四 訃報

「どうしたの叔父さま?ぼうっとして」

 店番に来ても、ぼんやりと帳場から三和土たたきに降りる段差に腰掛けている北原に、愛子が見かねて声をかけた。

「あぁ、さっき電話があって――ほら、末主すえぬし志麻しまさんっていただろう。上京する度に寄ってくれていた――あの方が、亡くなられたって報せがあってね」

 執事として仕えてきた老爺ろうやからの、淡々とした訃報ふほうだった。愛子が来る前まで、北原は少し泣いていたのだ。


 末主すえぬし家は名家だったが、年頃の男手はことごとく兵隊に取られ、帰らぬ人となった。事業の大半は譲渡し、亡き先代の妻である志麻しまを当主に据え、不動産を中心とした資産を元に、家を保っていた。

「残念ね。あの、細身の洋装の似合う方でしょ?お通夜に行くの?」

「いや……亡くなられたのは去年だそうだよ。最後に来たのは、三年前かな。ご実家で隠棲すると言っていた。本人の意向で、葬儀は内々で済んで――遺品の中でも、由来や価値のわからない物がいくつかあるから、わかる人に渡るようにして欲しいと頼まれた。大きい物は十点もない。趣味で集めたような細かい物らしい。一週間くらいの内に届くそうだ」

 物件は残るかもしれないが、「家」は解体するのだろう。隠棲する前にほとんどの物は少数の親族に分与され、売れる物は売り払っているはずだ。主に、北原や父親が彼女に売った作品たちを、再び回収するかたちになるようだ。


「大丈夫?もう会えないなんて、寂しいね」

 客が来ないのをいいことに、愛子は宿題をやりながら、北原に背中合わせで寄り掛かった。

「そうだな……でも、戦前、心労でかなり弱ってらした時期があった割には、長生きだった」

「そっか」

 第二次世界大戦の前に一度、実家で疎開ついでに静養すると挨拶に来た。姿勢が良く堂々としていた佇まいは崩れ、ぼんやりと弱々しく思えたのを覚えている。それでも戦後は徐々に回復し、老いてはいるものの三年前は、かつての堂々とした雰囲気を思わせた。

「絵を描く人だったから、彼女自身が描いた絵も入っているかもしれない。私が小さい頃にも一枚、肖像を描いてもらった」

 欧州から呼んだ画家を住み込みで雇って、絵を習っていた。北原は、輸入品の商談ついでに、屋敷に画材を届ける父親に同行したのだ。

「叔父さまの小さい頃って、私と似ているのよね」

「うん。今の愛子より小さい頃だけどね」

 絵を描いてもらったのは大正の終わり近くだったから、北原が十に満たない頃だ。

 志麻は三十半ばくらいで、ちょうど今の北原と同じくらいだった。一見、上品で厳しそうなのに、遊び心のある楽しい人で、北原は彼女がとても好きだった。

 父親が商談する間、北原をお行儀の良い子だと褒めながら、素早く下絵を描き上げた。後日、仕上がった絵は自宅に届けられ、北原の自室に長い間、大事に飾られていた。


「叔父さまのその怪我を――天上の神が美貌に嫉妬したんだ――って仰った方よね」

「はは、よく覚えてたね」

 復員して画廊を継いだ北原を、志麻はそう言いながら慰めてくれた。一度は心臓が止まったのだと話すと、地上の神と取り合って、命の代わりに顔を半分持って行かれたのだと言われた。

「叔父さまを描いた絵、見てみたいな。倉庫にあるの?」

 怪我のことがあり、しまい込んだままだ。昔の写真を見ることも、写真や肖像画を描かれるのも嫌になって、忘れていた。

「……あると思うよ。探してみよう」

 愛子の明るさと、無流が今の北原を肯定してくれたおかげで、そう答える気になれた。

「楽しみ」

 喪った悲しみを静かに和らげるように、志麻との懐かしい思い出を、愛子にしばらく語った。

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