第6話 お散歩2

 いざ、リードを引いてフェネックとマンションの外を散歩する。

 だが、マンションを出て、日当たりのよい道路に置いた途端、フェネックがぴょんと飛び跳ねた。


小弥太こやた、どうしたの?」

 ささっと日陰に入る。小さいフェネックは驚くほど力が強く、唯が逆に引っ張られた。フェネックの耳がぺこりと垂れている。


「もしかしてアスファルトが熱かったの?」

 小弥太の琥珀の瞳が悲しそうに唯を見上げる。


「ごめんね。近くの公園まで抱っこしてあげるね」

 そう言って、手を差し伸べると「キュウ」と鳴いて、フェネックはぴょんと唯の腕の中に入ってきた。


「かわいい。ボール買ったんだ、公園でいっぱい遊ぼうね」


 唯はスキップしそうな勢いで歩き始めた。

 ムク犬の小弥太は唯が投げた木の枝を嬉しそうに追いかけくわえて戻ってきてくれた。フェネックもやってくれるだろうか。


 公園に行くと日差しが強いせいか、誰もいなかった。


 フェネックを見ると暑さにやられることもなく元気そう。芝生におろすとそっとリードを外す。犬じゃないし、人もいないから、大丈夫だよねと思いつつ。


「ねえ、小弥太、今からこのボール投げるからとってきて」


 そう言って、唯は振りかぶった。赤いボールは青い空の元で、弧を描き飛んでいく。しかし、喜ぶかと思ったフェネックは興味なさそうに、毛づくろいを始めてしまった。


「そうだよね。いくら犬に似てるからって、フェネックだもんね。取りに行くわけないか」


 唯はほんの少しがっかりして、自分の投げたボールを取りに走った。


 赤いボールを見つけて手に取ろうとした瞬間ひゅんと白い影が現れそれを奪う。


「へ? 小弥太?」

 フェネックが得意げに赤いボールをくわえている。


「なんだあ。やっぱりボールで遊びたかったんだ」


 すると何をおもったかフェネックはいきなり後ろ脚で、赤いボールを蹴った。ポーンと空高く飛んでいく。


「うっそでしょ? 小弥太、凄いね。とってこよう」

 しかし、フェネックは、しっぽを振りながら、そっぽを向いた。


「もう。しょうがないな」

 唯は仕方なく走る。


 そして赤いボールを見つけた瞬間。ひゅんとフェネックが現れてまたも奪われた。


「ちょっと小弥太。一人でボール遊びがしたいの?」

 するとフェネックはキュウと鳴いて首を傾げる。まるで言葉通じているようだ。

 

 思わず琥珀の目を覗き込むと、その奥に知性の光を見た気がして、ぞくりとした。

「まさかね」

 するとフェネックはまたもや赤いボールを蹴った。


「ねえ、私にボールを取って来いってこと?」

 小弥太は後ろ足で耳をかいている。


 唯は熱い中、げんなりしながら、ボールを取りに行った。その後二、三回ボール遊びをして、一人と一匹は散歩を終了して家に帰った。


「もう、疲れたよ。なんか小弥太と遊んであげたというより、遊ばれた感じ」


 フェネックは歩かず、帰りもちゃっかり唯の腕の中にいた。



 それから、唯はフェネックの為にいなり寿司を作ることにした。おにぎりも好きなようだし、狐だからいなり寿司もきっと好きだろうと思って。


 いったん家に帰り炊飯器をスタートさせてから、買い物に出る。


 スーパーで三枚入り百円で油揚げと、切れかけていた酢を買う。それから出来合いのひじきに牛乳を買った。

「ただいま!」


 ドアを開けると小弥太がちょこんと玄関に座り唯を待っていた。

「小弥太待っててくれたの? 嬉しい!」


 実はこの状況、ネットで動画を見て憧れていたのだ。玄関でペットがお出迎え。あれは猫だったか犬だったか。それが現実に起こるなんて……。


 唯は荷物を置いてふさふさのフェネックを抱き上げた。小弥太はとてもいい匂いがする。フェネックは臭いきついと書いてあったが、そんなことはない。飼ってみないと分からないものだ。


「いま、おいなりさん作ってあげますからね」


 なんだか、犬や猫の飼い主が赤ちゃん言葉で話しかけるのが分かる。あれを笑ってはいけない。



 鍋にお湯を沸かしてさーっと油揚げにかけて、油抜きをして、水気を切る。


 それから、鍋に、水と粉末のだし、砂糖、みりん、しょうゆを入れ、油揚げを煮る。沸騰してから、落し蓋を置いた。こうすると味がしみて美味しい。祖母がよくこれを使って煮物を作ってくれた。


 この落し蓋は木製で、実家から唯が持ってきたものだ。後は殆ど叔父夫妻に奪われてしまった。とはいっても一応彼らが唯の親族で後見人であることにはかわらない。


 祖母が亡くなると同時に高校生の娘を連れいきなり、乗り込んできたのだ。祖母の葬式を勝手に仕切り、四十九日が過ぎる頃には実家に唯の居場所はなくなった。


 ちょうどその春、大学生になる予定だったので、地元の大学に通うつもりだったが、腕試しで受けて、たまたま受かった東京に大学を選んで進学したのだ。まるで故郷からたたき出されたよう。とはいってもマンションを借りるにも保証人はいる。唯は仕方なく細々と叔父家族と連絡をとっていた。


 いま唯が金に困らず独り暮らしで来ているのは祖母のお陰だ。


「もしもの時はこの鞄を持って行きなさい」

 と祖母は亡くなる三ケ月前に唯に告げた。


「おばあちゃんやめてよ。縁起でもない」

 その時はそんなふうに言っていたが、その鞄のお陰で唯は東京の大学に進学できたのだ。


 鞄の中には唯名義のかなりの額の貯金通帳が用意されていた。それと土地の権利証。


 書類上、祖母の遺産はすべて唯のものになっている。叔父とは呼んでいるが、実は遠縁で直系ではなく、唯がいることで彼らに財産の相続権はないのだ。


 大学入学目前で、唯は乗り込んできた叔父家族にあっさりと実家を追い出されてしまった。


 いくら家と土地が唯のものだからといっても、当時未成年だった唯一人では住み着いてしまった彼らをどうすることも出来ない。


 ――私に残されたのは、あの鞄とお守りだけ。


 唯が暗い回想にひたっていると、小弥太がしっぽで唯の足を叩く。

 鍋を見るとシュウシュウと音を立てていた。危うく油揚げを焦がしてしまうところだった。


「ちょっと待っててね。今酢飯作るから」


 二合炊いた米を二つに分け、一つは酢飯にしてすりごまを混ぜる、もう一つは、酢を垂らし出来合いのひじきと合えた。


 十二個のいなり寿司が完成した。


「小弥太は、どっちが好みかな?」

 小弥太は両方をパクパクと食べた。身体は小さいのに結構食べる。

 唯はそれを嬉しそうに目を細めて眺めた。


「ねえ、小弥太はおにぎりより、いなり寿司の方が好き?」

「キュウ」

 と小弥太が一声鳴いた。


「小弥太は本当に祠の神様なのかな?」

 その後、テレビをつけると小弥太が、びっくりしたように見入っていた。小さな子供のように画面をペタペタ触って確認する。


 四角い画面で人が動いて喋っているのが不思議なのだろう。

 つい笑ってしまった。


 ――神様のわけないか。


 フェネックがキャリーバッグに入っていたのは、きっと誰かの手の込んだ悪戯だろう。


 小弥太はテレビが気にったようで、その後も食い入るように見ていた。唯はその間に風呂を済ませた。


 居間に戻ると小弥太は丸くなってもう眠っていた。ふさふさなしっぽと大きな耳が愛らしい。


 どう見ても小弥太はただのフェネックだ。宿屋の女将はなぜあんな言い方をしたのだろう。それとも夜中まで騒いでいた学生たちにうっぷんがたまっていたのだろうか?


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