第17話 ノブレス・オブリージュ
じいさんたちの顔を見たら、気が抜けるほどほっとした。
帰ってきた、心からそう思った。
夢もみないで熟睡して、昼近くにやっと起きて、ダルーばあさんが作っておいてくれたご飯を食べ、じいさんに声をかけてパパドのところに行った。
「氷の宝石ではないか」
ああ……今度は猛吹雪を出せと。
『スノーフレークストーム』なんて、どうでしょう?
ストレートに『アイスストーム』の方がいいかな?
もうこれで打ち止めにして。雷も炎も風も氷ももらったから。もう十分です。
「お前、もはや並みの兵士など太刀打ちできぬほど強くなったぞ」
「望んでません。おれは戦争が大嫌いです」
「ひとりで三個小隊並みに強いのではないか?」
「や、だから、戦争反対」
「それは天使に言うてやれ」
「いつだって問答無用じゃないか」
「奴らはそれが任務ゆえ」
「それよりもパパド、文字を教えてくれよ」
パニールで友達ができたというと、パパドは喜んだ。
「実によい。お前は世界が狭い。もっと多くの者と交われ」
正論だけど、引きこもりに言われても説得力に欠ける。
「これでも人間界にいた頃より大勢交流もってるんだけどね」
「お前、人間界に友達はいなかったのか?」
引きこもりのパパドから致命傷受けた。
知りあいはいた……覚えてないほど大勢いた。
でも、友達はいなかった。ひとりも。
おれが作ろうとしなかったのかな。
話題変えたくて、質問を投げた。
「最初の堕天使は上級とそれ以外に分かれてて、ここで生まれた堕天使がいるって聞いた」
「うむ、そのとおり」
「パパドは?」
「我は二世代めよ」
「じゃ男だ」
「いかにも」
「上級堕天使はどっちも持ってるんだろ?」
「うむ。しかし数は激減した。みな戦いに赴いたゆえ」
「……そっか、弱い仲間を守らなきゃいけなかったから」
「うむ。それが力ある者の責務」
力ある者の……。
「お前もそうだ、サエキ。たとえ宝物の力によるものだとしても、お前は力を持っておる」
「……」
「お前は軍属ではない。だが、そろそろ理解してもよかろう。この国に、戦いのない地などないのだということを」
「……わかってる」
「頭ではわかっていても、心底からは認めておらぬ」
「それは……」
「陛下にお目通りを願うために司令官らとまみえるにせよ、サモサの元で技能を身につけるにせよ、どちらも時間がかかること。この国にいる限りはこの先も戦いに遭遇する。そのたびにお前は誰かを守ろうとする。性根がよいのだ、もう抗うな。抗うほど苦悩するぞ」
反論ができなかった。
おれはいつも戦争を避けようとしてるのに、結局誰かを守ったりするために飛び出して行く。
戦争は嫌だ、命を奪うのは嫌だって言いながら。
パパドが言うように、おれはこの先もたぶん前線に飛んでいくんだと思う。
「仮のこととはいえ、今はお前も堕天族の一員。この国では持つ者は持たざる者を守る。それこそ正しき堕天使の在り方よ」
正しき、堕天使。
ああ、それ、なんていうか知ってる。
『ノブレス・オブリージュ』だよね。
お金持ちが募金したり慈善事業したり、貴族が政府の責任のある役職に就いたり。
『持ち得た者の義務』。
人間界でどこまで実践されてるのかは知らないけど、概念は知ってるよ。
そうだね、報奨の力とはいえ、おれは戦闘力を持ってる。
いつになるかはわからないけど、人間界に戻る。だけどそれまでは堕天者。
この国の国民。
ここに住んで、国民登録もして、来年は税金を払って暮らしていく。
それはもう変えられないことなんだ。
そしてここの暮らしでは、戦争がセットになってる。
切り離せないもの。
「……なるべく戦いたくないけど、きっとおれはまた戦うんだと思う」
「うむ、潔く戦え。どうせお前のような者は、逃げたら逃げたで自己嫌悪するのだ」
言い返せない。おれが逃げられない理由のひとつが、それなんだと思う。
おれはもともと自己評価がすごく低いから、自己嫌悪まで抱えるのは怖い。きっと立ち直れない。
おれが逃げて誰かが死んだら、と思ったらいたたまれない。
それならいっそ、戦った方が楽——無意識のうちにそう思ってたのかも。
「サエキ、これはおそらく陛下のお導きなのだ。陛下はお前を招いておられる。生きて御前に参じるのを待っておいでなのだ。そう思え」
実際にはそんなことあるわけないさ。
けど、人間界に戻るには時空を超える時計が必要。
ならばここまでやって来い、と。
堕天者として無数の戦いを生き抜いてたどり着いてみせろと。
そう思おう。そして生き抜こう。
パパドの説得に一応応えて、サマエルのところに行った。
「それが一番前向きな結論じゃない? いいと思うよおれは」
サマエルがパズルをいじりながら言った。
「この案件、ルシファーはなにも関与してないよ。人間ひとりに肩入れする理由なんかないもん」
だよな。当然。
「下賜も、それぞれの司令官の判断でしょ。農夫が木の槍で天使倒すとか百パーセント報奨ものだし、他のもみんなそうだよ。槍はともかく宝石はどれも小さいから、個々は極端に強い威力なんかない。合わせ技使えるから威力は増幅されるけど、誰もそんなこと考えてなくて単純にご褒美なんだ。大きななにかが働いてるとかってことはないんじゃないかな」
それならいいんだ。
「でも、絶対ルシファーの耳には入ってるね」
「入ってるの?」
「堕天した元人間なんて変わり種、聞いたことがないもん。たぶんお前が初めてじゃない? 少なくともおれが知ってる範囲で、実食ったのお前だけ」
「じゃあおれの他にはいないの? 元人間」
「いたよ、元人間。死体と腐った死体と骨なら、ときどきみつかる」
それ『元』の意味が違う。
そっか、そうだった……おれはサモサじいさんの庭先に倒れてたから助かったんだ。
離れた場所に落ちた人間は、全員——。
「お前がいつ来るかって楽しみにしてると思う。時空を超える時計はルシファーしか持ってないから、サエキは嫌でも行かなきゃならない……だろ?」
パパドが言ったとおりだ……賢者とサマエルが言うなら、もう確定だこれは。
「ほんと、お前は幸運の塊だよ」
「うん……そう思った、改めて」
尋常な幸運じゃない。
むしろ運が強すぎて潰されるんじゃないかって、怖くなる。
「でも、運でどこまで行けるかは、ね」
「それはお前の心がけ次第じゃない?」
「そうかな」
「なにもしないで結果だけ得ようなんて、虫のいい話は通用しないね」
おっしゃる通り。
「なにもしないおれが言える立場じゃないけど、弱い奴らを守ってやってよ」
「そうだね……戦に遭遇したら戦うよ」
「でもさ、お前が行くとこ、必ず揉め事起きてない?」
「やめて、そういう不吉な予言」
「行ってない方角ってどこ?」
「西だけ」
「じゃあ次は西で戦闘。アガリアレプトはなにくれるかなー」
ほんと笑えないからやめて。
「嫌だよ、次こそ死ぬかもしれないじゃないか」
「心配要らないよ、墓標くらいは建ててやるから。墓碑銘どうする?」
「他人事だと思って……」
「じゃ、パパドに考えてもらおう。すごい栄誉」
墓碑銘考えるより、どう生き抜くかを考えた方が、絶対建設的。
そうか、おれはこの地で、戦いながら生き抜かなきゃならないのか。
陛下の御前にたどり着くまで、どれくらいの時間がかかるか見当もつかない。
その、とんでもなく長い時間を、生き抜かなきゃならないのか。
自信がないとか、そんなこと言ってられないんだな。
自信がなくても、やらなきゃならないんだな。
あはは……夏休みの宿題で国語辞典を書き写せって宿題出されたみたいな、ものすごい無理ゲー感たっぷり。
小学三年でそんな暴挙に挑んで、撃沈した愚か者がいたけどね……ここに。
今おかれたこの現状に比べれば、辞書写してた方が楽だったな、絶対。
「ルシファーいい奴だから、お前の願いはきっと叶うよ」
サマエルの声が、少し優しかった。
いつも鬼軍曹なのに。ちょっと据わり悪い。
でも、嬉しい。
こつこつ地道に頑張れば、きっとその日が来ると思う。
そのために、生きよう。
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