クリスマスの後、もう少しだけ。

れも

前編


「それじゃ、アタシはカレシとデートだから」

 

 終礼を済ませたと同時に、知沙希は小生意気なウインクと捨て台詞を吐いて教室を飛び出していった。


 今年のクリスマスイブは高校の終業式と同じ日だった。

 耳を澄ませば「制服デート」がどうとか聞こえてくる。


 知沙希は三年生になってからつるむようになった、一応、友達のような存在。浅くて、だけど気の置けない関係。

 彼女とは生き方や感性が似ているように思う。気の向くまま、学校は平気でサボタージュするし、施錠されている校舎の屋上の鍵を二人でこじ開けて、善良な生徒では味わえない風に吹かれて不良を気取ってみたりもした。


 県内有数の進学校では、私たちが浮いた存在になるのに時間はかからなかった。二年まではそれぞれ一人で行動していたけど、たまたま三年で同じクラスになって自然と二人でいるようになった。一匹オオカミの行き先にもう一匹オオカミが鉢合わせた感じ。


 互いに深く干渉しない。それが暗黙の了解だった。……とは言うものの、彼氏ができたってことぐらいは言えよ。


「はあぁ」


 寂しさと苛立ちを大げさなため息に込めてみる。今日は知沙希と過ごすことになるだろうと一人で思っていた。

 教室の窓の外を見ると、空は厚い雲で覆われ淀んでいた。時計を見ないと今が正午前だと判断できないほどに。


「生駒」


 不意に私の名前を呼ぶ声がした。振り返ると、声の主以外の生徒はもう教室には残っていなかった。


「桜井……サン?」

「教室の鍵閉めなきゃだから、早く出てくれない?」


 飾り気のない鍵を私に見えるように指にぶら下げ、呆れた調子で続ける。


「それとも生駒が職員室まで鍵持っていく?」

「へえへえ、今出ますよっと」


 今日をどう過ごすか決められないまま、重い足取りで桜井さんの待つ出口へ向かう。


 ピンと伸びた背筋。着崩さない制服。艶のある黒のロングヘアは後頭部でひとつにまとめられている。加えてブラウンがベースの毛羽立っていないマフラーにファミリアの紺の手提げ袋。私と正反対の、神戸の模範的な女学生を体現したような存在だ。極めつけにクラスの委員長でもある。the優等生、性格は少しきつい。


 そんな彼女に対し、ある違和感を覚えた。


「桜井さんなのに、ひとり?」

「なのにって何よ」


 桜井さんといえば皆の人気者で頼られる存在で。学校行事に参加しない知沙希や私を叱りつける胆力も持っている。


「クラスの打ち上げに行くんじゃないの」


 何日か前、男子生徒に誘いの声をかけられた。即答で「いい」と返すと、ホッと一息ついて戻っていった。わざわざ全員に聞くなんて律義な奴だ。


「いつものお友達は、桜井さん?」


さっきのため息で私の鬱憤は晴らし切れなかったらしい。桜井さんに憎まれ口を叩いて問いかける。


 この一年、私と桜井さんでしてきたような、喧嘩一歩手前のやりとりが始まると思っていた。知沙希とはまた違った遠慮のいらない彼女との会話は、結構気に入っていた。


 しかし今日に限っては、桜井さんは返事もなくうつむいてしまった。痛い所を突かれてしまったかのような焦った顔ではなく、ただ退屈そうな、憂鬱な表情を浮かべている。


「多分、行かない。あと、私のことも呼び捨てでいいって今まで何度も言ってる」

「行けばいいじゃん、桜井さん」

「行かないって言ったでしょ」


 その声にはいつもの堂々とした覇気がなかった。

 私の挑発に返す元気もないらしい。


「別の予定もないと」

「……家で受験勉強」

「天下の桜井サマが高校最後のクリスマスにぼっちって」


 プププと擬音が付きそうな調子でいじってみるものの、またも手ごたえがない。私のニヤケ顔を強調して桜井に近づけると、ようやく眉をひそめ不快感を示した。だけどそれも長く続かず、桜井は教室の施錠を済ませると私に背を向けて歩き出そうとしていた。


「それじゃ、よいお年を」

「ストーーップ!」

「なに?」


 彼女の無視が私にとっての挑発だ。きっとそうだ。

 だから私は、挑発に乗って、わざわざ自分の時間を犠牲にして彼女に構うだけなんだ。


「ちょっと付き合えよ、桜井」


 私は彼女の、まるで人形のように爪の先まで綺麗に整った手をぎゅっと掴んで引き留めたのだった。



―――



「それで生駒、どこに連れて行くの」

「神のみぞ、いや、私のみぞ知るってね」


 退屈な時間が徐々に潤い出した私は上機嫌だった。

 校舎を出た途端に吹き抜けた真冬の凍えた風に臆することなく、ズンズンと歩いてゆく。

 対照的に桜井は怪訝そうな表情のまま、寒さで更に顔が歪む。私の半歩後方でぶっきらぼうな声をあげた。


「生駒アンタ寒くないの」

「おしゃれは我慢だよ桜井くん」


 振り向くと、桜井は私の足先から頭にかけて人差し指を上下に動かしていた。

 折って短くしたスカートとハイソックスの間で露出している私の脚や、ボタンをかけずオープンにしているブレザー。セミショートヘアの隙間から耳に風が当たり、感覚は冷たいを通り越してもはや痛い。

 対して桜井は厚手の黒タイツに学校指定のコートのボタンを一番上までかけて、冷気をシャットアウトしていた。唯一露出している顔の鼻筋はスッと通っていて、きつくなりすぎないツリ目と合わさり、間違いなく美人と言って差し支えないだろう。

 私のこだわった身だしなみなんて意味をなさず、今の状態で二人並んでも桜井のほうがモテるだろうなと思う。


「ベックシ!」

「言わんこっちゃない」


 女子力とモテ力は違うのかと嘆いていると、その心の隙間に北風が吹き込んだ。くしゃみの後に出てくる鼻水をズズズとすする。

 すると桜井はいつの間にか私の横にいて、ポケットティッシュを差し出していた。ご丁寧に布地のカバーがつけてあって、チープなビニールを暖かく包んでいた。


「……使いなよ」

「え、あ、うん」


 かんだ後のティッシュは返すわけないからブレザーのポケットに突っ込もうとしたら、桜井は既に小さなコンビニの袋をバサッと広げて、口を開いていた。


「ん」

「なんだか悪いね」


 遠慮なく彼女の厚意を受け入れる。


「予定のある人間を無理やり連れ回す方がよっぽど悪いと思うけど」

「それじゃここで別れる?」


 私たちは学校最寄りの駅に到着していた。私と桜井の家は確か反対方向だ。桜井が三ノ宮方面で私が梅田方面。


「どこに行くかによる」

「ふむ」


 実は行き先なんて決めてなかった。適当に三ノ宮でブラブラしようと思ったけど、そうしたら私が桜井について行く形になり、「連れ回す感」が薄れてしまう。


「いい場所だったらついてくるんだ」

「別に、勉強は帰ってからやればいいし」


 生駒はしないんだろうけど、と一言余計に付け足された。そうですよ、どうせ私は高三の十二月にして進学か就職かさえ決まってないちゃらんぽらんですよ。

 頭に血が登りつつあった時、とある地名がテレビのコマーシャルのフレーズと共に頭に浮かんだ。


「そうだ!京都、行こう」


 彼女の返事を待たずして、再び桜井の手を取って二人で二番線へと繋がる階段を登って行った。


 電車内は暖房が効いて、吹きさらしのホームで冷えた体がすぐに温まっていく。桜井も車内に入ると、小さくホッと一息ついていた。

 二人並んで縦長の座席に座る。平日の昼間だから車内は空いていて、どちらとも言うことなく私と桜井は少し距離を開けて座った。友達になった覚えもないし、向こうも同じだろう。

 終点の河原町まで二回乗り換えたけど、お互い口を開くことはなかった。それどころか、桜井は途中からうつらうつらと目を閉じていた。


「まつ毛長いな」


 彼女の寝顔は受験勉強の疲れを映し出しているように感じた。



 高校生活の最後には大学受験が待っているぞと、入学式で偉い先生から言い渡された。一つ上の学年、その上の学年、きっと皆そう言い聞かされて高校生活が始まったのだろう。

 入学したその日から私は息苦しさを感じていて、実体のないその空気から逃げるように過ごしてきた。

 将来なんかわからないのに、やらなきゃいけないことは決められている。進学校だから、高校生だから、大人になる前の時期だから、先が見えなくても進み続けるしかない。

 そして気がつくと、二年九か月の月日が経っていた。将来のことがわかる人もわからない人も、進路の選択を終え、卒業はもうすぐそこまで迫っていた。


 隣で眠る桜井も、きっと自分で選択した道を進んでいるのだろう。

 車窓の外は依然として曇天が広がり太陽を覆い隠していた。憂鬱な気分が加速する。


 受験勉強も就活もしていない私と、目標に向かって邁進する彼女。

 私は桜井にすがっている?それとも慰めてほしい?

 湧いて出たモヤモヤした気持ちを、高校での息苦しさと一緒くたにして、ひとまず胸の奥底に放り込んだ。

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