3
鬼の目覚め
あの後、青木は数時間ほどしてから目が覚める。誰もない廃病院で目覚めた青木はしばらく恐怖であえいでいたが、何とか立ち上がるだけの気力を取り戻して起き上がる。
暗くなった窓の外。かなりの間気を失っていたことに気づき、今の時間を確認しようとスマホを手にする。そして――
「あああああああああああああ!」
ホーム画面に写された大量の瞳の画像。『ホラー 眼球』で検索して出てきそうな、そんな眼球がたくさんあるイラスト。それがホーム画面に設定されていたのだ。青木はスマホを投げ捨て、廃病院を走り去る。途中でなんども転び、どうにか出口を開けた。
夜は遅いとはいえ、人通りがないわけではない。青木はできるだけ人に見られないようにしながら、進む。角まで移動して、覗き見する。誰もいないのを確認して次の角へ。誰かがいれば、通り過ぎるまで隠れてやり過ごす。
家に帰るまで、たっぷり三時間。歩いても30分程度の距離をそれだけの時間をかけて移動した。そうせざるを得なかった。誰にも見られたくない。人目を完全に避けて移動したからだ。それだけ人の視線が怖かった。見られたくなかった。
視線恐怖症。
目が、怖い。視線が、怖い。誰かが見ていると思うと怖い。どこかで見ていると思うと怖い。安全な場所など、何処にもない。見られていない時間なんて、ない。ずっと観察されているのだ。
あの壁に目が生えている。床に目が生えている。天井に目が生えている。家電に目が生えている。あの隙間から見ている。あの影から見ている。体のどこかに目が生えてみている。
目が、目が、目が!
青木は他人の視線を恐れ、心が壊れる。スマホを投げ捨てたため外部への連絡も取れず、家に引きこもる。買い物をするのも一苦労となり、会社への連絡もできなかったためドア越しに辞職届を書くこととなる。まともな社会生活などできず、生活保護を使って生きていくこととなった。
「…………」
私は青木の変貌を青木の目を通じて知った。当然だけど、もう呼び出されることはない。青木自身も私に会いたいとは思わないだろう。誰にも会いたくない。他人が怖い。他人の目が怖い。その恐怖は文字通り見てわかるぐらいだ。
ざまあみろ。
その恐怖は私がずっと感じていた恐怖だ。
違う、今も感じている恐怖だ。
男が怖い。男とすれ違うたびに汗が出る。男に話しかけられるたびに心が苦しくなる。男と触れそうになると、硬直する。全部全部、青木が私に植え付けたことだ。
町を歩くたびに、学校で男の声を聞くたびに、人ごみを歩くたびに、私はその恐怖を味わってきたのだ。これからずっと、味わっていくのだ。ふとしたタイミングで思い出し、吐きそうになるのだ。
それだけの事をしたんだから、これは当然のことだ。苦しめ、苦しめ、ずっと苦しんでいけ。もし少しでも回復したら、また教えてやる。自分が見られていることを。死ぬまで、怯えて苦しめ。
「苦しめ、怯えろ、お腹が痛くなって、胃が痛くなって、関節が痛んで、ずっと眠れず悶えて、呼吸もろくにできず。
見えないところに恐怖しろ。わからないところに恐怖しろ。知らないところに恐怖しろ。恐怖して恐怖して、その恐怖からさらに疑心暗鬼になれ。ずっとずっと苦しんで……!」
その様を、ずっと見てやる。私は青木が苦しむさまをずっと見ながら、叫ぶ。勝った。私は勝った。つたない作戦だったけど、見事にわたり切って勝った。青木はもうまともな生活は送れない。見られることの恐怖にずっと怯えていく。
私は勝った。勝ったんだ。解放されたんだ。
なのに――
「なんなのよ! 全然、苦しいのが止まらない!」
私は勝った。なのに、私は苦しいままだ。
青木を堕としてしまえば、楽になれる。苦しいのも痛いのも怖いのも全部なくなる。男の人が怖くなくなる。青木にされたことがどうでもよくなる。ずっと、ずっとそう思っていたのに。
消えない。青木の手の感覚が、青木の性欲が、青木の暴力が、青木の凌辱が、私の中から消えない。お腹が痛い。胃が痛い。関節が痛い。眠れない。呼吸もまともにできない。
「電子データは全部消した! あいつに呼ばれることもない! あいつはもうまともに生活できない! 私は勝った! 私は勝ったのに!」
叫んでも、叫んでも、青木に勝ったとは思えない。まとわりつく男の手が、粘性を持つどろどろの欲望が、未だに私に絡みついて離れない。忘れることができない。拭い去ることができない。
「はあ……はあ……!」
誰もいない私の部屋で叫び、嘆き、暴れ、そして痛みに悶える。
痛い、痛い、痛い。
苦しい、苦しい、苦しい。
どうすればこの痛みは消えるの? どうすればこの苦しみからは逃れられるの? 復讐して、全部解決したら楽になれるんじゃないの?
「……あ、そうか」
全部解決してないから、痛いんだ。全部解決してないから、苦しいんだ。
私を苦しめていた元凶。その一番の元凶が、私以上に苦しめばいいんだ。そうすれば、全部全部なくなる。
赤川聡子。
私をいじめたあの女。その取り巻き。それを滅茶苦茶にすれば、全部終わる。そもそも青木の件だって、赤川の差し金だ。青木だけに復讐しても終わるはずがない。
『……っ!? や、やめてくれ! センパイにバレたら捨てられちゃう! 誰も愛してくれなくなっちゃう!』
赤川の弱点は握っている。三股をセンパイ達に告げれば、それで終わりだ。修羅場になって、苦しむだろう。
だけど、それだけだ。それだけじゃ、この苦しみは消えない。
もっともっと苦しんでもらわないと。今まで虐めた分に相応するぐらいの痛みを、苦しみを、泣いて叫んで喚いて、それでも許されないぐらいの状況に追い込まないと。
赤川の視界はすでに得ている。あいつのSNSもそのパスワードも把握済みだ。青木と同じように赤川を語ってSNS上でふるまうことはいつでもできる。青木と同じように破滅に追いやることもできる。
だけどそれだと、おもしろくない。
赤川の交友関係も、恋愛事情も、家族関係も、みんな知っているのだ。SNSの繋がりを知っているのだ。それを利用しない手はない。赤川のアカウントを使うのではなく、赤川に繋がるアカウントを使ってやる。
赤川の人間関係を、ぐちゃぐちゃにひっかきまわしてやる。
「そうだよ。そうじゃないと面白くな――」
そこまで言って、私は口を押さえる。今、なんて言った? 面白く、ない?
違う。私は苦しい。苦しいのがイヤだから、そこから逃げたいんだ。面白いとか、そんなんじゃない。赤川を苦しめて、そうすればこの苦しみから解放されて――
「……どっちでも、いいよね。やることは変わらないんだし」
頭を振って、割り切った。私がどう思おうが、やることは変わらない。赤川を徹底的に苦しめるのだ。その事には変わらない。
痛みから逃れようとする
――この時すでに、
あるいは、
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