第105話 憎悪の声
「短剣……?」
エディレーンさんの手渡してくれた古めかしい木箱には、柔らかそうな布を下敷きにして、灰色に染まった一本の短剣が鎮座していた。
全長は四十cmほどの短剣。
特長的なのはその約三十cmの幅広い刃渡りだ。
鞘に納められているため剣身の詳細は窺いしれないものの、通常の短剣の倍近くはあるの外見からでも一目で見てとれる。
「分類ではプギオと呼ばれる短剣の一種だな。鞘に納まっているからわかりにくいが、剣身は柄の近くが細く、中程が太く、先端は尖っている筈だ。木の葉型の刃を有する、刺突をメインにした叩き切るための武器だろう」
エディレーンさんが推察した考察を細かく説明してくれる。
しかし、俺の耳にはその言葉は朧げに聞こえているだけだった。
これが……これが、“失色の器”。
手を伸ばす。
この短剣に《リーディング》を使えば――――。
「おっと、まだここではスキルを使ってはいけないよ」
「っ!?」
伸ばしていた手をそっと掴まれ、ケイゼ先生に身体ごと抱き止められる。
「フフ、ここでスキルを使ってはダメだ。新たな“失色の器”に興味があるのは私も同じだが、エディレーンは抜け目ない奴だからね。君のあのスキルについて知れば根掘り葉掘り聞かれることになる。丁度先程のことで君への関心が高まっているからね。彼女の追求は止むことはないだろう。それはそれで面倒なことになってもおかしくない。……我慢して、くれるね」
周囲に聞こえないように密着して囁かれたため、耳を撫でるケイゼ先生の吐息のくすぐったさに、思わず身震いしてしまう。
咄嗟に硬直していた身体を動かし、ケイゼ先生の緩い拘束から抜けだした。
「す、すみません」
「…………」
「あ! その、これは!?」
視線が集中していた。
応接室に居る人の視線すべてが。
見渡せば各人各様の反応。
ニヤニヤと笑うエディレーンさん。
深い溜め息を吐くイクスムさん。
『ホッホッホ。若人は人前で大胆じゃのぅ』となぜか感心しているシグラクニスさん。
そして――――。
「エ、エクレア?」
「ハーマート」
な、なんで天成器を起動するんだ?
「…………この女は危険」
彼女は席から立ち上がり、両手に双剣の天成器ハーマートを出現させる。
「エ、エクレア、一旦、一旦落ち着こう。誤解だ! そ、そう誤解だよ」
自分でもなにを言い訳しているのかわからない。
ケイゼ先生は人前で《リーディング》を使おうとした迂闊な俺を止めてくれただけだ。
いくら信用しているとはいえ、エディレーンさんやシグラクニスさんの前でなにが起こるかわからない《リーディング》を使おうとした俺を、身体を張って助けてくれた。
ただそれだけなのに。
突如エクレアのとった臨戦態勢に俺は物凄く焦っていた。
(あれは妹様も怒るだろう。ケイゼはからかうつもりであんなことをしでかしたんだろうが……やりすぎたな)
「いや〜、すまないね。私も“失色の器”を早く見たかったから、つい! つい! クライに必要以上に密着して覗き込んでしまった。ハハハ、どうやら誤解させてしまったようだ。なんだか判らないけど謝るよ。すまなかったね」
「…………コイツ……」
なぜか上機嫌にはしゃぐケイゼ先生に、いつもの無表情とは明らかに一変したエクレアが、怒りの眼差しで睨みつける。
「ふふふ、あははは! 面白い、面白いな。お前たちは!!」
大声で笑い続けるエディレーンさんに、この状況をなんとかして欲しいと俺は切に願っていた。
「ほう、ここがクライとエクレアの実家か……貴族街の一角にこれ程の豪邸を建てるとは、流石『外交の切り札』とも称されるペンテシア伯爵家のお屋敷だ」
「……そんなに有名なんですか?」
「勿論だとも、ペンテシア伯爵家の現当主はその美貌でもって交渉相手を骨抜きにすると有名だ。勿論本人の話術も巧みなのは言うまでもないが、彼女は独身だろ。他国からも求婚の声が鳴り止まないと噂になっているぞ」
そうか、皆父さんのことを知らないから……。
ケイゼ先生は『滅多に研究棟の外に出ない私ですら知っている最早常識のような有名な噂だ』と断言していた。
……結構長い間王都で生活しているけど一度も聞いたことないんだけど。
ああそれと、ケイゼ先生は『彼女の前で不埒なことをしでかした相手は、漏れなく消し炭になると恐れられてもいる』と神妙に語っていたけど……消し炭にするって冗談じゃなかったんだな。
というか、それが常識として浸透してるって母さんは一体なにをしでかしたんだ。
「それにセイフリム王国は一妻多夫でもあるからな。彼女の夫になりたい男は多いだろう。なにせ、国王だけでなく、交渉の難しい森林王国の女王にも気に入られるほどの女傑だ。望むと望まざると関係なく引く手数多だろう。……ああそうだ、セイフリム王国は一妻多夫でもあるんだぞ。覚えておくと良い事があるかもな」
「はぁ」
あれから俺たちはエディレーンさんとシグラクニスさんに依頼のお礼を伝え、ケイゼ先生の希望通り《リーディング》を使っても人目につかない場所として貴族街の母さんの屋敷に案内していた。
「…………」
エクレアはいまだ機嫌が悪いのか、ケイゼ先生の方向に一切視線を向けない。
せっかく関係を修復できてきたと思った矢先なのに……。
俺ががっくりと肩を落としていてもイクスムさんは平常通りだった。
どこか浮かれているケイゼ先生に気を引き締めるように忠告する。
「今は御当主様はいらっしゃいませんがくれぐれも粗相のないようにお願いします」
「勿論さ」
「それと、エクレアお嬢様にも早急に謝罪するように。冒険者ギルドでの誤魔化しのような謝罪では許しませんよ。しっかりと心を籠めて誠実に謝って下さい」
「……まあ、確かに私も調子に乗り過ぎたな。判ったよ。エクレアには私から謝っておく」
険しい表情で放たれたイクスムさんの苦言は、ケイゼ先生を冷静にさせる十分な威力があったようだ。
明らかにさっきまでとは違う反省した様子のケイゼ先生なら、真摯に謝罪すればきっとエクレアも許してくれるはずだ。
「……ふん」
許して……くれるはずだ。
微妙な雰囲気のまま仏頂面のイクスムさんを先導役に屋敷の応接室に到着する。
「う〜ん、クライの部屋には案内してくれないのかい。年頃の男の子の部屋がどんなものか興味があったんだけど……」
「……」
反省して……くれているんだよな。
部屋に入るなりエクレアの機嫌を損ねるようなことをいわないで欲しい。
いまだって凄い目つきでケイゼ先生を見てたぞ。
(妹様の眼光に何度睨まれても怯まないとはな。ケイゼもやるじゃないか)
(どこに感心してるんだ、ミストレア)
取り敢えず場の空気を変えるためにも冒険者ギルドで受けとった木箱をマジックバックから取りだす。
やはり皆これが重要な物だとわかるからか、自然と言葉が少なくなる。
「これにクライ様がスキルを使えば過去の光景を見ることができるとは……にわかには信じられませんね」
灰色の短剣をまじまじと見つめながらイクスムさんが不思議そうに呟く。
「ああ、Dスキルは破格のスキルだ。物質の解析に加えて“失色の器”の過去の使い手すら垣間見ることができるんだからね。それにしても短剣とはな。果たしてどんな過去を目撃することになるのやら。……ここでアレコレ考察しても始まらないな。早速だがクライ、《リーディング》を使ってくれるか?」
「はい」
いよいよ《リーディング》を使うときがきた。
灰色の短剣に手を伸ばす。
ふと気づく、そういえば、こんなに人に見守られながら《リーディング》を使うのは始めてだな。
そう思ったら緊張してきた。
伸ばした手が思わず空中で止まる。
「……兄さん、気をつけて」
エクレアの心配そうな声に……力強く頷いて答える。
そうだ、俺が不安がっていても仕方ない。
前に進むんだ。
灰色の短剣に触れる。
「――――【リーディング】」
「ラナ・ミクオル。君をこの都市グラームホールから追放処分とする。これは――――決定事項だ」
「そんな! 何故ラナがこの都市を追い出されなくてはならないの! ラナはここを守っただけじゃない! それを貴方たちは労いもせず、礼を言う訳でもなく、ただ追い出すですって! 何故そんな仕打ちができるの!?」
「お姉ちゃん……いいの」
追放処分?
目の前で行われる儀式めいた通達に驚きを隠せない。
《リーディング》を使用したあと、俺はどこかの部屋の中にいた。
そこでは初老の男性が女性二人を前になにか書類を読み上げていた。
それはラナと呼ばれた女性に関することのようで、その内容に納得のいかないラナさんのお姉さんが声を荒らげていた。
部屋には三人の他にも初老の男性の護衛らしき男性が何人か存在した。
ただその人たちは一様に難しい顔をして押し黙っている。
「私では……もう止められないんだ。どうにか追放処分だけは免れられないか抗ったが……結局は民衆の声に逆らえなかった。済まない、君がこの都市を命懸けで守ってくれたのに……私たちは何の力になれなかった。本当に済まない、どうか、どうか哀れな私たちを許してくれ……」
初老の男性が苦渋の想いを表情に浮かべたまま、深く頭を下げる。
それは心からの謝罪であり、護衛の男性たちも一斉に頭を下げる異様な光景だった。
「なんで……なんで謝るのよ! 謝るくらいならラナを! ラナを――――」
「お姉ちゃん……」
「ラナを、助けてよ。こんなに頑張ってるラナが、報われないなんて……おかしいよ……」
だが、その光景はラナさんのお姉さんにとっては受け入れ難いものだったようだ。
瞳から大粒の涙を溢し、その場に力無くへたり込んでしまった。
(なんなんだコレは……)
(どうやらあの初老の男は格好からして権力者、または貴族かなにかのようだな)
(っ、ミストレア)
(今回もどうやら私たちは会話ができるようだな)
ミストレアと意思の疎通がとれるのはありがたい。
俺一人だとこの状況を理解するのに時間がかかりそうだったからな。
(それにしても何故ラナは追放されるんだ?)
(わからない。ただ……ラナさんのお姉さんが処分の内容に怒っていたのに対して、ラナさんはどこか諦めているような表情をしているのが少し気になる)
ラナさんは床に泣き崩れてしまったお姉さんを優しく抱き起こす。
誰もが言葉を発せない暗く沈んだ空気だった。
抱き起こしたお姉さんをしっかりと抱えるとラナさんは振り返る。
その声はどこまでも平坦だった。
「お世話に……なりました」
彼女が去るのを誰も引き止めなかった。
ラナさんはお姉さんに肩を貸しながら建物を歩き続ける。
やがて大きな扉に行き当たった。
それはどうやら外に繋がる扉のようだったが……なにかおかしい。
それでもラナさんはゆっくりと扉を開く。
「出てけぇーー!!」
「何であんたみたいな奴がこの街にいるんだ! 早く出ていけーー!!」
「アンタなんかに守られたくなかった! なんでアンタみたいのがこのグラームホールにいるんだ! わたしたちを、騙したな!!」
「この呪われた存在め。なぜお前のようなものが生きているんだ。あの属性を操る者などを自由にして、どれほどの災禍を招くのか。追放処分など生温い。捕まえて永遠に閉じ込めておくべきだ」
扉の先には群衆が待ち受けていた。
怨嗟の声をラナさんに向けて叫ぶ数多の群衆が。
都市の警備の騎士らしき人たちが押し留めているものの、その勢いは凄まじい。
いつ決壊してもおかしくないほどの熱狂が群衆を包んでいた。
(なんだコレ……なんでこんなにラナさんを責めるんだ?)
憎悪の声は彼女が都市をでるその瞬間まで決して止むことはなかった。
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