目を盗む
次の日、私は学校を早退して青木が働くドラックストア近くの公園にいた。
学校には『頭痛がするので帰ります』と告げた。嘘ではない。頭が痛かったのは本当だ。黒崎先生に見つからないようにと思っていたら、腕の一つが疼いて黒崎先生の視界を奪ったのだ。その際に耐えがたいほどの頭痛に苛まれた。
保健室に行くかと言う先生の誘いを断り、早々に帰宅する。用意していた頭痛薬を飲んで、少し休んだらマシになった。
他人の視界を奪うのも、三人目。赤川、青木、そして黒崎先生。赤川の時は突発的だったけど、青木と黒崎先生の視界を奪ったことで、感覚は掴んだ。奪いたい相手を強く意識する。殺したいほど憎み、顔も見たくないと恐怖する。その感情が、腕の目と脳を繋げるのだ。
私は一度家に帰り、私服に着替えてきている。これからやることは、犯罪だ。学校の制服のようなこの時間に目立つ格好では人目を引いてしまう。できるだけ見つからないようにするのが目的なので、目立たない服を着ている。
髪は邪魔にならないように結い、伊達メガネ、マスク、体型を誤魔化すようにゆったりとした服。指紋をつけないための手袋と、手袋をつけたままスマホを操作するための操作ペン。変装としては下手なのだろうけど、注視されなければ私と分からないはずだ。
カバンの中にある頭痛薬を確認する。家にあった頭痛薬を箱ごと持ってきた。視界を奪う際の脳の痛みに耐えるためだ。中には6錠ほどある。適量を手にして、一気に飲み干した。ペットボトルのお茶でそれを一気に流し込む。
公園から出て、客としてドラックストアに入る。中にいる店員は4名。客は私を含めて6名。青木の視界が私を見るのを私の視界で確認した。だけど気付いた様子はない。来客に反応した程度だ。
食料品エリアを移動しながら、店裏側にある事務室への入り口に近づく。場所は青木の視界を通じて知っている。従業員専用エリア。そこの扉を抜ければ、すぐだ。
誰も見ていない瞬間を見計らい扉を少し開けて、中に入る。客の誰かに見られたら怪しまれるし、店員なら即座に止められる。監視カメラは常備されているけど、事件がなければ記録を再生はしないはずだ。
要は人目を避ければいい。人が見ていない瞬間が分かれば、いい。
だから私は、ここにいる全員の視界を奪う。
青木以外のドラックストア従業員3名。私以外の客5名。その顔をイメージする。そして、寄越せと強く願う。私の安全のために、お前たちの視界をよこせ。ここで失敗はできないのだから、だから寄越せ。
突き抜けるような感覚。頭痛薬を飲んでもなお響く脳への感覚。腕から8つの錐が回転しながら脳を貫き、がりがりと削っていく。途切れそうになる意識を、青木を憎むことで堪える。
実際は、一秒も経過していないのだろう。だけど無限に続くような痛みだった。背中は汗びっしょりで、今立っているかも不安だった。
だけど、耐えた。耐えるのは慣れていた。
脳に浮かぶ合計9人の視界。今いる客と従業員。その全ての視覚情報。それが私の中にある。
客は全て商品を見てるか、スマホで情報を見ている。私を見ている人はいない。
従業員のうち一人は私を見ていた。観察と言うよりは、目端に捕らえている程度だ。仕事のついでに視界に入っている程度だが、怪しい動きをすれば目に留まる。今は、危険だ。
私は怪しまれないように店内を歩く。できるだけ青木の視覚に移らないような位置に。それ自体は難しくない。青木がどこを見ているのかは、それこそ「目」にとるようにわかるのだから。
しばらくして数名の客がレジに向かうのを視界から察した。従業員もその対応に向かう。私を見る店員も客もいなくなるだろう。私は怪しまれない程度の速足で事務室への扉に向かう。
大丈夫。誰も私を見ていない。深呼吸をして心を鎮め、素早く扉を開けて入り込む。扉が閉まるまで、誰も扉を見ていない。従業員も業務を続けているのが『見え』た。私は胸をなでおろす。
ここからはスピード勝負だ。誰もいない事務室に入り、引き出しの一つに手をかける。そこに入っているスマホを取り出し、電源ボタンを入れた。画面に映るロック画面。
大丈夫。何度も何度も青木の視点でスマホの操作を見ている。パスワードも熟知している。操作ペンを使ってロックを解除し、アプリが並ぶ画面に移行する。
ここまでで、20秒。
先ずはスマホ内のデータを消す。画像ファイルと動画ファイル。その置き場から消去する。画像の数も多く、呼吸を乱しながら選択していく。ゴミ箱のボタンを押してからの数秒間。その時間がとても長く感じられた。
ここまでで、120秒。大丈夫。まだ気づかれてない。
あとは、ネットにあげられたファイルだ。動画投稿サイトにアクセスする。その動画サイトの存在は知っているし、ファイルの消去方法も事前に調べてある。大丈夫、落ち着いてやれば、すぐだ。
150秒。従業員の一人が事務室に向かう扉を開けた。私は視界情報からそれを知り、しゃがんで机の陰に隠れる。ぎりぎり従業員が入る前に間に合った。
従業員が事務室を見る。私の姿は『見えてない』のが分かる。そのまま棚から書類を取り出し、記載する。有給の届けだ。書類に目が行っている間にスマホを操作し、動画サイトから完全に私の動画を消し去る。最後に履歴も消去した。
あとはスマホを元の位置に戻し、気付かれないように戻るだけ。誰にも見られないように青木の私物が入った引き出しに入れればいい。だけどその引き出しは従業員がいる机の近くだ。今戻すわけにはいかない。
別の従業員の視覚情報から新しいお客さんが入ってきたのを知り、その客の視覚も奪う。そのまま倒れこみそうなぐらいの衝撃に耐えながら、呼吸を整える。この呼吸音で振り向かれないだろうか? そんな心配をしてしまう。
幸いにして、その従業員に気づかれることはなかった。書類を机の上に置き、仕事に戻る。安堵の息を吐き、私は青木のスマホを引き出しに戻した。あとはここから出るだけだ。
視界を奪った人の情報を確認する。何名かの客はすでに店を出ている。従業員と新たな客。その全てが見ていない瞬間に扉を開けて、出れば終わりだ。店内もあわただしくなり、その機会はすぐに訪れた。急ぎ扉に近づき、最低限の動作で店内に戻る。
時間は5分弱。途中隠れざるを得ない状況だったこともあったけど、スムーズに行けたと思う。監視カメラを常時チェックする人がいたら、こうはいかなかっただろう。或いはスマホを鍵付きのロッカーに入れられたら、手も足も出なかった。
パスワードを盗み見し、スマホ内のフォルダの場所が前もってわかり、投稿サイトを見て知っていた。この事が大きかった。ここ数日、青木を観察していたことが役に立ったのだ。
ペットボトルのジュースを手にして、青木がレジにいないことを確認した後に会計に向かう。短いやり取りで買い物を済ませて、ドラックストアを出た。
「やった」
私はペットボトルのジュースを飲み、そう呟く。やった。これでもう私は青木の言うことを聞く必要はない。あいつから、解放されたんだ。
私は歓喜の笑みを浮かべる。解放された喜びと、計画が上手くいった爽快感。多くの人の目をかいくぐり、相手の秘密を奪い取ったことに喜んでいた。
もう、何も怖くない。胃も痛くない。関節も痛くない。呼吸も普通にできる。やった、やった、やった……!
公園まで歩いて移動し、ベンチに座る。伊達メガネ越しに、空を見た。少し曇った青空を見ながら、私は解放感に心満たされていた。
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