SCENE:3‐7 23時00分 海砦レムレス 管理区 曼荼羅ガレージ

無線機のような衛星電話に着信が入り、ユークは電話に出た。

さりゅの声が聞こえ、慌てて部屋を抜け出す。リビングと一続きになったパソコンルームにネムルがいたためだ。


ネムルは何やら夢中になっていることがあるらしく、ユークが部屋を抜け出しても気づかない。

先に晩御飯を食べさせておいて良かったわ、とユークは思った。


 着信は、さりゅからだった。


――ユークちゃん!


「さりゅ! どこにいるの? 無事?」


――うん。元気だよ。今はね、リリーさんのホテルにいるの。


「あの女に、変なことされていないわよね?」


――変なこと?


「怖い場所に連れていかれたり、変な薬を飲まされて眠らされたり……」


――あははは。そんなことされてないよ。ユークちゃんは心配性だなあ!


「そう。それなら、良いのだけれど……」


 でもあなた、自分の置かれている状況に気づかないことが多いのよね。


 これは心の中で付け足す。


「それで、これからどうするつもり?」


――あのね、リリーさんが今日はうちに泊まっていってって、断りきれなくて。それで、リリーさんの衛星電話を借りて、ユークちゃんに電話してるの。

その、お兄ちゃんのことが心配で……。


「渚に関してはよく気が回るわね。さすが妹というべきかしら」


――お兄ちゃんのことだから、今頃血眼になって街中を探しているんじゃないかって、心配になっちゃって。


「大丈夫。そんなことにならないように、上手く言いくるめておいたわ。あなたは部活動の帰りに、うちに泊まりに来ることになっているから」


――さすがユークちゃん!


「それでも嘘は嘘だから、明日はちゃんと家に帰らないと駄目よ。なんならリリーの泊まっているホテルまで迎えに行きましょうか?」


束の間の沈黙の裏で、リリーの声が聞こえる。内容までは聞き取れないが、さりゅに何かを伝えているようだ。


 しばらくして、再びさりゅが電話に出た。


――リリーさんがね、レムレスまで送ってくれるって言ってる。


「その言葉、信じていいものかしら……」


――リリーさん、ネムルちゃんに用事があるみたい。私の送迎はそのついでだって。


 用事。それはおそらく、ネムルに預けたパソコンの件だろう。一応の辻褄つじつまは合う。


「なるべく早くレムレスに来るように言ってちょうだい。くれぐれもあの女の強引さに引っ張られないようにね。何か事件が起こったら、すぐ逃げるのよ。なんなら武器になるようなものを身につけておいて。食べ物や飲み物をふるまわれたら、相手が口にするまで待つこと。銃撃戦になったら腰を低くして、安全な場所に逃げ込んで。いざとなったら、殺り合う覚悟も必要よ。分かった?」


――う、うん。分かった。分からないけど、分かった。


「それじゃあ、明日ね」


――うん。おやすみなさい。


通話が途切れると同時に、ガチャリとリビングのドアが開く。


ユークは飛び上がり、慌てて衛星電話を隠す。


振り返ればネムルが、不思議そうな顔でユークを見下ろしていた。


「ユーク、こんなところで何をしているんだ?」


「ええっと、ちょっと立ちくらみが……」


「た、立ちくらみ!?」


とっさに出た方便に、なぜかネムルの顔が真っ青になる。立ちくらみ……、立ちくらみ……。抑揚のない声で繰り返しながら、その場を右往左往する。


「も、もしものことがあっては大変だ……とにかく研究室へ行こう」


ネムルは鼻をすすりながら、よろよろと階段を登っていく。

「曼荼羅ガレージ」の三階は彼女の研究室になっていて、ありとあらゆる工具や器具が揃っているのだ。


 優しい仕草でユークをテーブルの上に座らせたネムルは、すぐさま救急箱を取りにいく。

箱に入っているのは人間用の薬ではなく、フィジカル・ヴィークルの身体を開くための特殊な工具だ。


「あの……さっき言ったこと、嘘です」


「大丈夫だ。ボクが診てあげる」


「本当は、電話してただけなんです」


「落ち着け、きっと何の異常もない。大丈夫、大丈夫」


「さりゅは海斗のことが好きです。海斗は陸太のことが好きで、陸太はさりゅのことが好きです。それから、ネムルさんが大事にとっておいたチーズケーキを食べたのは渚です」


「ユークは健康だ。これは杞憂、ユークが故障するわけない。仮に故障したとしても、救済措置はいくらでもある……」


「ああ、何を言ってもダメだわ」


観念したユークは大人しく着ていたシャツを脱いだ。


 むきだしになった背中には、皮膚に同化したネジがある。このネジを捻れば、皮膚に埋まった扉のような点検口が出現し、機械仕掛けの体内を検査できるという仕組みだ。


 骨代わりの鉄骨と、血管代わりのガソリン管、毛細血管みたく身体中に張り巡らされたコードの中は、時速200キロで電流が駆け回っている。

自分で触れたことはないが、中身はかなり冷たいらしい。筋肉の質感を表現する役割もある冷却水が、絶えず発熱する機械部品を冷やしているためだ。


 ユークはメンテナンスが好きではない。


 図らずもネムルの指が神経回路に触れてしまったときの、ダイレクトに脳に伝わる感触は生々しいし、何より自分の身体が機械でできていることを自覚せざるを得ず、やるせない気持ちになるのだ。


 歯医者を嫌う子供みたいに、月に一度行われるこの検査を、我慢しながら受けている。


 今回も時計の針を見ながら時が過ぎるのを待つユークだったが、なかなかネムルの点検は終わらない。いつもより入念に、不具合がないか調べているようだ。


「ネムルさん、もうそろそろ……」と耐えきれずユークが口を開いた。


そのとき、


「ひっ、やぁあんっ!」


快楽の電流が脳を貫いた。


「ぅああぁぁぁ……っ」


味わったことのない衝撃を受けてユークの身体が大きくのけぞる。


悩ましげな声に驚いてテーブルから転げ落ちそうになったネムルは、慌てて体制を立て直す。


「ご、ごめん……うっかり性感コードに触れてしまったようだ」


「せっ、せいか……ん?」


「性的快感を誘発する、エッチなコードだ」


「なっ……!」


なんでそんなもの付けてるのよっ!


 ツッコミたい気持ちは山々だが言葉が出ない。心臓代わりのガソリン袋がどくどくと荒い収縮を繰り返している。力の抜けた身体は重く、思うように動かせない。


 裸の上半身に吹き付ける風はひどく冷たかった。


「こ、こんな機能、今すぐ外してください……」


なんとかそう言うと、ユークはため息を吐く。


「まあまあ、そんなことを言うな」


背中から引っ張り出したコードを、丁寧に内部へ戻しながらネムルは言う。


「呼び名がアレなら“恋するコード”とでも呼ぶが良い。これは、ユークが生身の肉体を感じるためについている機能なんだ」


「恋する、コード……」


「うん。君もいつか、誰かと恋に落ちることがあるかも知れない。そんなとき、普通の女の子と同じように、ドキドキしてほしいと思ってね」


 恋。ユークは心の中でその言葉を繰り返す。


 恋。


 最近、やけにこの単語を聞いている気がする。


 陸太のせいだ。


「ネムルさんも、恋をしたこと、あるんですか?」


「もちろんあるよ。今もしてる。親愛なるそいつは黄色くて、甘くて、ふわふわしていて、いつもお皿の上に乗っかっているんだ」


「……卵焼きじゃないですか」


「そいつのことを考えると、ドキドキして、冷や汗が出て、激しいめまいがするんだよ」


「それ、世間では“禁断症状”って言うんですよ」


あはははは、とネムルが笑う。


その声に大人の余裕を感じて、小さな頭痛がユークを襲った。


 その頭痛は、彼女の意思とは関係ないところで、ネムルと同じ肉体年齢を生きる頭脳が歯ぎしりした痛みだった。


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