな美人という公式なイメージ通りに振舞っていることはほとんどない。それが彼女の本当の姿なのかもしれないし、他のメンバーが接しやすいようにあえてそう振舞っているのかもしれない。

 彼女と共に地元に行った時は間違いなく彼女の心を掴めた気がしたが、少しの期間離れただけでそんなものはとっくにどこかへ消えていた。

 でも……それでも、希が私に好意を持っているのは伝わってきた。


「え~、何でよ?私が麻衣ちゃんに会いにせっかく来てあげたのよ?それに、私と麻衣ちゃんなんて……キ、ス、までした仲じゃない?」


「ちょ、ちょ、ちょっと希さん!」


 希の口から飛び出た言葉に俺は思わず吹き出しそうになる。

 希は頬に手を当て、わざとらしく大袈裟に恥ずかしがるポーズをしていた。

 ……やはり、あの新幹線の中での出来事は夢じゃなかったのか?

 ……いや、でも、この人ならこっちの記憶が曖昧なことも見越した上でからかっているんじゃないだろうか?


 ガタン! 

 不意に舞奈が椅子から立ち上がった。

 その殺気に思わず俺は固まる。今の不安定な精神状態の舞奈なら、物でも投げてくるんじゃないだろうか、あるいは暴れ回るんじゃないかと、思わず身構えたくらいだった。


「……ごちそうさまでした」


 だが、舞奈は俺と希のことなど眼中にないかのように、サンドイッチの入っていた容器をゴミ箱に片付けに立ち上がっただけだった。

 ……いや、それだけじゃないよ絶対!今背中に思いっきり殺気が宿ってたもん!


「あ、ごめんね!舞奈ちゃん。まだ高校生の舞奈ちゃんの前でこんな話しちゃって」


 希は舞奈に向かってそう声を掛けた。


「!!……い、いえ、別に全然大丈夫です、けど……」


 突然希に話し掛けられたことに、舞奈は明らかに動揺していた。

 俺も舞奈と同じくらい驚いた。

 話した内容にというよりも、そもそも希が舞奈のことをきちんと認識していることに驚いたというのが正直なところだ。


 以前説明したようにアンダーの舞奈と、選抜でありWISHの大看板の希とでは立場が違う……というよりもほとんど接点がないのである。

 希が舞奈と同じ現場に立ったのは例の全国ツアーくらいの時だけだろう。

 一緒と言っても40人以上のメンバーの内の1人というだけだし、接点はほぼないと言って良いだろう。


 特に希はWISH以外での仕事が多いので、付き合いの浅い3期生の事情には疎いだろう、というイメージしかなかった。

 そんな希が、舞奈の名前をきちんと覚えていて、しかも高校生であるということまでしっかりと把握していたのだ。

 舞奈が驚いたのは、いきなり憧れの希に話し掛けられたということよりも、自分のことを認識しているとは思っていなかったからだろう。


「あ、ごめん!私、もうすぐ休憩時間終わっちゃうんだった!もう行くね!」


 そう言うと希はニコリと微笑み、再びドアの外に出ていった。


「……あ、え?ちょっと希さん!……まったく、もう。何しに来たんですか?」


 慌ただしく空気をかき乱していった希の背中に弱々しい言葉を俺は掛けたが、恐らく聞こえてはいなかっただろう。


「希さんは、ここから長いですからね……」


 ポツリと呟いたのは隣にいた舞奈だった。

 その言葉に俺はハッとする。

 人気ナンバーワンの希は、当然握手しなけらばならないファンの数も最も多く、握手にかかる時間も最も長い。こうして休憩時間を短くしても、朝から夜までファンと握手をしなければならないのだ。

 人気のメンバーはこうした大変さを常に抱えている。


 しかしもちろん、人気がないメンバーもそれはそれで大変だ。

 メンバー自身は自分の人気と他のメンバーとの人気の差にとても敏感だ。

 WISHでは投票イベントなどによって明確な順位を付けているわけではないが、握手会ではその差が明らかに出る。自分のレーンに並ぶお客さんの数と、隣のレーンに並ぶお客さんの数が一目で分かるのだ。露骨な可視化と言っていいだろう。

 今回の握手会ではメンバーが2人、または3人で1レーンとなっているので、その辺りは少しマイルドになっているが、1人1レーンの場合は露骨だ。言い訳のしようがない。

 もちろん、こうしたことがメンバーのストレスの一因となっていることは間違いない。こうした光景を目の当たりにする度に自分がメンバーになっていなくて良かった……とつくづく思うのである。




「そんなことより、麻衣さん?希さんが『キスまでした仲』っておっしゃってましたけど……アレはどういう意味なんですか?」


 しばらく間が空いたので、舞奈には聞こえていなかったのかとホッとしていたのだが……うーむ、そうはいかなかったか……。

 舞奈の表情には以前のアイドルらしい笑みが戻っていたが、微笑む口元は明らかにピクピクと引きつっていた。

 ……うーむ、どう言い訳すれば切り抜けられるかなぁ?

 俺は必死で頭を回した。



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