虚言であれ

 岬川夕音があそこに居たという事実は俺を助けてくれた。しかしそれは新たなる災難の到来でもある。何故ならあの現場を見ていたなら彼女は犯人を知っている。


 そして犯人に協力した俺の事も。


「どどど、どうしましょうか。アイツが口止め出来る様な奴とは思えないというか……」


「私の胸でも触って落ち着きなよ。まず君は早とちりしすぎだ」


「早とちりですか?」


「君の想定が正しいなら、まずその子―――岬川夕音は尋問などと遊ばず君を糾弾するべきだ。それが正しい市民の在り方だからねえ。でも飽くまで尋問に留めた。君が現場にいたか居ないかの証明などどうでもいい。見てたならね。でもそれをしないって事はあの時には居なかった……もう少し言うと、君が私を連れ帰った後に死体を目撃したと言うのが正しいんじゃないかな」


「な、成程……」


 歳こそ近いが、精神的な成熟性は言うに及ばない。仮にも死刑囚とされるだけはある。もしかしたら彼女には恐怖や焦りと言った感情がないのかもしれない。


「その程度で焦るなんて、君も小心者だな。警察が事情を聞きに来たならまだしも、そんなことで慌てていたら直ぐに尻尾を掴まれてしまいそうだなあ」


「……こ、殺しますか? 俺の事」


 正直な話、恐怖は消えていない。幾ら拘束衣をつけたままとは言っても両腕が自由だ。この距離なら俺を殺す事なんて訳ないだろう。


 怯えを感じ取ったのか、雫は声音を変えて俺の耳を引き寄せた。


「怯えてるの? でも大丈夫、私は君を信じてるよ」


 子宮に回帰してしまった様な温かい声。超至近距離で吹き込まれた母の息吹に、俺の心は不思議と落ち着きを取り戻した。相手は死刑囚だと、それを踏まえた上で言っている。


「…………だから怖くなんてないよお。私を守ろうとしてくれたのは君が初めてだ。そんな人を無下にするものか」


「…………あ」


「あ?」


「愛して、ますか?」


 何故そんな質問をしようと思ったのか、俺にも分からない。死刑囚から愛を受けようなんてどう考えても普通ではない。


 でも、少しだけでいい。


 嘘つきだって、愛されたい。


「……フフフ。そうだね、愛してるよ〜?」






「お兄ー。昼ご飯だってさー」













 短縮授業だと言うのをすっかり忘れていた。昼ご飯を家で摂るなど何年ぶり……と言うほどでもない、そもそも休日にはそうなるのだが、気持ちとして新鮮だ。今日は平日だし。


「……ねえお兄。マジで恋人出来た感じ?」


「は?」


「ん?」


「そうなの?」


 平日には違いないが、家族全員で食卓を囲むのも新鮮だ。長期休業中を除けばあり得ない光景に感動してしまった。


 それもこれも全ては七凪雫のお陰だ。彼女の危険性はテレビのネタとしてもこの上なく、逮捕された時は幾度となく報じられた。両親に限らず、早退き出来る人間はする様に命じられたのではないだろうか。


「マジも何もこれが虚言だったら俺悲しいだろ。彼女が居ると思い込んでるって本格的に精神病んでるぞ」


「だが嘘つきのお前に彼女が出来るとは思えないぞ」


「そうそう。女の子は誠実な人に惹かれるから」


「親とは思えないひでえ発言だな!?」


 向坂和規・向坂聖夫妻は茶化している訳ではない。極めて真面目な話題をする時みたいに眉を顰めている。


「ほんと、なんで私達から生まれた子なのに嘘つきなのかしら」


「実は俺達の子供じゃなかったりしてな!」



 アハハハハハハ!



 虚言癖持ちとされてから、この手の弄りや茶化しは日常茶飯事となった。しかし、それがなんだと言うのか。


 日常茶飯事にまでなれば相手が傷つかないとでも思っているのだろうか。それは大間違いだ。二人の子供じゃないと言われる度に俺は自分が何者なのか分からなくなってしまう。愛される資格があるのか、ここに居て良いのか。


 向坂柳馬は生きていて良いのか。


 自分の存在そのものを否定されてるみたいで悲しい。そういう時、決まって俺はご飯を頬張って感情を誤魔化す。口に物が詰まれば泣く暇はない。涙もなんとなく誤魔化せる。


「……お兄」


 瑠羽が自分の皿から唐揚げを一つ分けてくれた。家族相手であってもお礼を言うのが道理だが、泣くのを堪えている影響で喉の辺りを強く縛されている。これを解けば確実に涙が出るだろう。


 だから何も言えなかった。それでも妹は小声で俺を慰める様に呟いた。


「お兄はお兄だから。あんまり気にしちゃダメだよ」


 それが反抗期から来る相対的な味方だったとしても嬉しかった。


 ひとしきり茶化された後、改めて話題は俺の恋人について戻った。


「ねえ、お兄の恋人ってどんな人なの?」


「あ、それは俺も知りたい」


「どんな物好き……って相手に失礼よね。でも気になるわ」


「そ、それは相手の問題もあるし……ま、またいつか紹介するよ。って言うかさ、お前も唐突に尋ねすぎなんだよ。きっかけがあるだろきっかけが!」


「ん。昨日の夜だけど。お兄が自分の部屋で誰かと喋ってる声がしたから。お兄の自己申告もその前にあったし、じゃあ本当なのかなって」


 それはどう考えても雫との会話だ。昨日の夜というと、焦りと動揺から発狂も斯くやと思われるくらい慌てていた俺を彼女が窘めていた。瑠羽が聞いたのはその一部始終だろう。


「で、どんな人?」


「…………よし、可愛い妹の為だ! 美人で優しくて暖かくて胸が大きくて腰がくびれてて浮世離れした魅力のある女性だ!」


「お兄って虚言癖なのに嘘つくの下手だよね。そんな人いる訳ないじゃん」


「いるわ! 後、嘘じゃねえし!」


「お兄の体育祭見に行った時、クラスにそんな子居なかったよ」


「クラスメイトじゃねえもん!」


「じゃあ絶対あり得ないじゃん。お兄外出するの嫌いだから出会いなんてないでしょ」


「……瑠羽。そこまでにしなさい。虚言癖は自分でも嘘か本当かわからなくなるんだ。可哀想に、柳馬は自分の理想の彼女を作り出して束の間の幸福に浸ってるんだ」


「あんたそれでも親か! 息子の幸せぐらい祈れよ!」


 今の流れで俺は全く嘘を吐いていない。雫に対して素直な評価を言っただけだ。それなのに嘘だとか……甚だ心外だ。


「お兄と仲良かった女の子っていうと、櫻葉さんくらいしか知らないや」


「……絶交したっきりだ」


「仲直りしないの?」


「いいよ。ああなったのは紛れもなく俺の嘘のせいなんだからさ」


 あそこに全てが眠っているとは言わない。人生において誰しも数度は嘘をつく。重大性はさておき。


 だがあの嘘が明るみになった事で今の基礎になったと言われると否めない。「簡単に嘘をつく」と周知された様な物だから。


 傷口に塩を塗られそうだったのでテレビを付けると、ドラマを放送している局を除けば全てのチャンネルが七凪雫の特集となっていた。中には本人がテレビを見ている仮定で芸能人が説得しようとする番組まであった。


「あー。そういえばまだ捕まってないんだよなあの死刑囚」


「怖いわねー。しかも柳馬のクラスメイトが殺されたんでしょ?」


「……ああ」


「……お兄が無事なら、私は有難いけどね。学校早く帰れるし」


 この家族の誰も知らないだろう。もし何かの拍子に知ってしまえばきっと卒倒する。俺の部屋に七凪雫がいる事に。


 彼女こそ俺が両親が妄想と切り捨てた『理想の女性』その物である事に。


「柳馬。アンタ、ラッキーね。外に出歩かないから襲われる心配ないわよ」


 七凪雫は中にいます。


「まあウチには関係ないだろうな! 警察が捕まえてくれるだろ!」


 俺は逃走幇助(罪状に疎いので推定)をしているので大有りです。




「ええ。七凪雫は必ずや捕まえてみせます」




 何気なく見ていたテレビに映った少女に、母親が反応した。


「この子、凄いわよねえ。警察に捜査協力を頼まれてる女子高生なんですってよ」


「探偵ドラマの見過ぎなんじゃないか?」


「分かってないわねー。実際に頼りにされてるから凄いんじゃない。警察が女子高生に捜査協力を頼んでる噂は前からあったけど、まさか本当だったなんてね!」


 母親がベタ褒めしているこの少女の名前は凛原薬子りんばらくすね。探偵以前に何の職業にもついてないが、七凪雫逮捕に絶大な貢献をした事から特別に協力しているらしい。


 貢献も何も彼女は自首したのだが、そこまでの過程で活躍したのだろう。関係者じゃないので何も言えない。


 因みに噂の方は警察の力では解決出来ない事件を捜査してるという物なので、厳密には噂が本当だった訳ではないと思う。


「この町に来るならサイン貰おうかしら」


 来るはずないと言いたいが、殺人事件が起こってしまったので確実に来る。それは俺にとって一先ずの山場である事を示していた。


「お兄。さっきの人、凄くスタイル良いよね。スレンダーで。私もあんな風になりたい……って言ったらどうする?」


「いや、どうするって。別にいいんじゃね? 綺麗になりたいって言うなら応援するよ、しない理由がない」


 瑠羽もスタイルが悪いとは思えないのだが、本人的には不満なのだろう。薬子との差は恐らく筋肉か。彼女はぶっちゃけ俺に言えた義理ではないくらい外出を面倒くさがるので、見る人によっては不健康そうに見えるだろう。


 一方薬子はインタビュー曰く毎日身体を動かしているらしく、とても不健康そうには見えない。趣味はパルクールらしい(どんな女子高生だよ)。


「…………お兄」


 いつの間にか開いていた携帯から目を離して妹は言った。








「私、パルクールやってみたい」


「やめとけ」



 



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