第19話 狼獣人


「聞こえてるだろ。その猫から手を離せ」


 裏路地の薄暗い暗闇から呼び止められる。

 その声の主はどうやら同い年ぐらいの男性のようだ。

 頭頂部にはララットさんと同じような動物の特徴を持った耳。

 背後にある尻尾が僅かに揺れ、瞳には僅かな敵意が滲んでいる。

 

 ララットさんの耳と尻尾はふさふさとした柔かそうな毛並みだったけど、この男性は硬くしなやかな印象を受ける。

 狼のような特徴をもつ獣人の男性はこちらを怪訝に睨み言葉を続ける。


「これも依頼でね。その猫が必要なんだ。渡してくれないか?」


 必要……シータの言っていた誘拐犯か?

 まさか……本当に?


 思わぬ事態に動揺してパウの拘束が一瞬緩む。

 その間に見知らぬ人に捕まえられたのが気に入らないのかパウが暴れだす。

 逃さないようにギュッと両腕で抱き締めた。


(鋭い目だ、クライ……気をつけろよ)


「……俺も頼まれて探しに来たんだ。この子は持ち主に返す」


「その猫……どう見ても嫌がってるじゃないか! そんな言葉を信じれると思うか?」


「それはっ!?」


 マズい、さっきまでの怪しんでいるだけだった瞳はいまやすっかりと敵意に染まってしまっている。

 狼獣人の男性は目の前で身を屈め臨戦態勢に変わる。


「べイオン」


 右手の二重刻印から光が溢れる。

 地面を出現した天成器がカツンと叩く。

 光が形成したのはニmほどの細長い棒だった。


 中央を持ち風を切るように振り回す。

 余計な装飾のない白銀の打撃武器。

 その先端を向け狼獣人の男性が糾弾する。


「大人しくその猫を渡せ! さもなくば……不本意だが少し痛い目を見てもらう」


(このままだと都市の中で戦闘になる。クライ、いつでも私を出せるように心構えをしておけ)


「待ってくれ! この猫のことは牧場の――――」


「――――警告はした。言い訳は後で聞く」


 獣人特有の高い身体能力。

 五mはあった距離を一気に詰めてくる。

 それでもパウを抱えたままなんとか足元を狙った下段払いを躱す。


 どうやらパウを傷つけることを気にして本気で攻めてはきていないようだ。

 ……彼は依頼でパウを必要としている。

 本当にシータの言っていた動物の誘拐犯なのか?


(クライ! ボケっとしてる場合ではないぞ。反撃しなければ一方的にやられる。もし彼が誘拐犯なら目撃者の私たちも口封じになにをされるかわからない)

 

 ……確かにそうだ。

 真偽はどうであれ、今は応戦すべきだ。


 攻撃の合間にパウをそっと地面に下ろす。

 周辺に満ちる戦闘の気配に一目散に逃げ出した。

 仕方ない、いまは避難してもらったほうが都合がいい。

 また後でもう一度探し出すとしよう。


「悪いが大人しくやられるわけにはいかない! 怪我をしても恨まないでくれ! ミストレア!」


「っ!?」


 出現と同時に放った矢は後退しながら回転させた天成器で弾かれた。

 身体能力だけでなく動体視力もいいようだ。

 機動力を奪うために足を狙ったけど手加減できる相手ではないかもしれない。


「弓か……戦いづらいな」


 こちらの武器が対処しずらいと考えたのか警戒の度合いが跳ね上がった。

 姿勢を低く保ち隙を伺う獣のように身構える。


 先手を打つ。

 

 ここは両側を建物に挟まれた幅四mほどの路地。

 射線は一直線に通り、障害となる物はゴミを集める集荷箱ぐらいしかない。

 狙いは先程と変わらず足を撃つ。

 腰の矢筒から取り出した二本の矢を同時につがえ、放つ。

 

「なっ!?」


 反応は素早かった。

 それでも躱すまでは予想できていた。

 予想できなかったのは建物の壁面を足場に空中に跳び上がったこと。

 壁を蹴り、また反対の壁を蹴る。

 迎撃のため続けて放った矢はどれも紙一重で避けられた。

 空中を縦横無尽に駆ける機動を捉えきれない。


「はぁっ!」


 上空からの強烈な振り下ろし。

 マジックバックからトレントの盾を取り出す暇もない。

 咄嗟に路地の壁にぶつかるように避ける。

 

 息つく暇もない連続攻撃。

 振り下ろしからの上段払い、さらに身体を回転させての中段突き。

 一連の攻撃をなんとか躱したが、続く下段への斜め振り下ろしは避けれなかった。

 白銀の棒が左の太腿を強かに打つ。


「ぐっ!」


 尚も止まらない攻撃を今度こそ取り出せたトレントの盾で防ぐ。

 振り下ろしに合わせて大きく弾き返した。


「なんだ!? 弓使いじゃないのか?」


 返事を返す暇もない。

 突然の盾の出現と攻撃の反動に僅かに逡巡している隙に距離を少しでも空ける。


(左足は大丈夫か? あいつ……)


(どうやら人相手に戦い慣れているようだ。動作に細かいフェイントも入っていて予測し辛い。足は動けないほどの怪我ではないけど素早く走るのは難しい。どうするか……)


 機動力を奪われたのは痛い。

 この狭い空間ではポーションでの回復をさせてくれる隙はくれないだろう。

 負傷した左足を庇いながらの戦い。

 考えろ。

 どうすれば現状を打破できる。

 あの獣のような戦い方に対抗するには……。

 

「ふぅ」


 獣、獣か。


「何やってんだニール! 弓使い相手に距離を取らせるな! 盾が煩わしいなら翻弄して手玉に取ってやればいい。攻め続けろ!」


「わかってるよ、べイオン。しかし、弓の天成器を使う割にこっちの攻撃は盾で上手く捌かれる。……妙な奴だ。手加減できる相手でもない。悪いが意識を失わせてから拘束させて貰う」


 僅かにあった心の乱れは天成器からの助言で立ち直ったようだ。

 次は油断なく攻めて来るだろう。


「【クォーツアロー2】!」


 まだ攻撃手段を隠していたのか!?

 空中に透き通った石が形成され徐々に矢の形に変化する。

 二本の水晶の矢が直線を描いて飛来する。


「くっ!」


 トレントの盾を斜めに構え受け流す。

 裏路地で人通りは少ないとしても都市の中で魔法を使うのか!?

 いや、そんな心配をしてる場合じゃない。

 

「格納」


(クライっ!?)


 ミストレアには悪いが相手が近すぎて弓で狙いにくい。

 足も負傷して動きづらいならいっその事この場で防御に専念する。


「唯一の武器の弓をしまってどうする? 盾で永遠に受け続けられるわけでもないだろうに」


「……」


「まあ諦めたなら仕方ない。ニール、なるべく痛くないよう一思いに気絶させてやれ」


 猛攻が始まった。

 多彩な攻撃。

 突き、払い、振り下ろし、時折混ざる水晶の魔法。

 細かいフェイントを織り交ぜながらトレントの盾を避けるように多面的に攻めてくる。

 幅の狭い路地の筈なのにそれを感じさせない。


 ひたすら耐える。

 トレントの盾が絶え間ない攻撃に晒され傷つき軋む。

 

「【クォーツアロー・ダイブ4】」


 狼獣人の男性が息を整えるためか大きく一歩、二歩と下がり呪文を唱えた。

 空中に展開された魔法の始点から斜め上に水晶の矢が飛んでいく。

 この攻撃が厄介だ。

 斜めに飛んだ水晶の矢は空で僅かに滞空すると今度は角度を変え速度を増しながら斜め下に降り注ぐ。


 防ぎ辛くまた、防げば体勢を崩される直角を描く空中からの襲撃。

 

 魔法を放ち終われば再び接近して巧みな棒術で攻めてくる。

 遠近の攻撃手段を上手く織り交ぜた一連の隙のない動作。

 一見して完璧で絶え間ない連続攻撃。


 だが、隙がないなら無理矢理作る!


「うわっ! なんだこの煙」


 足元を狙って炸裂させたのはお手製の煙玉だ。

 以前魔物に執拗に追われ続けた経験から作り出した視覚も嗅覚も妨げる会心の一品。

 ミノタウロスのときは広い草原で相手も巨大だったから使う機会はなかったけど、狭く空気の流れもない空間なら存分に効果を発揮するだろう。


「ごほ、ごほっ、なんだコレ! 見えないだけじゃない。何か混ぜてるのか鼻も効かない」


「ニール、動揺するな! 声を出せばそれだけ正確に居場所がバレる!」


 こちらはすでに地形を把握している。

 まずは気配を極力消す。

 狩人なら獲物を警戒させないため何時間も耐え続ける。

 気配遮断は得意分野だ。


 煙で視界の効かない路地を音を立てないようにゆっくりと駆ける。

 

「くそっ、何処に居る! ……そこかっ!」


 残念ながらそこに俺はいない。

 彼の背後で音が発せられたのは、エンマーズ防具店で譲って貰った投げナイフをわざと大きな音を立てるように投げたからだ。

 ――――特定の位置に誘導するために。


 音に誘われ無防備な背中を向ける獣人の男性に、新調した鉈の峰を首元に当て警告する。

 ……流石に刃を立てる気はない。

 

「これで終わりだ。話を聞かせてくれ、あんたは本当に誘拐犯なのか?」


「っ!? 待てっ!」


 少しずつ拡散していく煙の中、彼は慌てた様子で振り返り静止の言葉を叫ぶ。

 勝敗はすでに決していた。





 

 空は夕日に染まり始めている。

 シータと出会った牧場の前でニールと二人呆然と立ち尽くしていた。


「まったくこの子はっ! 人様に迷惑ばかりかけて! お二人に謝りなさい!」


「うわ〜ん、ごめんなさ〜い」


 目の前ではシータが両親に可哀想になるほど怒られている。

 どうやら二人して見事にシータに騙されたようだった。

 隣で呆気にとられた顔をしていたニールが声を潜めながら話す。


「まさか、飼い猫なんて嘘だったとはな……見事に騙されたよ。その……悪かったな、勘違いして襲いかかって」


 シータは飼い猫だと説明したけど実際にはただの野良猫で両親に反対されてもどうしても飼いたかったようだ。

 誰も話を聞いてくれなかったのも嘘で先にニールに猫探しを頼み、俺に頼んだのは二人目だったそうだ。


 シータはこれまでも道を歩く何人かに無理矢理用事を頼んだこともあるそうで、中には牧場の牛たちの世話やお使いの荷物持ちまでさせられた人もいるらしい。

 彼女の演技は真に迫っていて大人たちもコロッと騙されてしまうそうだ。


 この騒動の唯一の救いは勝手にパウと名付けられた野良猫はシータの両親の営む牧場が気に入ったのか、逃げ出そうとしないことだ。

 両親も連れてきてしまった以上なし崩し的にこのままここで飼うことを許可したようだ。

 シータはこっぴどく怒られているけど希望は叶った形だ。


(まあ、怪しいとは思ったんだが……これもいい経験になったと思うしかないな。それにしても大の大人でも騙される演技……彼女は魔女の女だな)


 疑うこともせず簡単に騙されてしまった。

 ミストレアはどうやら多少の疑いを持ってシータを見ていたらしい。

 教えてくれてもいいと思って尋ねたが、実際に騙されてからでもいいと考えて黙っていたそうだ。


 隣では一連の話を両親から聞かされ項垂れているニールがいる。

 戦闘とときにピンと上向きに跳ねていた耳はしなやかな尻尾と一緒に力無く垂れ下がっている。


「こんな年端もいかない子供に騙されるなんて……」


「子供のわがままに付きやってあげただけだろう、気にするな。悪意ある行動に比べればかわいいものだ。もう許してやれ」


「それはそうだけど……」


「騙された自分が不甲斐ないとか思ってるんだろ。それも許してやれ」


「はあ……わかったよ。べイオン、ありがとう」


 落ち込むニールをべイオンが諭す。

 大雑把に見えてべイオンも冷静な面もあるようだ。

 これまでのやり取りからも二人が信頼し合っているのが理解出来る。

 

 落ち込んでいたニールと対照的にシータは元気を取り戻したのか満面の笑顔を浮かべている。

 その両腕には身動ぎしながらもおとなしくパウが抱きかかえられていた。


「お兄さんたち! ありがとう!」


 今度は演技ではないと信じたい。

 騙されたニールと二人顔を見合わせて苦笑した。

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