第8話 お侍さん、冒険者の話に驚く

 ────此奴等こいつら、ここで斬り捨てておくべきか?


 助太刀した者たちと会話しながら、黒須は頭を悩ませていた。

 命を救われたなどと大袈裟おおげさなことを口にしているが、どいつもこいつも武器を手放して隙だらけだ。唯一まともに戦えそうな大男は霍乱かくらんでも起こしたのか呑気のんきに座り込んでいる。


 先ほどの戦いの様子や使い込まれた武器の具合から察するに完全な素人ではないが、初対面の兵法者の前でこれだけ不用心を晒すとなると、殺し合いを常とする種類の人間ではないことは容易に想像がつく。


 女子供を斬るのは心苦しいが、今なら一息で四人ともれる────。



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 何年か前、気まぐれで立ち寄った港町で新鮮な海の幸に舌鼓を打ち、舶来品はくらいひんを並べている露店を冷やかしていた時だ。


 港の辺りが急に騒がしくなり、何事かと野次馬根性に駆られて見物に向かうと、停泊した船から珍妙な面貌めんぼうの男たちが降りて来るところだった。


 奇天烈きてれつな装束に身を包み、大きく突き出した鼻に深く窪んだ両眼。ボサボサの髪の毛やひげ赤狗あかいぬのような色をしている。物珍しさから無遠慮に向けられている好奇の目を気にすることもなく積荷を運び、訳の分からない言葉を口にしていた。


「お武家さん、異人が珍しいのかい?」


 不思議に思っていたのが顔に出ていたのか、煙管きせるくわえた漁師衆の一人が声を掛けてきた。


「ああ。話には聞いたことがあるが、実際見るのは初めてだ。あれが唐人とうじんとかいう連中か?」


「そいつぁ古い呼び方だ。お侍なら蒙古もうこ大陸たいりくは知ってんだろ? 唐人ってのは俺らと見た目は変わんねぇ、海を挟んですぐ向かいに住んでる奴らのことさ」


「鎌倉の時代に攻めてきたという異人か。なら奴らは?」


「ありゃあ阿蘭陀おらんだって国から何ヶ月も掛けて船に乗ってきた連中よ。アイツらみてぇな妙ちくりんを、今どきは南蛮人なんばんじんとか紅毛人こうもうじんって呼ぶんだぜ」


 どこか得意気に語る男は気を良くしたのか、こちらに煙管を勧めてきた。紫煙は肺を弱くするため丁重に断り、さらに問う。


「異人に種類があるのか? 皆同じ所から来ているとばかり思っていたが」


「俺の友達ダチ通詞つうじをやってるお役人がいてよ、そいつが言うには遥か遠くの海の向こうにゃ数え切れねえほど沢山の国があんだとさ。それぞれの国にゃ俺らとは文化も風習も丸きし違う連中が暮らしてて、日本ひのもととはまるで別世界ってぇ話しだ」


「遥か遠くの国か……。どおりで随分と草臥くたびれて見える。にしても御仁ごじん、やけに詳しいな」


「いやぁ、実はその友達に誘われてな。船の中に南蛮の宣教師ぼうずがいてよ、そいつの語る伴天連ばてれんが面白ぇんだ。よかったらお武家さんも一緒にどうだい?」


「伴天連の神が切った張ったに寛大かんだいならな。切支丹キリシタンの門徒は不殺が信条で、破れば地獄行きと聞く。戦場いくさばに出ない大名連中には流行りらしいが、武者修行中の武士に似合うと思うか?」


「ははっ! そいつぁちげぇねえ! 今朝方も大捕物おおとりものがあってよ、槍で名高い恩生院おんしょういんの僧兵を斬った"黒鬼"って侍が番士を殴って関所破せきしょやぶりだとよ。二本差しを見りゃ手当り次第に襲う気狂きぐるいらしいから、お武家さんも気をつけなよ」


「……ああ、礼を言う」



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 久方ぶりの難敵の登場に舞い上がり、思わず助けてしまったが……森で出逢った連中は、異人によく似た特徴を持っていた。


「立てるか?」


「今はちょっと無理そうだけど、少し休めばなんとか……。それより助かったよ。君は命の恩人だ」


「………………。いや、構わん。こちらとしても面白い相手と戦えて満足だ」


 巨人に殴られた男に声を掛けると、返事が返ってきた。その口調は淀みなく、とても一朝一夕で身につけたような練度ではない。


 そもそも、木陰で観察していた時から妙だと思っていたのだ。顔立ち、体格、装束、武具。連中はどこをどう見ても日本人には見えないが、こちらの存在に気が付く前から当然のように日本語やまとことばを話していた。


 ……流暢な日本語を話す武装した異人の一派か。どう考えても怪しいな。


 まず最初に頭に浮かんだのは"異国の間者かんじゃ"。この森に迷い込む前に歩いていた峠道は海から遠く離れた山国だ。海辺の近くならまだしも、こんな所に南蛮船の関係者が彷徨うろついているはずがない。


 数百年前のように、また戦でも仕掛けるつもりか?


 黒須は不審感を悟られぬよう、大雑把な自己紹介をしながら彼らの容姿を観察した。事と次第によっては公儀こうぎに進言すべき案件かも知れず、人相をできるだけ覚えておこうと考えたのだ。


 フランツは甲冑を着た大柄な偉丈夫いじょうぶだ。兜はしておらず、短く刈った金髪に碧眼へきがん、人の良さそうな面構え。片手剣を腰に吊り、左の前腕には巨人に殴られてひしゃげた小盾をつけている。


 バルトは大鎧に牛角の脇立わきだてが付いた兜を被った背の低い老人。歳の割に恰幅が良く、やたらと手足が太い。臍まで伸ばした立派な白髭を三つ編みにして揺らし、自分の背丈と変わらないほどの大盾を背負っている。濃紺の眼には年齢を重ねた者が持つ独特の思慮深さがあり、四人の中では唯一こちらを警戒するような仕草を見せた。


 パメラは深草色ふかくさいろの丈が長いゆったりとした羽織りを着て、杖頭じょうとう紅玉こうぎょくらしき宝石がめ込まれた立派な杖を持っている。武器として使うにはいささか装飾過多な気がするので、戦闘要員ではないのかもしれない。肩まで伸ばした紅髪に緑眼りょくがん、意思の弱そうな顔をしている娘だ。


 マウリは弓を持った小さな子供。まだ幼く、恐らく元服も済んでいないだろう。使い古したボロボロの革鎧を着て、腰の帯革おびかわに小刀や物入れなどをいくつも取り付けている。癖のある明るい茶髪に茶色の眼、子供にしては少々目つきが悪い。


 しかし……ようやくまともな人間に出逢えたかと思えば、寄りによって異人とは。


 黒須は己の天運の無さを内心で呪い、いつでも刀を抜けるよう柄に手をかけながら彼らとの会話に意識を戻した。



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 彼らの口から飛び出したのは信じ難い話の数々だった。


 ここは"魔の森"と呼ばれる大森林の中であり、"ファラス王国"という国の最西端に位置していること。先ほどの巨人は物怪もののけではなく"魔物"と呼ばれる存在であり、獣と違って人を恐れず、人にあだなす生き物の総称であること。魔物は別段珍しい存在ではなく、多種多様な種類がそこら中を闊歩かっぽしていること。そして、彼らはそんな魔物を狩ることを生業としている"冒険者"という職についていること。


 まさに荒唐無稽こうとうむけい。とても素直に受け入れられるような話ではない。


 しかし、そんな夢物語を話す彼らからは人を欺こうとするような悪意は見て取れず、むしろ命を助けられたことを恩義に思い、できるだけ丁寧に説明しようという誠意すら感じるほどだった。

 世間知らずの武士を騙そうとする詐欺師は存外に多く、黒須はその手の害意に敏感な方だ。これまで勘を信じて外したことは一度もない。


 嘘を言っているようには思えない。思えないが…………


 教わった情報をじっくりと咀嚼そしゃくし、ありとあらゆる可能性を考え……突拍子もない可能性に思い至る。


 思い出したのは港町で逢った漁師の言葉だ。『海を渡った遥か遠くには、日本とは全く異なる文化風習を持った人々が暮らす別世界のような国がある』あの漁師は確か、そんなことを言っていた。


 百歩譲ってこいつらの言葉を信じるならば、俺は……異国に来てしまったのではないか?


 当然、海を渡った覚えなどない。しかし、彼らの語る内容はあまりにも自分の常識とはかけ離れている。離れ過ぎている。

 頭のおかしな考えだと自分でも思うが、すぐそこを見れば、実際に化け物としか言いようのない巨人の遺体が転がっているのだ。あんな巨人モノがそこら中にいるだと? 少し風習の違う町に迷い込んでしまったなどという生易しい差ではない。


 いや、しかし、まさか……

 ………………………

 …………………

 ……………

 ……ッ!


 ぐるぐると思考の海に沈んでいたが、ふと、己が無様にも狼狽ろうばいしていることに気がついた。


 ────よし、考えるのは止めだ。


 思考を切り替える。考えても分からない時はまず前進する、武士の鉄則。理解し難い状況であっても、慌てふためくなど許されるはずもない。


 彼らの言葉が嘘かまことか。ここが異国なのかいなか。

 どちらも実際に人里に行ってみれば分かることだ。


 決意を新たに町への道案内を頼むと、フランツたちはあっさりと承諾してくれた。



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 町へ向かう道中、黒須は会話をしながら冒険者の観察を続けていた。ここまでの会話で彼らはとても友好的だと感じていたが、完全に信用するつもりはない。


 これまでも数え切れないほど不意討ち騙し討ちを受けてきた。油断した瞬間を狙っていることも十分に考えられる。


 とはいえ、体格の良いフランツ以外はとても戦うことを生業とする者には見えない。どんな因果で女子供や老人が冒険者などという職についているのかは知らないが……。

 特に、マウリという口の悪い子供は、どう見てもまだ十歳を少し超えたくらいだ。そんな幼子が重い荷物を背負ったりしているので、黒須は思わず手助けしてしまった。


 とりあえず、警戒すべきはフランツだな…………


 巨人との戦いである程度その実力は見えていたが、黒須は異人と戦った経験がないのだ。異国の冒険者、どんな兵法を身につけているか分かったものではない。


 少し試してやろうと考え、声を掛けながらフランツの左側に並んでみる。


「これから向かう町はどんな所だ?」


「辺境都市アンギラって街だよ。魔の森が近くて、領内に迷宮ダンジョンもあるからね。"冒険者の楽園"って呼ばれてる大きな街さ」


 …………無反応。武芸者なら本能的に警戒してしまう位置に踏み込んだのだが。


 刀の届く間合いで左側に立たれると、相手の左腰にある刀が死角になる。つまり、不意を突かれて居合の抜き打ちを食らう恐れのある危険な位置だ。実際にその気があれば、今この瞬間にもフランツの首を落とすことができる。まばたき一つの時間もかからない。


 武士同士であれば、並んで歩く時に相手の右側には絶対に立たない。そもそも相手の間合いに入ること自体が無作法とされているのだ。今のように無遠慮に間合いに踏み込めば、その瞬間に敵意ありと見なされ抜刀されても文句は言えない。


 この位置に立たれて無反応ということは、こちらの攻撃をまったく警戒していないか、もしくは先に抜かれても迎撃する自信があるかのどちらかだろう。


 フランツを見ると、黒須が返事を返さなかったことを疑問に思ったのか、困ったような顔で口を開けたり閉じたりしている。


 ……この様子では、前者だろうな。


 その後も色々と仕掛けてみるが、逆にこちらが心配になるほど隙だらけだった。


 いくら命を救われたといえ、帯刀した相手に対して無防備過ぎる……。冒険者とは魔物との戦いが日常だと言っていたが、これでよくここまで生きていられたものだ。


 念の為に他の者にも試してみるが、結果はフランツと大差なかった。こちらを怪しんでいたバルトでさえ、真横で鯉口を切られたにも関わず『その剣を見せてくれ! 金なら払うぞ!』と大騒ぎだ。


 途中からやっていて馬鹿らしくなってしまい、黒須は彼らへの警戒を大幅に緩めたのだった。

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