26話 仮面少女
その後の探索は、――結局、かなり難航することとなった。
なにせこの世界の森は、ほとんどジャングルに近い。
一般に、木々が密集している地帯は下草が生長しにくい性質がある。
だがこの世界の木々はあまり枝葉が発達しておらず、太陽が足元まで照りつけているのだ。
そのためだろう、この手の鬱蒼とした森特有の涼しげな雰囲気は感じられず、――大量のつる植物があちこちで繁殖していて、歩きにくいことこの上ない。
「……ううむ……」
狂太郎は、早くも音を上げそうになっている。
とにかく、気軽に前に進むことすらままならない。
その上、今は、目的地すらはっきりしていないのだ。
道は一応、ある。
しかしそれすら、ほとんど獣道とでも呼ぶべきものだった。
「最悪、このまま遭難したりしてな」
世界を救うべき者が、そんな間抜けた死に方をするわけにはいかない。
しかし、これからしばらくここに住む羽目になることを思うと、それだけですっかり気が滅入ってしまうのであった。
――良いところも見つけてみよう。……そうだな。ここは、普通の亜熱帯林と違って、比較的気候は涼しい……ように思える。お陰で厚手のコートを着ることができる。だから、細かな怪我を負う心配はあまりない。
などと、自分を慰めつつ(※5)。
これまで攻略してきた世界でも、この手の地帯を歩くことは、あった。
だが、そうした場所で最も注意せねばならないのは常に巨大生物の類であり、この世界のように、蜂や蜘蛛、蛾や得体の知れない甲殻類などに気を配らなければならない経験は初めてだ。
――一応、こういうのも現実的、ではある。だが、ゲームの世界でこの手の現実を思い知る必要はあるのか?
その原因は恐らく、このゲームに登場する、無駄に多様なアイテム類のせいだろう。
ちょっと攻略wikiをチェックしただけでも、
キロバチのはちみつ
メガハチのはちみつ
ギガハチのはちみつ
テラバチのはちみつ
ペタバチのはちみつ
エクサハチのはちみつ
ゼタハチのはちみつ
ヨタハチのはちみつ
ただの”はちみつ”シリーズでこの種類だ。
この島がどれほどの大きさかはわからない。だが、とにかくこの付近にはそれだけ多様なハチが存在するらしい。
当然、右を見ても虫。左を見ても虫。そういう状況だ。
――帰りたい。虫の気配のない我が家に。
素直に、そう思った。”日雇い救世主”となってから、なんだかんだこの仕事を楽しんできたが、こればっかりはさすがに嫌気がさす。
一応、常人の100倍に加速しているため、小型の虫などにたかられる危険性は低い。だが、ちょっぴり好奇心を出して大きな葉っぱの裏を見たりすると、やたら攻撃的なデザインの蟻がびっしりいたりして、ぎょっと背筋が凍るのだった。
やがて狂太郎は、ちょうど良い倒木を見つけて、腰を下ろす。
――ちょっと歩けば人里が見つかると思っていたが。甘かったな。
どうやら、しっかり目的を定める必要があるらしい。
狂太郎も、これで五度目の異世界転移である。人里を見つけるコツは心得ていた。
まずこういう時、何を置いても頼りにすべきは、――タブレットPCに入れた攻略wikiである。彼のPCには、ゲームに関することであれば網羅的に情報が保存されている。まず、そこから付近の動物のデザインをチェックし、今いるここがだいたい、ゲーム的にどの辺のエリアかを調べ、それによっておおよその方角を決定するのだ。
「ええと……なんだ。ここ、かなり後半のエリアじゃないか。……ナインの奴め。もう少し都合の良い場所に転移させてくれれば良かったのに」
ぼやきつつ、狂太郎はコンパスを取り出す。
意外かも知れないが、異世界でもコンパスはわりと役に立つ。東西南北はゲームをナビゲーションする上でかなり便利な概念であるため、ファンタジックな世界観であっても適応されていることが多いのだ。
タブレット端末を鞄にしまいつつ。
ちょっぴりペットボトル飲料を口に含んで。
「さて……」
と、呟いた時、ようやく、すぐ目の前にまで一本の弓矢が迫っていることに気付いた。
その速度は、――時速で言うと300キロほどだろうか。
今の狂太郎には、のんびり散歩を愉しんでいる人、くらいのスピードである。
「うわ。びっくりした」
とはいえ、放置していたとしても危険はなかった。
矢は、どうやら狂太郎の足元を狙っているらしい。
――威嚇のつもりかな。
狂太郎は、中空をゆっくり進む矢をキャッチして、それが飛んできた方向を見定める。
そしてその先、おおよそ三百メートルほど向こうに仮面を被った人物の存在を認めて、
――おお。これはついてるぞ。
と、さっそくその者との接触を試みることにした。
ちょっぴり早歩きで近づくと、……仮面の人物の正体が、どうやら若い娘らしいと気付く。
どうやら彼女、かなり狼狽しているらしい。無理もない。三百メートル向こうにいたはずの男が、数秒もせずに自分の目の前にまで接近しているためだ。
とはいえ、狂太郎も少し、驚いていた。
この仮面の少女、どうやら高速で移動する狂太郎を、目で追うことができているらしい。
――へえ。すごい動体視力だな。
ゲーム世界の住人は、わりと超人が多い。時々、こういう出会いもある。
狂太郎はひとまず彼女から目を離さないようにしつつ、スキルを解除した。
「やあ」
「う、うわ、うわあッ! な、ななな、なんやコイツ!?」
「これ、返しに来た」
先ほど、自分に向けて放たれた矢を手渡す。
「あ、どうも」
「どういたしまして」
「って、アホかッ! え、え、え? これ、どーいう状況ッ?」
「とりあえず、きみに敵意がないことを知らせたくてね」
「……ッ」
仮面少女は、のぞき穴の奥に見えるぱっちりとした眼をこれでもかと見開いて、先ほど狂太郎がいた場所を二度見した。
「や、やっぱり! あんた、今の一瞬であそこから移動してきたんか。……とんでもないやっちゃな」
狂太郎は苦笑して、
――関西弁か。
と思う。どうも、異世界語の翻訳には法則性が見えない(※6)。
「てっきりあたし、新種の怪物かと」
「怪物? ぼくが怪物に見えるのか?」
「うん」
あっさりと頷かれて、狂太郎は人知れず傷つく。
これまでの転移の経験から、貴族と間違われること(※7)は何度かあったが、怪物と間違われた経験はない。
どうやら狂太郎の格好、よほどこの世界の住人から見たら特殊なのだと思われた。実際、目の前の仮面少女は、全身を獣の毛皮で覆った、マタギを思わせる格好である。
狂太郎は少し、『もののけ姫』みたいだな、と思った。
「実を言うとぼく、かなり遠いところから来た者で、――すっかり迷ってしまってね。できれば人里に案内してもらいたいのだが」
「迷った? ……ほんまに?」
「ええ。ほんまです」
「真似すんなや」
そこで少女は、仮面を頭の上にずらして、その素顔を露わにした。
汗で蒸れたせいだろうか。少ししっとりしたその顔面の、敵意に満ちたつり目がこちらを見据えている。
歳は恐らく、十代前半。
小学校高学年か、中学に入りたて、という感じだ。
その頬には大きなひっかき傷が一つ。髪は、臭い消しのためだろうか、草の汁をたっぷり吸わせていて、ぼろぼろに見えた。
――この娘、キューティクルとか全滅してそう。
「キミは、この島の住民かね」
「せや。コーシエン村から来た」
「へえ、コーシエン」
意味があるような、ないような。異世界にはありがちな固有名である。
「悪いがその、コーシエンまで案内してもらえないかな。ちゃんとお礼はするから」
すると彼女はしばらく、胡散臭そうに狂太郎の顔を覗き込んだ後、
「そらまあ別に、――ええけど。ただ、村長の赦しが出たら、やで」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(※5)
とはいえこれは、現代人が森林地帯を歩くメリットとしてはわりと見逃せない。
ジャングルに出かけた都会人の七割は身体を壊すというが、その多くは木々との接触による怪我が原因だという。
(※6)
後に狂太郎が調べたところ、異世界語の翻訳は「脳波の振動パターンを比較して対象の思考を選択し、必要な文法を提供している」ことにより行われているらしい。
また、「翻訳機が話す声は、認識した対象のアイデンティティ概念に対応する声または近似的な声」である、とのこと。
なるほど、それが事実なら大した技術だが、後々になって調べたところ、以上の内容は『スタートレック』に登場する宇宙翻訳機からの引用であるため、信頼に値するかどうかは定かではない。
(※7)
これはまだ、卸したてのコートを着て、意気揚々と異世界に出かけていった頃のことだ。
今では多少使い込まれているせいか、旅人と名乗っても遜色のない格好になりつつある。
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