第12話 姉妹

 庭の手入れをしている老女の姿が目に留まり、こちらから挨拶する。どうやらそれがこの国の礼儀らしい。

「アイシェさん。買い出しから帰ってまいりました」

「ご苦労様小百合さん。私ももうすぐ終わりますから、その後で夕飯の支度をしましょう」

 腰をかがめ、庭師らしい服装に身を包んでいるのはこの家に長らく仕えてきた女中、アイシェさんだ。私の先輩であり、侍女としての教師である。温和で仕事熱心な人柄だ。……だからこそ油断ならない人だと数日の間で学んでいた。

 そこで、チリンと鈴の音が鳴った。この鈴は侍従を呼ぶための鈴で、これが聞こえれば少なくとも一人侍従がすぐに駆け付けなければならない。これはこの国の一般的な習慣で、鈴を鳴らしてよいのは家の主人だけ。この国では家父長制が健在である証明だ。

「あら。ケレム様がお呼びのようね。小百合さん、行ってくれますか?」

「荷物はどういたしましょう」

「私が持っていくわ」

 荷物を預け、すぐに鈴が鳴った場所へと向かう。予想通り旦那様が部屋の前で待ち構えていた。

「来たか。病院から連絡があった。私に手伝ってほしいようだ」

 旦那様は勤務医のような仕事をしているらしく、なかなか腕がよいらしい。

「お帰りはいつでしょうか?」

「わからん。面倒なことになっているようだ。夕飯は私抜きでいい」

 心の中にメモ。典型的な仕事人間らしい行動だとも付け加えておく。

「それと、この部屋にホムンクルスが一人いる」

 ……はい? いや、そんな拾ってきた猫がいるみたいに言われても反応に困るんですが。

「ホムンクルスとはそんなに簡単に作れるものなのでしょうか?」

「培養槽を複数用意していただけだ」

 培養、ねえ。私らはカビか何かかな?

「お前はアイシェと一緒にホムンクルスの面倒を見ろ」

「かしこまりました」

「そこのホムンクルスの名前は……雫だ」

 やや過保護なくらい私を丁寧に扱っていてなかなか外に出さなかったのに対してどうもなげやり、あるいは杜撰な様子。ただ単に忙しいだけかな?

 すると旦那様はくらりと体を傾け、壁に手をついた。

「旦那様? 大丈夫ですか?」

「いや……少し立ち眩みがしただけだ」

 なるほど。単に体調が悪かっただけか。

「お体、ご自愛下さいませ」

「ああ。行ってくる」

「はい。行ってらっしゃいませ」

 旦那様を見送り、部屋の前に立つ。

「さて、どんな子がいますかね。名前からすると女の子でしょうけど仮に男の子だったとしてもかわいい子がいいですね」

 うきうきした気分で扉を開いた。


 ベッドで軽い寝息をたてていたのは予想通り女の子だった。私が最初に着ていた粗末なシャツを着ている。……やはり旦那様はむっつりに違いない。

 期待通り、いや期待以上に可愛らしい顔立ちをしており、ややウェーブのかかった亜麻色の髪が小動物っぽさを感じさせる。

 肉体年齢は私より一回り下の中学生くらいかな?

 それにしてもホムンクルスの容姿は製造者が決められるのだろうか? もしそうだとしたら旦那様はかなりいい趣味をしている。私とはタイプが違う可愛さなのも素晴らしい。花を植えるならバランスが大事だ。薔薇だけでは飽きてしまいますからフロックスのような宿根草も必要に違いない。

 さて、この子に似合いそうな服を探しましょうか。この数日で衣服を自由に扱ってよい権利を勝ち取っている。衣装箪笥を開けようか、というところでぱちりと少女……雫の目が開いた。やはりウサギのような赤い目をしていた。

「こんにちは。気分はどうですか、雫」

「こん、にちは。えっと、あなたは……?」

 茫洋としているが会話に不自由な様子はない。すごいですねバベル。産まれたばかりのホムンクルスでもこんなに喋れるのか。

「あなたより先に産まれたホムンクルスで私は小百合と名づけられました。この屋敷で働いていて、あなたもこれから働くことになります」

 ホムンクルスに職業選択の自由などない。自分の立場は早めにわからせておいた方がいい。

「さっきの男の人は……?」

「ケレム・ヤルド様。私たちを作った方です」

「じゃあ、あの人がわたしのお父さん……?」

「それは違います。私たちは人間ではなくホムンクルスです。父親はいません」

「それじゃあ、両親はいないの?」

「じゃあ、あなたは私のお姉さん……じゃない……?」

 ……そんな泣きそうな瞳と声でこちらを見上げないで欲しいですね。思わず……いえ、ここはきちんと信頼を得るべきだ。なにしろこの子は私に無条件で懐いてくれるかもしれない初めての存在だ。

 この家を効率よく乗っ取るためには協力者が必須なのだ。

「いえ。あなたがそう呼びたいのであれば好きにして構いません」

「えっとじゃあ……お姉さま?」

「そんなにかしこまらなくてもいいですよ」

「でも……目上の姉妹の愛称はこうだという気がします」

 バベル。お前は一体何を教えているんだ? いえまあ、慕われるのは悪い気がしませんが。

「それなら構いません。ひとまず着替えましょうか。雫。あなたはどんな服が着たいですか」

「……? しずく?」

「あなたの名前ですよ。雫。字はわかりますか?」

「えっと滴、雫?」

 空中に文字を書くように指が動いている。バベルがあれば識字率も自動的に百パーセントだ。

「雫、ですね。今日から一緒に暮らしましょう」

「はい。お姉さま」

 はにかむような笑顔がとてもチャーミングだった。

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