第139話 公爵家の血筋
セリノヴァール公爵家。
帝国領と教国領、二国と隣接した土地を治めるセイフリム王国の四大公爵家の一つ。
周囲を深い堀と土を盛り上げて作られた土塁によって囲まれ、高く堅固な壁に守られた城郭都市を統治し、現当主であるリクセント・セリノヴァールは王国の北部広域を治める北の大公、またはその苛烈な戦いぶりから烈戦卿とも呼ばれることもあるという。
魔力の多い北西の大地から現れる強力な魔物から王国を守る防波堤の役割をも担う貴族。
オークションでエリクシルを落札した人物はかの公爵家の子息だった。
「あの落札者は学園の四年生だったのか……」
「ああ、ゼクシオたちが調べた結果、エリクシルを落札した優男はハルレシオ・セリノヴァール。学園の四年生で成績は非常に優秀。王都の騎士団からも声がかかるほどの実力者だそうだが、卒業後は烈戦卿とも呼ばれる父親を手伝うためにセリノヴァール領に帰るのではないかと噂されてる」
オークションの最後こそ挑発的な表情を見せていたけど、格好一つとっても正しく貴族然としていて、立ち振る舞いにも品があったように思う。
「公爵家という王国を支える大貴族の割には周囲に取り巻きは少ない。それどころか領地の近い者とは親交は深いが王都在住、王城勤務の貴族を親にもつ生徒や一般の生徒との交流はあまりないようだ」
「そんな学園の最上級生がなぜ金貨二十五万枚も支払ってエリクシルを?」
「さあな。理由は不明だ。魔物討伐やダンジョンで使う予定があるのか。はたまた毒殺を恐れて保管しておくのか。ただ金額が金額だからな。当然実家、アイツの場合はセリノヴァール公爵家の力も借りてるだろうな」
ニールのいうように一学生があんな高額な落札代金を払えるとも思えない。
つまり公爵家としてもエリクシルを落札することを了承していたということだろう。
「ちなみにエリクシルはすでに代金を払い終えて王都にあるセリノヴァール公爵家の屋敷に運び込んであるようだ。昨日落札したばかりなのに早いもんだな」
金貨二十五万枚という大金を落札と同時に即決で払う。
到底考えられない所業だな。
「……クライ、正直に言う。……オレはまだエリクシルのことを諦めきれていない」
「……」
苦悶の表情で心情を吐露してくれるニール。
当然だった。
ずっと追い求めていたものに極めて近い、母親の原因不明の病を癒せる可能性をもつもの。
目撃するのすら困難なエリクサーでなく実際に手の届く位置にあったエリクシル。
簡単に諦めきれる訳がない。
「結果がどうなるかはわからない。だが、オレは――――」
「ニール……」
「ここで後悔したくないんだ。母さんを癒せる可能性のある物を前にして諦めたくない。……エリクシルを落札したハルレシオ・セリノヴァールにどんな思惑があったのかは知らない。だが! オレは! アイツがこの後エリクシルをどう扱うのかを聞かなければならない! そうでなければ諦めることなんてできないんだ! オレは最後の最後まで自らの目標としたことを投げ出さない。そう誓ったのだから」
「……ああ、やろう」
熱く想いを語るニールに俺は深く頷く。
エリクシルは落札された。
確かに勝敗でいえばあのときオークション会場で俺たちはハルレシオ・セリノヴァールに大敗を喫したのだろう。
目標と定めていたものを取り逃した。
だが、まだほんの僅か糸のような可能性は残っている。
落札者である彼がエリクシルをすでに使用してしまっている可能性は十分にある。
下手をしたら彼の手元にはすでになく新たな所有者の手に渡っている可能性すらある。
それでも俺とニールは覚悟していた。
エリクシルを引き渡してくれる交渉を行う。
それがどれだけの代償を伴うことなのかは検討もつかない。
しかし、俺たちはまだ何一つ諦めていなかった。
ニールと約束を交わした翌日。
ここはセリノヴァール公爵家の応接室。
母さんの屋敷にあるものと比べても遜色ない見事な調度品の飾られる部屋の中で、張りのある革製のソファーに座り待つのは四人。
俺とニール、公爵家と無用な軋轢を生むことを危惧していたイクスムさん。
……そして接点のないセリノヴァール公爵家への仲介を無理いって頼んだもう一人。
そう、俺には隣で熱心にこちらを覗き見ている彼女しか貴族社会について詳しい人物は思い浮かばなかった。
「このプリエルザを頼っていただけるとは望外の喜びですわ! 必ずクライ様のお役に立つことをお約束します! この! 公爵家の血筋である! 貴族の中の貴族、プリエルザはクライ様のお望みを叶えるために全力を尽くしますわぁ!!」
「あ、はい」
なぜ、プリエルザがこの場にいるのか。
それは彼女しか頼れる人物に心当たりがいなかったからだ。
セロからも聞いたことのある公爵家の血筋。
常日頃から貴族の矜持について語る彼女。
母さんがいまだ王城に泊まり込んでいて帰ってきていないのは残念だった。
外務大臣である母さんに意見を聞ければ一番だったろう。
だけど、その母さんがいないなら自分たちだけでセリノヴァール公爵家に接触する必要があった。
俺たちの中で王国の貴族について比較的に詳しいのはエクレアとラウルイリナだけ。
しかし、彼女たちにセリノヴァール公爵家との交渉の伝手はない。
そこで連絡役として思いついたのがプリエルザだった。
俺の知り合い、共に戦った仲間の中では最も貴族としての位が高いと思われる人物。
彼女なら王国の貴族相手に融通が効くのではないかと考えた。
(仲介役を頼んだだけで、同行まで頼んだ訳ではないのにな。随分張り切ってるなプリエルザ。……妙なことをしでかさなきゃいいんだがな)
「……プリエルザ、こっちから仲介を頼んだのはわかってるんだが……少しは静かにしてくれ」
痛む頭を押さえながらプリエルザを大人しくさせようとするニール。
まあ、気持ちはわかる。
この応接室に控えているセリノヴァール家の使用人と思わしき人たちもプリエルザの緩急の激しい言動にはちょっと引いてる。
でも……。
「なあにぃお、おっしゃるのですかニールさん! ワタクシの英雄であるクライ様のお力になれるなんてとても名誉なことですのよ! ワタクシのこの高揚した気持ちを汲んでくださいまし! たとえほんの少しの間だろうと大人しくしていることなんて到底出来ませんわ!!」
プリエルザ……。
一度誇張した噂をこれ以上広げないように釘は指したのだけど、いまだに俺の前だと暴走気味になる。
……頼ったのは失敗だったかな。
いや、噂を止めるようにいったときも素直に聞いてくれて、これ以上無闇に広げないと約束してくれたし、今回も話を持ちかけたら嫌な顔一つせず、寧ろ二つ返事で了承してくれた。
好意で動いてくれたのに失礼な考えだったな。
「ハァ、ハァ……ワタクシが“孤高の英雄”であるクライ様と共同で困難な出来事に挑むなんて。ああ、なんて素晴らしいことでしょう。この上は公爵家相手といえど目標であるエリクシルを必ずや手に入れませんと……。打倒ハルレシオ・セリノヴァールですわ!!」
(交渉する相手を倒すな!!)
……頼ったのは失敗だったかも。
ミストレアの念話での叫びが頭に響く。
「お待たせしました。ハルレシオ様のご用意が整いましたので皆様執務室までご案内いたします」
ニールと同じく痛む頭を押さえていると案内役と思わしき使用人の方から声がかかる。
あとを追いついていくこと数分。
「失礼します。お客様をお連れしました」
「入ってくれ」
重厚な扉の先にかの人物は待ち構えていた。
「これはこれはお待たせして申し訳ない。何分急な来訪だったもので時間に余裕がなくてね」
(あれがハルレシオ・セリノヴァール? オークション会場で見たときより威厳がないな)
「早速だが自己紹介といこう。私はセリノヴァール公爵家の嫡男、ハルレシオ・セリノヴァール。学園の四年生で君たち、クライ君とプリエルザ君には先輩にあたるのかな」
「ええ、よろしくお願いしますわ!」
「よろしく、お願いします」
「……」
「ああ、それとニール君とはオークション会場で競い合った仲だったね。君とは一度話して見たかったんだ。……なぜあれほどエリクシルを熱望していたのかを、ね」
ミストレアが威厳がないと判断していたがそれは間違いだったと確信していた。
一瞬だけ垣間見えた鋭い視線。
この先の交渉は予想以上に難しいものになるかもしれない。
そんな嫌な予感が背筋を流れていた。
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