第八話

 さて、戦況は刻一刻と深まりつつある。

 後に御所は現在の位置に移転したが、この戦の当時――一二世紀半ば――にはもっと西に在った。つまり後白河天皇方の軍勢は、崇徳上皇方の立て籠もる白河北殿に西の方角から押し寄せてきた。

 それに先立ち、寄せ手の各部隊が物見の者達を一斉に放っている。

「馬を使うな。具足も全て脱いで行け!」

 と若党に物見を命じたのは、天皇方総大将の下野守義朝である。

 若い頃から嫌という程、戦を経験している。

 そのため馬のいななきや具足の発する擦過音で、敵に勘付かれることを熟知している。なので注意深く、軽装で走って物見に行けと命じた。

 ところが在京の武家は、実戦経験の無い者が多い。幾つかの部隊は不用心にも、騎馬にて物見に行かせた。上皇方の為朝が、いちはやく天皇方の襲来に気付いたのはそのためである。

「北殿南西の御門は、数百の兵にて固められておりまする。西側の御門の警固の方が、手薄かと……。大男が一人、路上で悠々と小便しておりましたわ」

 と物見の者から報告を受けたのは、天皇方の安芸守平清盛である。

「大男?」

「見たこともない大男でござる。六尺どころか七尺はゆうにあろうかと。何と、へのこゝゝゝまで特大でござった」

「へのこなんざ、どうでも良いわ! ……まあ、それはともかくとして、其奴は近頃噂の、鎮西八郎為朝であろう」

「左様かと。……試しに矢を三つばかし射掛けましたが、まるで動じず悠々たるもので」

「ほう」

 清盛はニヤリと笑う。

「為朝はわずかな供回りのみ引き連れ、近頃上洛したばかりと聞く。さればその方面の警固は、手薄と見て相違あるまい」

「いかにも」

 実は、清盛は為朝に対し少なからぬ恨みがある。清盛は早くから肥後守をも兼任し、九州に多数の荘園を得ていた。が、ここ数年、それらを次々と為朝に奪われているのである。

「まあ評判の武者とはいえ、所詮しょせんまだ若造よ。……よし、我らは北殿西側より攻むる。若造を一捻りし、一気に勝負をかけようぞ!」

 往け、という清盛の号令に、平家勢三百騎が一斉に鴨川を渡った。

 渡り終えると、御門までわずか三丁である。皆して怒涛の如く駆け寄るが、そこで勝手に馬の脚が止まった。

「何事ぞ!?」

 御門は静まり返り、正面に大男が一人と、一〇騎足らずの若党らが立ちはだかるのみである。

「なにゆえ立ち止まる!? 敵はわずかじゃ。一気に行け!」

 と清盛が叱咤するも、馬が皆怯えている。前に進めない。

 はたと気付いた。

 薄暗い中かすかに、路上のど真ん中に放尿の痕が見えたのである。

(なんと……。此奴の尿ゆばりの匂いに、馬が怯えておるのか!?)

 前代未聞の珍事に、

(此奴は猛獣の類いか!)

 と驚き呆れる清盛。

 そんな中、たじろぐ馬の手綱を巧みに操り、三騎の主従が前に出た。

「この場を固め給うは誰ぞ!? かく申すは安芸守平清盛が郎党、伊勢国の住人・古市伊藤武者景綱である!」

「して、その家人の伊藤五郎、伊藤六郎!」

 堂々と大音声だいおんじょうで名乗りを上げる三騎に、寄せ手の平家勢がどっと湧き、勢いづいた。

 ところが目の前に居る為朝ら一〇騎足らずは、何故かそれを聞いてゲラゲラと大笑いし始めたのである。

「ほれみろ。儂の言う通りじゃろが」

 と、為朝の傍らの男が苦笑しつつ口を開いた。須藤九郎家季という、為朝の懐刀である。

「小者程、名乗りが長いわ。途中で眠うなって困るわい」

 わはははは、と一〇騎足らずが腹を抱えて笑う。

「よいか。これなる御方こそ、の名高き鎮西八郎為朝様である」

 そう大声でおらぶと、ほら短いじゃろひと言で済んだばい、とまた笑った。

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