三章 事件
吉井数馬様は、昨日、日が暮れて庄原の米原邸を訪れていたそうです。
米原親子と南原の内藤幹也の四人で湛浦築造について打ち合わせていたそうです。
湛浦築造の責任者が、家老、吉井宗久様の甥、吉井数馬様でした。
打合せは夜遅くまで続いたそうです。
今日、夜が明けるのを待ちかねるように白間の西村甚之助が訪れたそうです。
二年前の陣屋築造でも庄原の米原で人手と食糧を南原の内藤様で資材を手配したそうです。
今では町も整い、問屋、商人、職人も集まって好景気に沸き、賑わっています。
そうなると、湊が手狭になりました。
陣屋の築造でかなり資金を費やしました。
湛浦築造には、また相当の資金が必要になります。
領内の各村に人足と物資の手配をしていました。
庄原の米原は、藩と関わりが強かったので、調整のための集まりは庄原の米原爺が中心になっていました。
昨年は、米の収穫前から米原吉紀と打ち合わせをしていたそうです。
米原吉紀の云うとおり、手間賃を少し高めにして、その日払いにすることにしました。
思惑どおり、近隣の村からも人手は集まりました。
五年前の陣屋築造でもそうだった。
人手は集まったのですが、食糧が不足して、手間賃を上乗せしても物資が間に合わず、思うように人手を手配できなかったようです。
吉井数馬様は思い切って、藩の御倉米を開放して物価を安くし、他の村からも人手が集まるようにしようと思っています。
御倉米の開放は災害時に限られているのですが、これも藩主に談判すれば決済は下る様子です。
問題は資材を調達する資金でした。
話しを聞いていて、おもんは面白いと思いました。
問屋衆や庄屋から講銀を募って、それを充てていましたが、陣屋の築造から始まって新湊築造と莫大な出費が嵩んでいたそうです。
打ち合わせは長くかかりました。
おもんは、庄原に逗留していました。
ある日、庄原で吉井数馬様と打ち合わせがあるということでした。
湯茶の接待や食事の給仕に忙しいと思っていたのですが、北堀の米原直満の妻、由が接待に当たるということでした。
手伝えと云われる事もなく、どう言う訳か、北堀の米原へ移るように云われたのです。
おもんは、ちょっと残念でした。
翌朝早く、白間へ西瓜を採りに行くように、直満伯父から云われました。
西瓜を受け取ったらそれを持って、米原へ戻るように云われたのでした。
数馬様に食事の後、お出しするのだと云われました。
「もう分かっているだろうが、数馬様にしっかりと見てもらうのだぞ」
直満伯父がおかしなことを云いました。
「はい。でも、何を分かっていると言うのでしょうか。何を見ていただくのですか。よく分かりません」もう分かっていると思うと云われても、おもんには、意味が分からない。
「えっ?聞いていないのか」直満伯父が驚いていました。
「あのう、何を?」おもんは訝しそうに尋ねました。
「栄から聞いていると思うのだが。何も聞いていないのか?」
「はい」
「ええ?」もう一度驚いてから、直満伯父は、金魚のように口をぱくぱくしていたが、声は出ていませんでした。
「それでは、庄原でも爺さんはともかく、吉紀からも聞いていないのか?」
「はい」
「あのう。あま!よくも。ええい。くそ爺」直満は呪うように唸った。
しかし、直満伯父からも、何も聞いていません。
おもんは、朝早く米原の家僕、テツさんと北堀から五箇村の大西家を訪ねて出かけました。
大西家に着くと、籠に西瓜が盛られていました。テツさんが、一足先に籠を背負い庄原へ向かって行きました。
おもんは朝早くから長い道のりを歩いたので、暫く白間で休んでから庄原へ向かうことにしました。
本当は、そんなに疲れてはいなかったのですが、テツさんがくどくどと口煩かったので、先に向かわせたのでした。
五箇村に里帰りしていた万が聞き付けて、おもんを追い掛けて来た。万と庄原へ向かいました。
嶽下の見張小屋て一休み。
久しぶりに羽を伸ばすことができました。
海に迫り出す絶壁に立つ見張小屋から景色を眺めて一休みしました。
絶壁に立って見ようと崖の際に立って磯を見下ろしました。
磯に人が倒れています。
おもんは、すぐ坂を降りて引き返し、岩場に入って行きました。
岩場を急ぐと大きな岩の突き出た所に出ました。岩の上は平らになっています。
もうひとつ岩を越え、次の岩を登ると、すぐ倒れている人を見つけました。お侍さんです。
万は近くに助けを求めて走りました。
雲呑和尚と寺男が嶽下の岩場へ駆け付けて来ました。
近藤雲呑は、見晴の西方院というお寺の和尚だそうです。
雲呑和尚が寺男に何か云うと寺男は何処へ走り去りました。
藩医の大内玄也が嶽下まで駆けつけのですが、亡くなっていました。
おもんは知らなかったのですが亡くなったのは、家老、吉井宗久様の甥、数馬様だったのです。
数馬様の姿が見えないので、西村家まで訪ねたのですが、一刻も前に庄原へ戻ったという事だそうです。
内藤氏と西村氏は、庄原を訪ねました。
ところが、数馬様は戻っていないのです。
何かあっては大変だということで、皆に呼び掛けて、山狩りを始めようとしていました。
南原の寺に馬が繋がれているのを内藤家の家僕が見つけました。
吉井数馬様の馬でした。
そこへ、直満伯父から米原へ知らせが入ったのでした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます