十五、推しとの写真は一生物
「んーー。堪能したねえ」
水族館を出ると彼女は大きく伸びをしながらそんなことを言った。
「そうだな」
「ん? 悠くんは楽しくなかった?」
「もちろん楽しかった。ここ数年の中で一番楽しかった。間違いなく。もしかしたら生まれてから一番楽しかったかもしれない。いやそうに違いない」
「それは誇張しすぎ」
「いや誇張も何もまぎれも事実であり真実であり、俺の気持ちにウソ偽りなど一切ないわけで」
「はいはいわかりました」
推桐葵は笑いながら俺の顔の前で手を振り、俺の話を遮る。
先ほど彼女に言った言葉は本当にウソではなく、心の底からの本心だった。
なんでもない水族館をこれだけ楽しくしてくれる彼女はやはりすごい。
対して俺は何か彼女の役に立てたのだろうか。
「ほれ」
俺としたことが彼女から意識がそれていたらしい。
突然目の前に何かを差し出され、反射的にそれを受け取ってしまう。
それは朝俺が飲んでいたものと同じ缶コーヒーだった。
「朝おごってもらったからお返し。お金はいりません」
「……すまない。ありがとう」
お礼をするために彼女のほうに視線を向けると、なぜか彼女の手にも握られていたのは俺と同じ缶コーヒーだった。
「飲めないんじゃなかったのか?」
「んー、もしかしたらただの飲まず嫌いなんじゃないかなって。何事も挑戦ってことで」
そういいながら彼女は少し顔をしかめながらプルタブを開ける。
顔をしかめているのに崩れない彼女の表情はやはり完成されているのだろう。
「そういうところ尊敬するよ」
「意味わかんない。……うえー」
辛辣な一言を俺にかけた後彼女は一気に目を瞑りながらコーヒーをあおったが、すぐにその顔はしかめ面に変わってしまった。
「やっぱり私にはまだ早いみたい」
「そうか」
「……馬鹿にしてる?」
「とんでもない。そういうところもかわいいなと思っただけだ」
「ちょっと笑ったから聞いただけなのに。そこまで言えなんて言ってない」
素直に思ったことを口にしたらなぜか推しに軽く小突かれてしまった。
やはり我が推しの機嫌を損ねないようにするのは難しい。
「ねえ、写真撮ろっか」
しかめ面をしながらもコーヒーを飲み進めていた推桐葵が突然そんなことを言い始める。
「写真は嫌だったんじゃないのか?」
「一人は嫌。一緒に撮ろ」
こちらの返事を待つことなく、彼女はすでに自分のスマホを取り出して画面操作を始めていた。
まあ俺から断ることはないのだが。
近くまで来ていたので噴水を背にするようにして彼女がスマホを目の前に掲げる。
「ほら、もうちょっと近くに来なきゃ入らないよ?」
「いやこれ以上近づくのは……」
「四の五の言わない」
これ以上近づくと俺の心臓が破裂しかねないからあえて距離をとっていたのだが、そんなことは彼女にとっては関係ないようで俺の腕を引っ張るようにして強引に近づけさせられる。
俺の心臓の音が聞こえるのではないかと思うほどに推しが近い。
今の俺は気を保つことで精いっぱいでカメラに集中することなどできるはずがない。
「とりまーす」
「あ、ああ」
カシャッという音が聞こえたかと思うと彼女の手が俺の腕から離れる。
俺は数歩彼女から離れるようにして歩くと、ほっと息をつく。
さっきまで息を止めていたんじゃないかと思うほど、肺からこもった空気が吐き出される感覚があった。
「見て、悠くん卒業写真みたいな真顔になってる」
「……不可抗力だ」
確かに彼女に見せてもらったスマホに映る俺の顔はがちがちに固まっていて、むしろ起こっているようにすら見えるものだった。
対して彼女の表情は満面の笑み。
どんなときに撮っても写真映りがいいと定評がある推しのことだ。
自分のタイミングで撮った写真が美しくないはずがない。
俺が影ならば彼女は圧倒的な光だ。
最高に俺の推しは輝いていた。
「後で送っとくね」
「ありがとう。ちなみにその写真を待ち受けにしたりするのはいいのか?」
「え? うーん、ちょっと気持ち悪いから却下かな」
「そうか。それは残念だ」
俺が映っている部分を切り取って待ち受けにしようと思ったのに。
推しに拒否されてしまっては無理にすることもできない。
「帰ろっか」
「そうだな。……ちゃんと予習にはなったんだろうか」
「ああ、忘れてた……。大丈夫、ちゃんと楽しかったよ」
「それならよかった……のか?」
正直自分自身の手ごたえはない。
しかし彼女が楽しめてしっかりと予習ができたのであればいいのであろう。
正直不安は残る部分はあるが、彼女のことだ。
きっと今回のことも踏まえてそつなくこなせるんじゃないだろうか。
そんなことを考えまた他愛のない会話、水族館であったこと、学校であったことなどを中心に話しながら駅までの帰り道を歩いた。
『何回見ても君のこの顔、面白い』
家に帰宅後そんなメッセージ付きで送られてきた噴水前で撮った推しとの写真。
二人の背後に映る噴水は水族館についた時に感じたさみしさではなく、温かい、そんな気がした。
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