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そもそもちゃんと会社に属して社会人をやれている時点で頭は悪くないと思う。同じ在宅ワークでも、フリーターな私とは全然違う。
というようなことを男に伝えると、
「ユキちゃんってホント優しいね…」
としみじみされた。
私はただ事実を述べたである。優しさとは。
男はテーブルに置かれた私の手を取り、セーターの隙間から指を差し込んでくる。そして手首の筋から爪先まですりすり擦りあげながら、私の仕事についてひとしきり褒めちぎった。
曰く、文章を書く仕事は才能と努力の両方を兼ね備えていないとできない、といったようなことだ。
私は自分の仕事を、“フリーライター”だと説明していた。嘘ではないが、事実のすべてとはいえない表現だ。
私より遥かに上背があるくせに上目遣い、という難しいことをしながら、彼は続けた。
「ユキちゃんのことも、もっと教えて欲しいな」
「……知りたいの?」
「うん」
それはちょっと面倒だな。と思ったところで、彼は私の手を掴んだままテーブルを回り込んで隣に座ったかと思うと、そのままグッと身を寄せてくる。いきなりどうした顔面ピラフ。
「ね、だから、また会って、今度はたくさんおしゃべりしようよ」
「……あー、とりあえず口拭こうか」
ペーパーナプキンを取ろうにも、身動きが取れない。仕方なく掴まれてない方の手を伸ばし、指で直に米粒を摘むと、男はその手も捕まえてちゅう、と私の指ごと吸い付いた。
「っ、ちょっと」
「ユキちゃん、舐められるの好きでしょ」
いきなり何を言い出すんだ、このハイパー内弁慶は。
「ほら、僕って舌が長いから、」
男は油でテカった唇の隙間から、べえ、と濡れた桃色の肉を突き出して見せる。
セックスの時から気になってはいたが、改めて見ると本当に長い舌だった。人外じみたソレを目の当たりして、背筋が泡立つのがわかった。
「ユキちゃん、昨日はたくさん気持ちいいって言ってくれたもんね?」
男が上から覗き込むように顔を寄せてきて、視界が暗くなる。
「あの、近」
「僕もユキちゃんのことたくさん舐めたいし、」
わたしの手を掴んでいる力が強くなっていく。痛みを感じるほどではないが、振り解けない強さだ。
「っ!ここ、人前!いったん離」
「おしゃべりだけじゃなくて、気持ちいいこともしようね。僕たち、体の相性だっていいと思わない?ユキちゃんの気持ちいいこと、全部してあげるから」
だから、ね?おねがい。僕と付き合うって言って?
口調だけは殊勝な風を装いながら、いつのまにか「また会う」→「付き合う」に話が変わっている(この2つには明確な違いがある)。お願い形式を取っておきながら、ハナから逃す気はありませんと言わんばかりの、この態度。半ば睨むようにこちらの目を見つめながら、捕まえた私の指にねっとりと舌を這わせる男。
「っわ、かったから!本当にやめ」
「発情するならよそでやれ」
がん、という硬質な音と同時に、ぶえっと間抜けな声をあげて彼は私の膝に沈んだ。
いつのまにかすぐそばに店員のおねーさんが居た。銀のお盆を掲げたままの姿勢で突っ立っているので、どうやらそれでこの男をぶん殴ったのだとわかる。格好だけでなく、中身もパンクな人だ。
「食後のコーヒーをお持ちしました。あと良ければ新しいおしぼりもお使いください」
テーブルの上に既に並べられているのを顎でしゃくり、慇懃にそれだけ告げると彼女はくるりと踵を返した。
顔を上げた男は鋭い視線はどこへやら、すっかり涙目になっている。
「ひろい…ひた、はんひゃった」
酷い、舌噛んじゃった、と言いたいらしい。
ひろいひろいと言い続ける男の、油+唾液で無駄に艶めかしい口元をおしぼりで拭ってやると、今度は嬉しそうに目を細める。背後にパタパタ揺れる尻尾でも見えそうな、無邪気な笑顔。
さっきまで獲物を追い詰める肉食獣のようだったのに、今はまるで構われて喜ぶ子犬だった。
なんだか化かされたような気分のまま、ベトついた手をおしぼりで拭っている私に、男は自分の名刺を差し出した。
「
「そう。ほら、有名な少年探偵のアニメ、あるでしょ?ヒロインの名前とおんなじだから、昔からめちゃくちゃ揶揄われるんだよ」
「…この会社…しかも、代表取締役って…」
「ああ、幼馴染と2人で共同で立ち上げた会社だからね。あっちは社長も兼ねてるから毎日会社にいるけど、僕はめったに出勤しないから、顔を知らない社員に勝手に女だと思われてたこともあったな」
名刺には私でも聞き覚えのあるベンチャー企業の名前が印字されていた。海外のようなおしゃれなオフィス&自由な社風を伺わせるCMとその躍進ぶりが話題になっていたはずだ。
そんな会社の取締役という事実を、なんてことないようにサラッと話す早見さん。
いったいどの口で“頭が悪い”だなんて言えたもんだか。
「本当は人前で名乗るのもヤなんだけど、ビジネスの場でそんなわけにもいかないし」
…それにしても名前に対する嫌悪感がすごい。でも、その気持ちは私もうっすらわからないでもないな、と思った時には衝動のまま口にしていた。
「私はちなみに、
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