ホムンクルスの法律家さん
秋葉夕雲
第一章
プロローグ
妙にくっきりと目が覚めると私は直立していた。
いつの間に立ったまま眠る特技を身につけたのだろうか? 目線を上げるとポツンとどこにでもあるデスクが目に入った。そこにいかにも謹厳実直そうな女性が書類と格闘している。
だが、デスクの周りには何もない。それどころか本当に何もない。この部屋……いや、この広大な空間には果てがないかのようにただただ白いだけの床があった。
「こんにちは」
デスクの女性がまったく目線を合わせずにあいさつしたようだ。控えめに言って失礼だったがこの程度で怒るほど狭量でもない。それに聞きたいこともある。
「こんにちは。ここはどこですか?」
薄々気付いてはいるが尋ねずにはいられなかった。
「あなた方にわかる言い方をするならば天国、地獄、あの世、彼岸。好きな呼び方をしていただいて構いません」
なるほど。つまり。
「私はもしかして死にましたか?」
「ええ。ものの見事に」
「死因は?」
「お答えできません」
下っ端役人のような回答をあっさりと口にしないでほしい。
「誰が下っ端ですか」
「……あなたですよ。というか人の心を読まないでください。それで? 私は一体なぜここにいるのですか?」
そう尋ねると女性は懐からクラッカーを取り出し、その紐を勢いよく引っ張った。軽快な音と紙吹雪が飛び出す。
「お喜びください。あなたは転生できますよ。よかったですね」
「せめてもう少し祝っている雰囲気を出してくれませんか?」
全く喜びのない表情で言われるとむしろ気分がめいってしまう。
「私にとってあなたは対応すべき人間の一人にすぎませんので。いちいち派手に祝ってられませんよ」
「接客業で一番言っちゃいけないセリフじゃないですか」
客というのはいつだって自分が特別だと誤認したい生き物なのに。
だが私の小言など無視して女性は話を続ける。
「私の名前はスズメ。あなたを転生させる担当にさせられ……担当になった神です」
実に胡散臭い。というかスズメって偽名ですか?
「転生するにあたっていくつか質問と注意事項があります。まずあなたは転生を希望しますか? イエスかノーで答えなさい」
「イエス」
間髪入れずに答える。
「ちっ」
露骨に舌打ちしたぞ。この下っ端役人。仕事が増えるのがそんなに嫌なのか。
「嫌に決まってるでしょう。はあ。これだから宗教観がごちゃごちゃな日本人は……」
「一神教だと転生という概念は主流ではありませんからね」
「そうでもないですよ。よっぽど敬虔な信者でもない限り転生を希望します。誰だって死にたくありませんから」
「現金ですね。逆に信仰の篤い人の方が面倒じゃありませんか」
「全くです。お前は悪魔だの認めないなどと……お前らの神なんてただの妄想でしょう」
地球上の宗教に対する著しい侮辱表現。クレーム対応が追い付かずやさぐれた役人のようだ。
「あなたはどうです? 一応宗教団体のトップだったのでしょう?」
手元の紙に目を落としながらの質問だった。どうやら私のプロフィールはご存じらしい。
「私にとってあの団体は娯楽のようなものです。救いだとか神なんてあると思っていませんよ。私自身はいつも心の中で詐欺師を自称していました」
信者どもが聞けば卒倒しそうな言葉だったが、偽らざる本音だ。
「信者たちを騙していたと?」
「騙したつもりはありません。寄付金は有効活用しましたし、私個人が利益をむさぼったことはありませんよ。むしろ一人でも多くの人々に安寧をもたらす為に尽力しました」
スズメは私の心を見透かすようにじっと瞳を覗き込む。だが嘘は言っていない。
「……まあよいでしょう。あなたには異世界に転生していただきます。それだけの善行を積み重ねたようですから」
「善行を積めば異世界に転生できるんですか?」
「そうなりますね。はあ、手続きがめんどくさい……」
もはや取り繕う様子さえない。
「ちなみに善行の基準とは一体どのように判断するのです? 本人の性格? それとも行動の結果?」
「どちらかと言うと後者ですね。他人がどれほど故人に感謝していたかなども参考にします。故人の性格や人格は一切考慮されません」
なんともそれは。
「実にありがたいですね。私は悪人なので、性格で判断されれば間違いなく認められなかったでしょう」
今なら信者どもに感謝してもいい。あの愉快な連中のおかげで私は新たな生を謳歌できるのだから。
「納得していただけたようなので転生におけるルールを説明しましょう。まずこの地球での知識、技術は異世界では許可なしには利用できません」
「何故です?」
「以前やらかした方がいたので……いえそれはどうでもよいのです」
何やったんですかそいつ。スズメの苦々しい表情は今までとは別人のようだった。
「そしてあなたには特典として新たな力が授けられます。さらにどのような異世界に転生するかも選択することができます。……まああなたの場合転生するために必要な善行がギリギリなのであまり贅沢はできませんが」
「具体的にどのような?」
「五十歳になるまで健康体でいられるとか、百メートル走を十三秒で走れるくらいですね。知識を持ち込む場合は……中学二年生で回答可能な問題くらいでしょうか」
「び、微妙ですね……」
どれも努力すれば楽に達成できそうな、能力というにはあまりに中途半端な特典だ。
「なお、これらの特典には隠れた能力を発揮したり、使い方次第で強力になる者は完全に排除されていますので安心してください」
これだから役人というやつは。平等という大義名分を掲げて誰の得にもならない制度を作ることだけが得意だ。さてどうするべきか……一つ思いついた。
「では、記憶を忘れない、ということは可能ですか?」
「ふむ。外部からの影響によって記憶を左右されない。という解釈でよろしいですか?」
「ええ。そうなります」
「参考までに何故そのようなものを望むのです?」
「自分の死因さえ覚えていないというのはどうにも気持ちが悪かったので。それくらいですね」
「よろしい。では貴方の能力の名はフォゲットミーノット、にいたしましょう」
「……名前を決める必要があるんですか?」
「いえ、単純に気分の問題です」
仕事にやる気がないんだかあるんだかはっきりして欲しい。
「最後に転生先にご希望はありますか。期待に沿うとは限りませんが」
「法治国家で治安のよい場所にしてください」
それならいきなり捨てられたりすることもないだろう。赤子のまま砂漠に放り出されでもすれば何もできずに死ぬことになる……そんなことは避けたい。
「了承いたしました。治安もそれなりによく、以前にも何度か転生者が訪れた世界があるのでそちらでいかがです?」
「その転生者が何かやらかしたりしてませんよね?」
「大したことはしていませんね」
「では、それで」
スムーズに決まっているせいかやや上機嫌になったスズメはてきぱきと書類に判を押していく。
「最後に試験がございます」
「何です?」
スズメが差し出したのは一丁の拳銃。
「自分で自分を撃ってください」
どうやら最後に度胸試しをしなければならないらしい。
拳銃を受け取り、そのままこめかみに押し当てる。
「では失礼します」
自分でも意外なほどすんなり引き金を引いた。重い音と、衝撃。しかし不思議なことに痛みも恐怖も、何もなかった。
薄れていく意識で最後にスズメの言葉だけが耳に残った。
「躊躇なく自分を撃ちぬいた方は久しぶりです。では、ろくでもない人生をお楽しみください」
目覚めた私をひどい倦怠感が襲う。体は鉛を撒きつけられたように重く、喉が締め付けられているように息苦しい。さらに濡れた髪が体にまとわりついて不快だった。立っていられず、地面に手を付ける。
「大丈夫か」
霞む目を凝らして声のする方へ視線を向ける。禿頭の男が優しい眼差しで私を見つめている。
「名前を言ってくれないか?」
懇願するような言葉に応えようと、私は自分の名前を口にしようとしたが、金魚のように口をパクパクさせるだけだった。
やがて息苦しさが限界に達した私は体を支えられなくなり、そのまま地面に倒れ伏し、意識を失った。
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