第171話 宣戦布告


 アシュリー先生から頼まれて次の授業の準備のため学園の学舎を歩いている最中。


「……む」


 前を先導して歩くアシュリー先生が僅かに進む速度を緩める。


「ああ! アシュリー先生ではないですか! き、奇遇ですね。先生もこちらにご用事が?」


「……ええ」


 若干どもりながら走り寄ってきたのは丈の長い紺色のローブを纏った金髪の男性。

 見覚えのあるその顔はアシュリー先生だけに集中して向けられている。

 学園の教師の一人であり、俺たち一年生の他のクラスの担任。


 彼は――――。

 

「……フィルディナンド先生もですか?」


 僅かに警戒心と不審感を顕にしたアシュリー先生が、興奮気味のフィルディナンド先生に尋ねる。


「明日の授業で使う教材をいち早く用意したくてですね。生徒に協力してもらって運び出すところです。いやはや教師というのはとかく忙しいものですからね。協力的な生徒がいてくれると本当に助かりますよ。特に我がクラスは優秀な生徒ばかりですから率先して手伝いを申し出てくれますのでね」


 会話が続いたことが嬉しいのか意気揚々と答えるフィルディナンド先生。

 

(この男、私たちのことがまったく視界に入っていないな)


 どこか空回りしている目の前の男性の名は確かフィルディナンド・ リーガ。

 一学年の三つあるクラスの内の一つ。

 フィルディナンドクラスの担任教師。


 長めに伸ばした金の髪を後ろに流した学者風の男性で、身体を動かすより頭脳を活かす方が得意なように見受けられる。

 彼はミストレアの言う通り外部のことなどまったく眼中にない様子で提案してくる。


「よ、よろしければここで出会ったのも何かの縁。アシュリー先生も授業の準備をされるなら人手は多い方がいいでしょう。その……お手伝いしましょうか?」


「結構です」


「いやいや遠慮なさらずとも! アシュリー先生はまだこの学園に勤め始めて間もないでしょう? いくら聡明なアシュリー先生といえど不慣れなことはいまだ多いはずです。同じ一学年の教師同士親睦を深める意味でもですね。共に愛すべき生徒たちのために教材を準備するというのは――――」


「問題ありません」


 なぜか一人で荒ぶっていたフィルディナンド先生をバッサリと切り捨てるアシュリー先生の宣言。

 

「今日は彼に手伝って貰いますので」


 振り向いたアシュリー先生に合わせて自然とこちらに集中する視線。


「……クライ・ペンテシア。居たのか」


 態度が全然違う。

 アシュリー先生に見せていた友好的な雰囲気は一気に冷え切り、ともすれば嫌悪感すら漂ってきそうな厳しい眼差し。


 まあ、無理もないのかもしれない。

 実をいうと他クラスの担任教師だが、フィルディナンド先生とは少しばかり関わりがあった。


 頑なな態度になってしまった原因は容易に推測できる。 

 あのときの取り乱しようは凄かったから……。


(しかし、コイツも他のクラスとはいえ他の生徒たちの視線のある中でこんな態度を取るとは……もっと感情の制御を学ぶべきじゃないか? 私のクライに不躾な視線を送りやがって不愉快な奴だ。それにアシュリーの前で露骨に嫌悪感丸出しの態度をとったのも悪手だろう。この女は意外と自分の生徒に愛着があるからな)


「他に何か用事でもありますか? なければこれで失礼します」


「え、あ、その……」


 不快に目を細めるアシュリー先生の一段と低い声はフィルディナンド先生を正気に戻すには十分だったようだ。

 途端にしどろもどろになった彼は気圧されたように一歩下がる。


 すると入れ替わるように生徒が一人前にでる。


 銀色の艷やかな髪が眩しい女生徒。

 余裕のある笑みを浮かべ両隣には二人の生徒を控えさせている。


(さっきコイツがいっていた手伝いを申しでてくれた生徒か。……それにしてはそんな殊勝な玉には見えないがな)


 ミストレアの分析通り一筋縄ではいきそうもない雰囲気を纏った生徒。

 彼女はまず不機嫌そうに顔を歪めていたアシュリー先生に向き直る。


「アシュリー先生、まずは謝罪を。我がクラスの愚かな教師が大変不躾な態度を取りました。申し訳ありませんでしたわ」


「お……愚か……」


 見事な礼で謝罪する女生徒。

 後ろでその愚かな教師が呻くのを無視して頭を下げる。


 銀の髪がさらりと落ちる中、彼女はすっと視線をこちらに移す。


「あなたが噂の……彼ですか。あなたにも謝罪を。我がクラスの間抜け教師が失礼極まりない態度を取りました。たかが編入試験の模擬戦であなたに負けただけのことをいつまでも引きずって情けない」


「うっ……」


 やはりあのときのことか。

 女生徒の取り巻き二人が冷ややかに見詰める中、心当たりがあるのかフィルディナンド先生が胸を押さえる。


 そう、彼との関わりは学園の入学時。

 編入試験での実技試験の際だった。


 弓の天成器使いということもあってか多分に油断していたフィルディナンド先生。

 決して勝つことが試験合格の条件ではなかったけど、こちらとしては全力で戦うしかない。


 その結果半ば強引に初級魔法しか使わないというハンデをくれたのもあってか割と労せずして勝利してしまった。


 しかし、フィルディナンド先生は自分が敗北したのが余程信じられなかったのか、酷い取り乱しようだった。

 結果的に試験を見学していたレリウス先生の取りなしで事なきを得たけど、彼にとっては認めたくない事実なのだろう。


 もっともフィルディナンド先生はレリウス先生を野蛮だといってあまり得意としていなかったようだから、気に入らない相手に自分の恥ずかしいところが目撃されたと思って余計意固地になってしまったのかもしれない。

 ……まあ実技試験のハンデもレリウス先生が焚きつけた結果だったような気もするけど、理由としては些細なことだろう。

 

「謝罪ついでで申し訳ありませんが、アシュリー先生。少し彼と話をしてもよろしいでしょうか。少々尋ねたいことがありまして。お時間は然程取らせませんので」

 

「……いいでしょう」


 一体何の用事なのか。

 柔らかな笑みを浮かべる彼女の思惑がいまいちわからない。


「ご挨拶が遅れました。私の名はマーガレット。マーガレット・ローンバード。ローンバード侯爵家の次女。不本意ながらそこで事実を改めて突きつけられて言葉を発することさえ忘れたしまったお馬鹿教師の担当クラス。フィルディナンドクラスのクラス委員長を務めております。どうぞよろしくお願いしますね」


 二人の取り巻きの生徒共々頭を下げる彼女に異様な何かを感じる。

 余裕のある微笑みに感じる一抹の違和感。


「……クライ・ペンテシアです。こちらこそよろしく」


「ええ、フフッ」


「……どうしました?」


「いえ、何でもありません。クラス対抗戦を直前に控えた私たちがこうして出会うなど偶然にしては出来過ぎているな、と」


 いままであまり他のクラスは意識したことがなかったからな。

 確かに隣り合う教室なのに直前で知り合うのも変な気がする。


「ところでそちらの個人戦に出場する代表の生徒は決まりましたか?」


(なんだ、この女。用事とかいいつつ単に探りにきたのか)


「……まだです」


 一つのクラスから三人の代表が選出され、それぞれ対戦相手と競い合うことになる個人戦。

 クラスの皆の中にはいても経ってもいられない様子の生徒もいるけど、いまだ代表は決まっていない。

 

「我がクラスの代表はすでに決まっています。余計なお世話かもしれませんが、目標がはっきりしていた方がよろしいと思いますよ」


「……忠告は聞いておきます。ですが代表は自ずと決まるとしかいまは言えませんね」


 マーガレットさんの手痛い指摘に答えるアシュリー先生。

 中々代表が決まらない理由にはアシュリー先生の迷いも関係しているのかもしれない。

 ……我が強い生徒が多いせいかも知れないけど。


「それともう一つ。言伝をお願いしたくて」


「?」


 一瞬見せたマーガレットさんの表情にはいままで余裕からは程遠い……怒り?


「あなたのクラスのプリエルザですが……もし個人戦に出てくるようならば容赦はしないとお伝え下さい」


「プリエルザにですか?」


「ええ、たとえ幼い頃からの知り合いだとしても手加減無用だと。彼女は昔から何かに付けて私を侮っていましたからいい機会です。どちらが上か教えて差し上げましょう。……勿論彼女が個人戦に選出されない可能性も十分にありますが、それはあの娘の実力が選出されるに足りなかっただけのこと。私としては戦うまでもなかったと判断しますわ」


 内容からしてプリエルザとはなにか因縁があるのだろう。

 子供の頃からの知り合い。


 ……苦労しただろうな。


 思わず向けてしまった同情の眼差しが恥ずかしかったのか、一度咳払いをして立て直すと捲し立てるようにマーガレットさんは続ける。


「ペンテシア様、これは宣戦布告と取って貰っても構いませんわ。我がクラスは必ずやあなたたちのクラスに勝利する。あなたたちの全力を粉々に打ち砕く。敵わない相手と知りつつも精々精一杯足掻いて下さると私たちも嬉しく思います。……その方がたっぷりと愉しめますから」


 刹那に垣間見えた嗜虐的な笑み。


(これがこの女の本性)


 強烈な印象を残して去っていくマーガレットさん。

 途中取り巻き二人があわあわとして要領を得なかったフィルディナンド先生を素早く回収する手際は傍目からも手慣れていた。


 廊下で人目も憚らず行われた宣戦布告。

 前途多難が待ち受けていることは間違いなかった。

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