推しがあまりにも尊すぎたので「その遺伝子を後世に残すべきだ」と提案してみた

葵 悠静

プロローグ それは簡潔的かつ簡素的で極めて主観の中、推しに向けた言葉

 屋上で一人佇む少女。

 その後ろ姿はやけに切なげで大人びた雰囲気を漂わせていた。


 強風にあおられるとすぐにフェンスを飛び越えて、外へ身を投げ出されそうなほど細く華奢なシルエットを夕日が照らす。


 それをかろうじて引き戻しているかのようにすら見える長く黒い髪が、風に揺られてなびいていた。


「君は」 


 俺が一声かけると制服姿の少女はゆっくりとこちらへと視線を向ける。

 その冷たい瞳の奥で何を考えているのか。


 こちらに微笑みかけてくるなんてことはもちろんあるはずもなく、無表情のまま彼女は静かにこちらをじっと見つめ続ける。


「君は可愛い。いや美しい」


 少女の眉が少し下がり、先ほどよりも鋭い視線でこちらを見つめてくる。

 俺は事実を述べたままだ。いやこんな陳腐な言葉など事実にはなおほど遠い。

しかし現に夕日を背に風になびかれている彼女は美しい。


「君は」


 俺は言葉を続ける。

 今伝えなくていつ伝えるというのか。

 彼女が何を考えているのか知らないが、今は俺の言葉を聞いてほしい。


「その遺伝子を後世に残すべきだと思う」


「……は?」


 そこで少女は初めて口を開いた。

 しかしその口から紡ぎだされた言葉はこちらを拒絶するかのように冷たくひどく冷めたものだった。


 勘違いではないのだろう。

 その視線は明らかにこちらを睨みつけてきている。


 しかしいくらすごんだ声を出されたとしても、その澄んだ声の美しさをごまかすことはできない。

 彼女の声はすんなりと俺の耳にまで届いた。


「だから君はこんなところで」

「あのね、悠くん。何を勘違いしているのか知らないけれど」


 彼女がしゃべり始める。

 もちろん彼女の言葉を一言一句逃すことなど俺自身が許すはずがないので、耳は全力で彼女の方に向けているが、それ以上に俺は驚いていた。

 まさか俺のことを覚えているとは。


「何、驚いた顔してるのよ。いい? 私別に死にたくて屋上に来たわけじゃないから」


 ため息をつきながらフェンスそばから離れ、こちらへと歩いてくる少女。

 それならばなぜ君はこんな人が少ない放課後に、わざわざ立ち入り禁止である屋上へと立ち入っていたのか。


 そんなことを考えながらも、今はそれを口に出すことはできない。

 あきれた表情をしながらも悠然とこちらへと歩を進める彼女の一挙手一動から目を離せなかった。


 少女は俺の目の前まで進むと、ぴたっときれいに足を止める。

 彼女と俺の身長はほとんど変わらない。細身な彼女の方が少し身長が高く見えるほどだ。


 視線を交し合いながら俺はそこから微動だにすることができなかった。

 緊張と興奮で自分自身が尋常じゃないほど、汗をかいているのがわかる。


「あなた、漫画や小説の読みすぎなのよ。人はそう簡単に死なないから」


 少女はこちらに指を指しながらそう言い放つと、呆然と立ち尽くす俺を一瞥し、すでに興味を失ったように颯爽と歩き去ろうとする。


 俺はそんな彼女の姿をただ無言で目で追いかけ続けていた。

 彼女は屋上から出る扉の前で立ち止まると、思い出したかのようにこちらへと振り返る。


「それと遺伝子だとか後世とか言うの、普通にセクハラだから」


 それだけ言い残すと彼女の姿は校内へと消えていった。

 


 どれほどの時間屋上で立っていただろうか。

 彼女の美麗さを演出していた夕日はすでにその姿を隠し、暗闇が屋上を支配しようとしている。

 そんな中俺はフェンスにもたれかかるようにして座り込んでいた。


「……可愛すぎる……!!」


 ただただ先ほどまでの彼女との会話を思い返し、そして少女の行動を思い返し手顔を覆う。


 これが俺の推しである推桐葵と実に一年ぶりに交わした会話であった。



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