第27話 閉ざされた記憶

 僕が母さんの寝所に向かったある夜のこと。


 夜の闇の中に居座るアイツラが怖かったけれど、それを推してでも母さんに会いたかった。

 その理由はもう思い出せないけど。


 母さんの寝室のドアの前で僕は立ち止まった。

 閉まりきっていないドアの隙間から灯りが漏れていたからだ。

 先に来訪者がいた。父さんだ。

 父さんに見つかったら叱られてしまうと思った僕は息を殺してドアの前で待機することにした。

 そこで僕は知りたくもない計画を知らされてしまう羽目にあった。


「そうか……まさか、君の方から言い出してくれるとは思わなかったな」

「こういうことは私の役目でしょう。

 貴方様は身内に甘いもの。

 その甘さは時に相手を不幸にするわ。

 現にリスタはもう少しで手遅れになる。

 十歳になるのに剣も振るえず、馬にも乗れない。

 家族以外に話せる相手もいないし、現状を変えようとする気概もない。

 暗愚と呼ばれても仕方ない人間になりつつある。

 環境を変えないと。

 フリーデン家なら養子に対してちゃんとした教育を授けてくれるでしょう」

「向こうは建国以来の騎士の系譜だからな。

 だが、あんな惰弱な息子を送りつけては迷惑をかけるだけでは」

「私たちが甘やかすからいけないの。

 大丈夫よ。ひとりでも子どもはちゃんと育つわ。

 私がそうだったもの」

「それは君は特別……いや、そうかもな。

 リスタだって君の血を引いているんだ」

「貴方様のも、ね」

「ハハ。そうだな。

 話を進めることにするよ」

「よろしくお願いします。

 リスタには黙っていてくださいね。

 あの子には私の口から伝えます」



 二人は僕の養子縁組の話をしていた。

 アレク兄さんという押しも押されぬ跡取りがいるランパード家にとって次男の僕は養子に出されて然るべきなのだ。

 部屋住みの穀潰しを養う理由はない。

 だけど、母さんが僕を手放すような真似はしないと信じていた。

 母さんは僕を愛してくれているから。


 どうして……母さん————


『それはね、お母さんはキミのことが邪魔だからだよ』


 ギクリとして体が震えた。

 僕の背後にアイツらがいる。

 ゴリゴリと岩を削るような聞き苦しい声で囁く。


『もうすぐ、お母さんはキミにひどいことを言うよ。

 いらない子だとか、生まれてくるべきじゃなかったとか。

 そんなこと言われたら、キミは泣いちゃうよね?』


 泣いてしまう。

 それどころか壊れてしまう。

 幽霊に怯えて日々を浪費してしまっている僕の心の支えは母さんだけだ。

 そんな母さんに拒絶されたら僕はもう————


『だったら任せて。

 キミのことを助けてあげる。

 ボクの言うことを聞いてくれたら、キミはおかあさんにひどいことなんて言われなくなる。

 追い出したりしないようになる』

「…………本当に?」


 一縷の望みを垂らす幽霊の声に思わず反応してしまった。


『本当だよ。だからボクを信じて』



 信じたとかそういうのじゃない。

 僕はただ、母さんに拒絶されると言う恐怖から逃げたくて奴を受け入れた。


 しばらくは奴はなにもしてこなくて、あの夜のことは全部夢だったのではと思うようになり、次第に記憶から薄れていった。


 しかし、それは都合が良すぎる忘却だった。

 父さんと兄さんが二人して家を空けることになったあの夜に、奴は僕の体を使って————使って————使って————





「リスタ……どうして……」


 僕にとって自分の部屋以外で唯一やすらげた場所である母さんの寝所が燃えている。

 寝巻き姿の母さんは吐血し、僕のことを恨めしげな目で見ている。

 その目が怖くて僕は火をつけるのに使ったトーチで母さんの頭を殴った。

 何度も何度も何度も…………


「リスタ……やめなさい」


 満月のように明るく柔らかな表情をしていた母さんの顔が血に染まっていく。

 もう見たくない、聞きたくない。


 僕は力一杯振り下ろそうと高らかにトーチを掲げた。

 しかし、両手首を母さんに抑えられた。


「……この……悪魔め……」


 母さんは鬼の形相で僕を睨みつけた。






「————————うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっ!!!!!」


 頭の中に流れ込んできた記憶に脳が侵された。

 あんなに憎んできた母さんの仇が僕自身!?

 僕は自分の罪を忘れ復讐心をたぎらせることで自分を保っていたと言うのか!?


「思い出してくれた?

 ボクのことを」


 ニナが、彼女に取り憑いた怨霊が笑う。


「……うぇっ————」


 腹の中のものを全部嘔吐した。

 体が麻痺し、思考にもやがかかる。


 なのに生々しく思い出される母さんを殴りつけた感触と掴まれた手首の痛み、そして憎々しく睨みつける母さんの瞳…………



 ああ、ごめんなさい……母さん。

 全部、僕が悪いのに家を追い出されることを怖がってこんな怨霊に身を委ねてしまった。

 僕の心に隙がなければ、醜い心さえなければあんなことにはならなかった。

 そもそも生まれてくるべきじゃなかった。

 僕がいなければ今でも父さんと兄さんと母さんとで幸せに暮らせていた。


「僕は…………咎人だ」

「そう! キミは咎人!

 実の母を殺し、父と兄の運命を翻弄した!

 かわいそう!

 キミの家族がとってもかわいそう!」


 ニナは勝ち誇ったかのように笑う。

 そして僕は全身の骨が砕けてしまったかのように立ち上がることすらできない。

 このまま焼かれて死ぬのも仕方ない。

 誰も裁いてくれなかった僕の罪。

 どうか炎で灼きつくしてくれ————


 自暴自棄になって死を覚悟した瞬間だった。

 物理法則を完全に無視して階下から天井を通り抜けた者がいた。

 艶やかな黒髪をたなびかせ、腰に下げた愛刀を一息の呼吸で抜き放つ。


『せいやあああああああっ!』


 その刃はニナの首をすり抜けた。

 彼女の首は繋がったままである。

 しかし————


『ギャアアアアアアアアアアアアアアッ!!』


 ニナに取り憑いた怨霊が大きく分たれた。

 彼女の剣は霊魂は斬れるが生者には届かない。

 彼女もまた幽霊だから。


「セ……セシリア……?」

『話を聞くな、って言ったじゃない!

 このアンポンタン!!』


 セシリアは僕に怒りながらも動きを止めない。

 怨霊の体を何度も斬りつけて大ダメージを与えた後、ニナの体から引き摺り出した。


『直接、あなたを斬れるなんてね!!

 幽霊になった甲斐があったってものよ!!』

『ま……ア、な……なんで!?

 貴様がここにっ!?』

『こっちのセリフよ!!

 泥棒猫めっ! 人様の家を荒らすんじゃないわよおっ!!』


 セシリアの渾身の斬撃は怨霊を粉々に砕いた。

 瞬間、燃え盛っていた炎が消え、僕の思考がだんだん澄み渡ってきた。


『油断したわね。

 アイツ、幽霊の分際で小賢しくも幻惑魔術を使っていたわ。

 この部屋の中のマナに干渉する類の。

 親子揃ってハメられちゃったわね』


 幻惑…………いや、違う。


「セシリア……僕は母さんを殺してしまったんだ。

 間違いない。

 母さんを殴りつけたことも、睨まれたことも本当の記憶なんだ。

 僕の復讐は最初から果たせないことで」

『あなたは殺してないっっ!!』


 セシリアは怒鳴りつけ、僕の胸ぐらを掴んだ。


『ちゃんと思い出してっ!

 私の名誉に関わるわ!

 結婚してから食っちゃ寝生活してたし、病気でいろんなところが浮腫んでだらしない姿になっちゃったけど、子どもの手で殺されるほど堕落してなかったわよ!!』

「もうやめてくれ……

 セシリアはどうあっても僕を庇ってくれるだろうけど、これだけは、これだけはダメだ……

 僕が本当に母さんを殺してしまったなんて……

 そうか……僕が一番殺したかったのは」


 僕自身————と口に出しかけた瞬間、セシリアのパンチが頬を打った。


『クッソォ!! あのゴミ悪霊めぇっ!!

 これ以上リスタを傷つけさせてたまるかっ!!』


 今のところ外傷はセシリアによるものだけだけど————っ!?


 セシリアが僕を抱きしめて身体を押し付けてきた。


『うまくできるか分からないけど……リスタ、黙って私を受け入れて!』

「は!? な、なにをこんな時に」

『こんな時だからよっ!

 できればやりたくなかったのに!』


 セシリアは幽霊だ。

 だけど僕にはその声も姿も体の重みだって感じ取れる。

 引き締まった身体をしながらも女性特有の柔らかさと甘い香りが失意のはずの僕の感情をくすぐる。

 全然、セシリアのことなんて女性として見たことなかったのに。


「はあ……好きにしてよ。

 でも流石に父さんがいつ起きてくるか心配だから別の場所で」

『大丈夫! 一瞬で終わるから!

 あなたの中に入るから力を抜いて!!』


 聞く耳持たずか。

 一瞬で終わるってどんなすごい事を………………



 いや、ちょっと待って。

 中に入るの?

 普通逆じゃあ————


『でやアアアアアアアアアッ!!』


 セシリアが上半身のバネをフルに使った頭突きをかましてきた。


 ゴチン! と額を打った瞬間、僕の意識は飛んでいた。



 飛んだ意識は星の海のような場所を高速で飛んでいた。

 幻覚……いや、もっと感覚が遠い。

 だけど、不安や居心地の悪さはない。

 むしろ誰かに抱っこされながら運ばれているような安心感がある。


 思わずウトウトとしてしまい、眠りに落ちたと思った瞬間、突如視界が切り替わった。



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