最凶のふたり
―『レッツ・相部屋』宣言後、ロビーは水を打ったように静まり返る。みんなが私を見ている。
あ、もしかして今の私…
『公衆の面前で若い男に言い寄るヤバ女』なのかなっ☆
サーーーと血の気が引いていく私に、伊澄は顔を近づけた。
「ご協力ありがとうございます、先生。」
「あ、うん…。」
今にもロビーから逃げ出したいが、伊澄はまだ何か言いたそうだ。
「…できればこれからはお互い、『色々と』気を付けていきましょう。周囲の人に『誤解』されると、お互い困りますしね。」
穏やかな口調に反して伊澄の目は明らかに『テメェマジ気をつけろや』と訴えている。
「ヒッ!すいませんした…。」
「誰かに見つからないうちに、さっさと部屋入ってしまいましょう。」
「そ、ソウダネー、あはははは!」
私たちはフロントでカードキーを受け取り、渋々部屋へ向かったのだった。
―――所変わって数分後。
ホテルの部屋(シングル)に到着した我々は、ベッドの端で項を垂れていた。
二人が考えていることは恐らく同じ。
『なぜシングルしかなかったのか』
もとい
『どうやってコイツと一夜何事もなくやり過ごすか』
健全な一夜のキーを握るのは完全に伊澄なのに、なぜかコイツは両手で顔を覆い『ふぅー』とか言っている。
まて、ため息ついていいのはこっちだぞ。こちとらロビーで痴女まがい、あまつさえ被害を『被る側』なのだぞ。
これ見よがしにため息をつき返してやろう…息を思いっきり吸った瞬間、スマホが鳴った。
「ブハッ!!…シズクだ。」
しまった、シズクへの連絡、忘れてた。
「も、もしもし?」
「マキさんっ!」
シズクは案の定、電話越しに息を荒げている。
「心配かけてごめん…。」
「用事…まだかかりそうですか?」
悲しげな声色に、クゥーンと鳴く大型犬のビジュアルが目に浮かんだ。あれ?だから、シズクって魚なんだよな?
そして事態はなんというか…非常に言いづらい。
「うーん、ていうか今日帰れなくなっちゃった。あれからちょっと訳あって、帰省してて。」
シズクは電話越しに固まっている。
「…シラミか何かになったんですか?」
「あ、そっちじゃなくて…『古里に帰る』的な。」
シズクはああー…。とどこか上の空な声を出す。
ホントに分かっているのだろうか?
「…それもキセイって言うんだあ。」
「知識が増えたね!」
「ホントだ!わーい…じゃなくて!」「わっ、ビックリした…。」
シズクは突然声のトーンを落とす。
「マキさん気を付けてくださいよ…その、男とか。」
「はヒ?」
心臓が爆跳ねと同時に、声が思いっきり裏返る。
『男』に気をつけるべきなのは間違いない。
が、それがまさか、あの多重人格系男子・船頭伊澄という規格外である事を実は掴んでいるというのか?
私は全力で周囲を見回すが、ドローンや監視カメラは見当たらず部屋にいるのは死んだ目をした伊澄だけだ。
「な、ななな何でっ?」
「なんとなく…いやな予感がして。」
「そ、そう。心配ありがとう。」
…ただの野生のカンか。シズクははーっとため息をつく。
「とにかく、気を付けてくださいね、マキさん可愛いんですからねっ!じゃ…おやすみなさいねっ!!」
矢継ぎ早に言い終えた後、電話はいきなり切れた。
テロリン♪という終了音がやけに耳に残る。
…シズクよごめん。もう捕まってるのかもしんない。
あと最後なんつった?
…マキさん…kawaii……?
思い出すとじわじわ頬が赤くなってきた。
いや、大した意味などないはず。きっとこれは人間が金魚とかをみて「赤いべべを着ているようで可愛いね」っていう童謡くらいのテンションのやつ。そしてこの頬の照りも大した意味はない。金魚が赤いべべを着ているようなものだ…自分でも意味はよく分からないが…
呆然とスマホを見つめていると、ふいに伊澄の声がした。
「あの人彼氏ですか?」
「…はい?」
「いや、部屋に居たあの…。」
伊澄は頭をかきながら、気まずそうに天井の角に目をやる。
「し、シズクのことか。」
いや、タイミング良すぎだろ。
「…まあ、ちょっと複雑かな。」
「あ、やっぱり嘘だったんですね忍者。」
「…。」
いかん、コイツの前で話しすぎてはろくなことにならない末路しか見えない。全力で話題を変えるんだ前田マキ。
「い…伊澄君はモテモテって感じだね!ヒューッ」
瞬発的にリオのカーニバル的テンションで囃し立ててみたが、伊澄の顔は一瞬で舌打ちしそうになる。
「バカにしてます?」
やべっ!やべっ!やはり、リョウコ含む女性絡みは地雷源だな。私は心の片隅に小さくメモした。
作戦変更…私は咳ばらいをし、姿勢を正す。
「バカになんてしてないよ。誰からも関心持たれないよりはずっと幸せでしょ…真面目に恋愛すれば、きっと幸せになれるよ。」
うまくフォローしたつもりだったが、なぜか伊澄はさらにシラけた。
「真面目な恋愛ってなんですか?」
声は落ち着いているが、静かに殺気立っている。
だがこちとら、これ以上の『年上らしいアドバイス』などできるはずはない。確実に私は恋愛経験に乏しいのだから…。
私は即座に年上らしい演技すらをも放棄する。
「…知らないよそんなの。」
伊澄は、はっと乾いた声で笑う。
「知りもしないのに、よく講釈垂れますね。」
「ちょっと。私一応、あなたの講師なんだけどさ。」
自分の事は棚上げ承知で言ってみると、伊澄はあからさまにはぁ?という顔をする。
「今はもう、そういうのいいでしょ。少なくとも学校じゃないんだし…そもそも僕ら大人なんだし。」
伊澄は、はああと息を吐きながらベッドに仰向けになる。
そりゃまあ確かに、『僕らは大人』だが。
伊澄の言葉のせいで、状況の際どさを再認識する羽目になった。
ブーン…という静かな空調の音と間接照明がやけにいかがわしく見えてきたので、私は新たな決意を固める、よし、能天気な声でこの場の空気をブチ壊そう。
「まあー、そうだよね!よく分かんないけどおー『真面目な恋愛』っていうのはさあ。…少なくともその相手と真面目に向き合ってこそだよね!!」
数秒間たっぷり間をもたせ、『シカト、かな?』と思いかけたその瞬間伊澄はだるそうに寝返りを打ち、背中を向けてきた。
「アドバイスありがとうございまーす。」
「伊澄君…私今期の成績まだ付けてないんだよね。立場分かってる?」
「必修はもう足りてるんで大丈夫でーす。」
「は!?早くない?」
この時期に必修単位を取り終わった学生など、聞いたことがない。伝説だ。
思わぬ『伝説』の登場に身を乗り出した私を意にも介さず、伊澄はふらっと立ち上がる。
「シャワー、先使っていいですか?」
「へっ…あ、ああシャワー。どうぞ。」
「…あざす。」
伊澄はペラペラのスリッパをパタパタ言わせつつシャワーへ向かっていった。
びっ…くりしたあ…。
男とホテルでこのセリフ聞くの、何年ぶりよ。
年下のくせに手馴れやがってと歯噛みしたが、よく考えれば彼は何もいかがわしい意味で言ってはいないのだ。むしろ勝手に妄想した私に罪があるのかもしれない。
いや、別に、したくてしたわけじゃ。というかむしろ、したくなかったのだけれども。
・・・
伊澄の後に続いてシャワーを浴び終えると、再びシングルベッドの両端で地獄の時間が始まった。さらに悪いことに、今度はお互いバスローブだ。もういっそボコボコにされて意識を無くしてしまいたい。ってかめっっっちゃしんどい。早く寝たい早く寝たい早く寝たい。
スマホのメモを開いて「はやくねたい」を連打していると、伊澄は突然立ち上がる。
「僕ソファーで寝ます。」
「え?」
「いや、さすがに同じベッドで寝れないでしょ…。」
いやいやこの前、同じベッドに上がり込んてきたのそっちだかんな?
…まあ、正直ありがたい。危険な夜である事は変わりないが。
しかしその部屋には、哀しい現実以外の何者も用意されていなかった。
「「…オットマン的なやつしかねえ…」」
「クソッ…後でレビューに書き込んでやる!!」
「まあよく考えたらビジホのシングルなんて、これが普通だよ…。」
我々は再び頭を抱えたが、そろそろ眠気は限界だ。
というか明日寝坊でもしたら目も当てられない。
深刻な表情で頭を抱える伊澄も、どうやら同じ心境のようだ。
私たちはいよいよ、腹を括るしかなさそうだった。
・・・
狭苦しいベッドの中央にまくらタオルその他諸々を敷き詰めた簡易板「仕切り」を隔て、我々はどうにかベッドをシェアしつつも己がスペースを確保して夜を明かす方向で一致した。
…実際問題お互いヘトヘトなのは確実なのだから、伊澄も性欲云々の前に寝落ちるだろ。
というか、いまはただその考えに縋るしかない。
不穏に跳ね続ける心臓を抑えて必死に眠ろうとしていると、あろうことか伊澄のほうから声をかけてきた。
「緊張してます?」
私はまくら越しの伊澄に向かって鬼の形相を向けた。
してるに決まってるだろうがっ!てか恐怖からくるやつなっ!!
「君はもしかして…興奮してる?」
いやいや私もなに口走ってるんだ。こんな事を聞いてもデメリットしかない。正直、眠気と緊張で頭がバグり始めてる。
伊澄が沈黙しているのを良い事に、私は二の句で誤魔化しをかける。
「と、とりあえず落ち着いていようよね…私たち、仲良く平和な関係を築いていこうよね…。」
「落ち着けるわけないでしょ…何でこんな。」
苛立ちを隠せない声色に、堪忍袋の緒が切れた。
「元はと言えば、今日だって伊澄君のために来てるわけで…。かつこうなったのも、君が寄り道してたせいでしょ!!」
しかし伊澄は思ったより強情だ。
「…すみませんでしたっ。」
反省感ゼロの声で、まくらタワーの向こうでもぞもぞ寝返りを打つ気配が伝わってくる。
あーもうドチャメチャに論破してミソクソに泣かしてやりたい。先生ごめんなさいって何回も土下座さしたい。…ただもう眠いし、不毛すぎる。
「もう寝るからね!!電気は消さないからねっ!」
「あーもうどうぞ!ご自由に!!」
『おやすみなさい』など死んでも言うかという点だけは、双方一致していたのだった。
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