百目

「なに……これ……」


 腕に生まれた無数の、目。腕に穴が開き、そこに眼球が埋まっていた。二の腕から掌まで。大きさ一センチほどの瞳がある。私と同じ黒い目。制服で隠れているはずの二の腕の目が理解できるのは、その目が見たものは自分でも情報として入ってくるからだ。


 見える。手のひらにある複数の目からの情報。手の甲にある複数の目からの情報。手首にある目からの情報、腕にある沢山の目からの情報。制服に隠れた二の腕にある目の情報。その全てが一斉に脳に届く。今までなかった場所からの情報に、一瞬頭が真っ白になった。


 がつん、と脳を揺さぶられた感覚。顔にある目からの情報よりもたくさんの情報が脳を襲う。今まで常識だった視点が一気に少数派になり、多数派である腕の視線がメインとなる。両腕で頭を押さえ、目が生えている左腕を移動させたことで複数の移動情報が脳を襲い、三半規管に異常をきたす。今まっすぐに立っているかどうかさえ分からなくなった。


 怖い。何これ。どういうこと。訳が分からず、心を閉ざす。平常心を保てたのは、皮肉なことに心を閉ざすことに慣れていたから。耐えろ、耐えろ、耐えろ、耐えろ。こみ上げるモノを押さえながらぎゅっと目を閉じ――


 一気に情報がシャットアウトされた。世界が闇に閉ざされ、自分が床に座り込んでいることに気づく。


 意識して、瞼を開ける。顔にある瞼だけを開けるように意識する。恐る恐る目を開ければ、目から入る情報は、いつも通り顔にある二つの眼だけだった。左腕から目をそらし、周りを見る。


 保健室。先生は赤川の取り巻きの一人が呼び出したとかでここにはいない。閉ざされた扉。複数のポスター。さっきまで寝ていたベッド。そして、倒れ伏す赤川。なにもかも、私の知る視界だ。


 恐る恐る、左腕を見た。そこにあるのはいつもの自分の腕……ではなかった。瞼を閉じたような線がいくつも腕に刻まれている。まつ毛こそないが、それが閉じた瞼であることは明白だ。恐る恐る右手で触れれば、瞼の中に眼球の膨らみがあるのが分かる。


「なに……これ……」


 わけがわからない。病気とかそんなものじゃないことは、まだ学生の私でも理解できる。常識を超えた何かが起きて、私の腕に目が生まれた。そうとしか言いようのないことだ。こんなの誰かに見られたら、何を言われるかわからない。


 混乱していた私は、それを隠すことしか考えてなかった。こんなの見たらまた虐められる。そんな見当違いの衝動で保健室に合った救急箱を探る。包帯を取り出して、腕に巻いた。素人が巻いためちゃくちゃな巻き方。先生御免なさいと言いながら、箱の中にある包帯を全部カバンに入れて、保健室を出る。


 左腕を隠しながら、保健室から校門に向かう。昼休みだったのか、校庭にはたくさんの生徒がいた。その人たちに見つからないように、隠れながら校門を出る。実際にはそこまで遠目では分かたなかっただろうけど、とにかく見られたくなかった。


 幸いにして、校門を出てからはあまり人と出会うことはなかった。それでも左腕をカバンで隠し、家まで滑り込む。制服のままベッドにもぐりこんで、自分を抱きしめる。叫びそうになるのを何とかこらえて、荒い呼吸のまま包帯を巻いた自分の腕を見た。


「目……間違いなく、目」


 掌の部分の訪台を外して、触って確認する。顔にある瞳を触り、さらに手のひらにある瞳を触る。同じ感覚。遠目にはわからないだろうが、近づかれれば確実にわかる瞼。それが腕中にあるのだ。


「気持ち悪い……」


 自分の腕に映えた無数の目。その光景はおぞましいの一言だ。非常識、怪物、妖怪、人間じゃない。夜に歩いているときに見れば、悲鳴を上げて逃げ出してしまうだろう。それが自分の体。そして……。


 目を開ける。そう意識するだけで腕中の目が開いた。包帯で巻かれた視界が一気に脳に流れ込む。白い包帯の向こう側にある蛍光灯の光を感じる。窓の外の光を感じる。包帯ごしに自分の顔の影を感じる。それらを一気に処理する脳に、負荷を感じる。


 複数の言語を聞き取るのとはわけが違う。聖徳太子とて耳は二つ。それらを聞いて処理する脳はあっただろうが、複数の耳からの情報を処理したわけではない。脳の処理と、いっぺんに入る情報量はまた別物だ。パソコンで言えば、メモリとデータ量の差だ。私は目を閉じて、脳を休める。


「ずっと包帯つけてるわけにもいかないし……長手の手袋で誤魔化せるかな……?」


 スマホから検索をかける。学生の財布で買えそうなのを見繕う。その後で、別の事を検索した。『腕』『目』『生える』……そこからいくつもページをめぐり、私は百々目鬼と呼ばれる妖怪のページにたどり着く。


 鳥羽石燕の『今昔画図続百鬼』に描かれた、頭巾をかぶった腕に目の生えた女性の妖怪。盗みを繰り返す女の目に腕が生えた。盗んだ金の精霊が腕に宿り、銅銭の穴が目玉となって彼女を蝕んだ。そんなことが書かれている。


「盗み……」


 思い当たることは、あった。赤川達に強制された、万引き。だけどあれは盗んでいない。盗んでいない。……だけどカバンの中には化粧品が入っていて。それが原因で私は青木に脅迫されて――


「じゃあ、やっぱり、万引きしたの……?」


 違う違う。首を振るけど、手に目ができたことは否定できない。百々目鬼の話に従うなら、そう言うことなんだろう。足元にあった何かが壊れた気がした。盗人、犯罪者、その烙印が私の腕にある。


「じゃあ……しょうがないよね」


 しょうがない。私は盗んだんだから。だからこんな目に合うんだ。認めてしまうとどうでもよくなった。包帯を外し、腕の目を開く。複数からの視覚情報が私の脳を攪拌する。ぐるぐるぐるぐる。目が回る。


 見慣れた自分の部屋なのに異世界にいる気分だ。視点が違う。視覚が違う。視野が違う。腕を動かすたびにそれが変わり、その度に脳を襲う無数の情報で頭が混乱してくる。脱力して腕がベッドに落ちる。痛かった。痛覚もあるのか。文字通り、目をつぶされたような痛みに悶える。


 脳裏に移る様々な視界。天井を見上げる視界。部屋の窓を見る視界。自分の体を見る視界。制服に覆われた視界。学校の廊下――


(え?)


 学校の廊下を歩いている視界。見慣れた教室。見慣れたクラスメイト。視界に移るのは赤川の取り巻き達だ。緑谷・茜。柴野・英子。桃井・春香。声こそ聞こえないが、彼女たちが自分に向かって談笑しているのが分かる。


 何が何だか分からない。私は自分の部屋のベッドに寝ているのに、なんでこんな光景が見えるんだろう? 混乱する中、その視界が懐から取りだしたスマホを見る。赤いハートマークのカバーがかけられた特徴的なスマホ。


 私はこれを知っている。殴られ、水をかけられ、謝っているところを写されたスマホ。その場面を何度も再生させられ、嗤われた。他の取り巻き達もその画像や映像を共有し、SNSでなじる材料にされた。忘れることなんてできやしない恐怖の道具。


「赤川の、スマホ……」


 視界の中で指が動く。画面をフリックしてロックを解き、SNSを通して私にメッセージを送る。逃げるなクズ。許さないからな。またこういう目に合わせてやる。そう言った後で私をいじめた画像を送ってきた。それと同時に、私のスマホに通知が届く。


 私は腕の瞳を全部閉じて、スマホを開いた。送られた内容は、いましがた見たものと同じ内容だ。


 間違いない。


 私は赤川が見た光景を、見ているのだ。

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