第101話 執事

 アーグレンだけはその言葉の意味が理解出来るようで、私を真っ直ぐ見つめてくる。だが私にはなんのことだか全く分からなかった。


 何故だかぎこちない空気が流れる馬車は気づけばブロンド家のお屋敷に迫っていた。


 アレクシスは私達を降ろすと城へと帰っていく。結局彼は別れる最後まで浮かない表情をしていた。


「またな」とだけ言い残してはいたが…明らかに普段の表情ではなかった。


 さっきまでは普通だったのにいきなりどうしたのよ…。


「…驚いたな。アレクがそこまで…」


 アーグレンが心底驚いた様子で言葉を漏らしたが、私にはよく聞き取れなかった。


「…え?」


「…いえ、なんでもございません。今はあの悪魔のような王女の城から帰還できたことを喜びましょう」


 真顔でそう呟く彼に私は吹き出す。確かにその通りだ。危険もあったけど…命に関わるようなものでもないし、アルターニャの兄の存在も知れたし結論から言うと今日は行って良かったわね。


 あの王子が最悪だって初めから分かっているんだからこれから関わらないようにするとして…気がかりなのはツヴァイト殿下だけど…それもいつかは解決しないとね。


 聞こえてる?二人共。

 不幸になるのはいつだって悪役だけ。私だけじゃなくてエリック殿下にアルターニャ王女…あんた達も道連れにしてやるわよ。


 今まで好き放題やってたことをせいぜい悔やむのね。


 …私って本当にリティシアなのかな…こんな悪女みたいな台詞を普通に言えるようになるなんて…もう本人なんじゃないかと思い始めてきた。


 いやでもそんなことないわよ。だって私は転生したってことだけははっきり覚えてるんだもの。


 それに、もし私がリティシア本人ならリティシアの未来を知っているはずないわ。

 我ながらバカなことを考えたものね。


「…公女様?どうしましたか?」


「…さっきのアレクの浮かない表情はなんだったんだろうって思っただけよ。ほら早く行くわよ」


 私が話を誤魔化す為に扉を開こうとドアノブに手をかけたその瞬間、アーグレンがなんとも悲しそうに声を発する。


「…本当に分かりませんか?」


「…分からないけど?」


「…そうですか」


 アーグレンはそう言葉を返すとそれ以上私に聞くことはなかった。


 彼が私の後ろから手を伸ばし扉をそっと押すと、軽くそれが開いていく。私の怪訝そうな表情は気にも留めず、「さぁ公女様、お入り下さい」と呟いた。


 …あぁそう、分かったわ、じゃぁ入るわよ。


「お帰りなさいませリティシア様」


 てっきり待っているのはルナであろうと思っていた私は、聞こえてきた低い声に驚きその声の主を確かめると、この家で働く執事の姿があった。


「…執事?」


 彼はルナよりも前に入ってきた執事であり、その仕事ぶりが素晴らしいと聞いたことがある。


 そして自分より優れた存在を何よりも嫌うリティシアとの関係が悪いのは当然とも言える。


 今まで執事は私を避けていたのか直接対面することは殆どなかった。恐らく会うだけでリティシアの怒りの矛先が向くと彼は分かっていてわざと避けていたのだろう。


 …そう、そんな彼が何故私を出迎えるのか理解出来ない。ルナ以外の使用人は未だに私を「少し大人しくなったけどやっぱり以前のような悪女」だと思っているはずだから…。


 まぁ、理由はどうあれ、ルナ以外がこうやって出迎えてくれるなんてなんだかとっても新鮮だわ。


「ベルハルト卿、いつもリティシア様をお護り頂き有難うございます。私としても嬉しい限りであります」


「いえ、私は護衛騎士ですので…当然のことをしたまでです」


「そうですか。それにしてもリティシア様は…最近は随分とお変わりになられましたね。」


「…私は何も変わっていないけど?」


「私には分かりますよ。幼い頃からずっと見てきましたから。あんまりにも奥様と旦那さまが甘やかしてしまわれるから…少しばかりお転婆がすぎると思っていましたが…今はすっかり大人になられましたね。」


「…大人になんかなってないわ。」


 私は素っ気なく呟くと微笑む執事から視線を逸らす。


 中身が成長したんじゃなくて…ただ中身がごっそり変わってしまっただけ。貴方の仕えていたリティシア様はもうどこにもいないのよ。


「奥様に魔法を教わろうとするその意欲的な姿勢、それから殿下や護衛騎士を心から大切になさるリティシア様は…随分と大人になられたと言えるでしょう」


 驚いた。全部知っているのね。

 噂や目に見えることだけに囚われず私の中身を見抜いた……流石公爵家の執事だわ。


「リティシア様、素敵な護衛騎士の方と…素敵な王子様に恵まれましたね」


 その言葉に私は思わず頷きかけたが、慌てて首を横に振る。いや本当にその通りだと思うけどね…ここで頷くのはリティシアらしくないもの。


「…別にそんなことないわ」


 その返事を聞いても尚執事は笑みを崩さない。まるで私の嘘を見抜いているかのような視線を向けてくる。


 執事にはもう私が以前のような悪女ではないと気づかれているのだろう。


 だがここでもし私が素直に頷いたとしたら使用人達にもその噂が広まってしまう。


 そう簡単にはならないと思うが最終的には使用人達の評価が上がり…悪女なのに使用人に好かれているとはおかしい。もしかしたら悪女ではないのではないかと周囲に噂され…今まで作り上げてきた悪役令嬢リティシアのイメージは壊れ、王と皇后もそれを信じてしまえば…婚約破棄は遠のく。


 アレクシスから婚約破棄をさせるのはほぼ無理だ。私から言ったところで最もらしい理由がなければ彼は恐らく納得しない。


 やっぱり色々考えたけど、執事には勝手に思わせておく方が得でしょうね。ピンチの時に私の味方になってくれるならそれはそれで嬉しいもの。






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