第20話 チェックアウト
「2泊もしたのに、結局家にいたのと大して変わらなかった気がする」
チェックアウトの準備をしながら、私はこの1日半の間を振り返る。ほとんど部屋から出ずで、唯依と二人で年末から今日までを過ごした。
チェックアウトをしてからは途中で初詣に寄ろうと話はしているものの、ほんとに泊まりに来ただけみたいだった。
「でも、家だとゆっくり七海とお風呂に入れないじゃない」
「それは確かに。賃貸じゃ今以上の広さはなかなか望めないしね」
露天風呂で二人ではしゃいでしまったのは事実で、昨日の午後は逆上せてしまって、二人揃ってベッドで伸びていたりもした。
でも部屋の中の露天風呂でそう広くないとは言っても、外に拓けている場所っていうのは、つい心も体も開放してしまいたくなる。
唯依って肌が白くて、手入れもきっちりしているから、明るい場所で体を晒すと、モデルかって思うくらい映えるし。
「じゃあ、また来る? ここじゃなくてもいいけど、またあの人に宿取ってもらうから」
「それはいいけど、今度来るならもうちょっと観光も入れようよ。折角二人で出かけるんだから」
頷く唯依は本当に素直になった。いじらしすぎて、つい虐めたくなるので、帰り支度中だと自分を戒める。
唯依の準備が終わるのを待ってから、二人揃って部屋を後にした。
ロビーに出てチェックアウト手続きをした後、車に向かうまでの間に、唯依は一人の男性に声を掛けられる。
「唯依ちゃんだろう? 久しぶりだね」
長身で細身の男性は、シャツの上からジャケットを羽織って、下は綿パンに磨き込まれた革靴姿で、身なりには気を遣っているらしいことは一目でわかった。年齢的には四十代くらいだろうか。隣には若い女性も一緒で、どういう関係かはこんな場所では聞くべきではないだろう。
「
唯依がその存在に笑顔を見せたのが意外だった。
唯依の男性の知り合いなんて仕事の関係者くらいしか思い当たらない。でも、仕事でつきあいのある人間に会っても普通こんな笑顔は見せないだろう。
「友達と旅行?」
ちらっと私を見た存在に、普通は友達に見えて当然かと会釈を返す。
「はい。年末年始に予定が合ったので、母にここを取ってもらったんです」
『母』
瑛梨さんは母親だけど、唯依がそう呼ぶことは滅多にない。ただ、瑛梨さん絡みの知り合いなのだとすれば、隠れ家的なホテルを使っていても違和感はない気がした。
「ここはよく利用するけど、唯依ちゃんのお母さんには会ったことないなぁ。でも、唯依ちゃん、お母さんに益々似て綺麗になったね」
唯依に向けられた言葉なのに、背筋を冷たいものが走る。唯依を上から下まで舐めるように見る男の視線は、はっきり言って気持ちが悪い。
私が女性しか駄目だからかもしれないけど、無意識に唯依の手を握っていた。
「ごめん、七海。出発しようか。飯沼さん、すみません、次の予定があるので、私たちは出発します。今日は久々に会えて嬉しかったです」
飯沼という男性に別れを告げて、私と唯依は車に乗り込む。
「あの人、瑛梨さんの知り合い?」
「うん。仕事関係の知り合いって聞いてる。昔ちょっとお世話になった人でなだけだからね」
そうは言っても唯依が笑顔を向けるなんて、それなりに心を許していることは分かった。唯依を懐かせるなんてどんな魔法を使えばできるのだろう。
でも、下心がありそうに見えたなんて流石に唯依には口にはできなかった。唯依は男性とは一度もつき合ったことがないらしいから、そういう視線にもある意味慣れていないのかもしれない。
「そうなんだ。じゃあ、出発しようか」
早くこの場所から抜け出したくて、私はエンジンを掛けた。
二人での初詣を終えて家までの帰り道、道路は相変わらず渋滞が続いていて、のろのろ進んでいるせいでいつ到着するかも見えなかった。車内で流していた音楽もそろそろループ回数が増えて飽き初めていた。
「七海、七海は今年実家に帰らなくてもよかったの?」
さっきまでうたた寝をしていた唯依が起きてきて、相変わらずの渋滞っぷりに文句を言いながら、気分転換なのだろう話を振ってくる。
そう言えばちゃんと唯依には話してなかった。
「今年はちょっと避けたいなってパスした。前にも帰らなかったことあるしね」
そう言うと、今度は避けたい理由を唯依が問い返してくる。
「この前バーで叶海が両親に恋人を紹介しに行くって話聞いたでしょう? 叶海が咲来ちゃんを連れて挨拶にいった時に、うちの両親は賛成でも反対でもないフリーズ状態になったらしいんだ。
それを見た咲来ちゃんが、理解して貰えるように正月休みは叶海と一緒に帰省するって決めたらしくて、そんな微妙な家になんて帰りたくないからやめたの。
咲来ちゃん真面目だけど、ちょっとずれてるんだよね」
微妙に合わない妹の叶海と合う存在なので、私はそこに深入りする気はなかった。
「わたしも挨拶に行っていい?」
「叶海たちに合わせなくていいから。というか、せめて向こうが落ち着いてからにしないと、私の両親の心臓保たないから。別に私は親にどう言われたって、自分が思うようにしか生きないしね」
それでようやく唯依は納得してくれたようだった。
私にとっては変わり者の妹に合わせる気はなかった。
「じゃあもう一つ聞いていい? 七海って、こうやってお正月を誰かと過ごしたことあるの?」
「泊まりで旅行っていうのはないよ。ゆかりとつきあっていた時は、ゆかりの部屋に泊まりに行ってお正月を過ごしたくらいはあったけど」
「……ゆかりって、七海の初めての人なんでしょう?」
どうやら唯依は焼きもちモードに入ったらしい。
「そう」
「わたしとどっちが好き?」
「今は唯依に決まってるでしょう。ゆかりは瑛梨さんと二人の所を見てると、私じゃ全然駄目だったんだなって、悔しかったけど思うようになったしね」
「悔しかったんだ……」
「いちいちそこに反応しない。唯依とつきあい始めた頃は振り切れていなかったのは確かにあるよ。でも、今はそうじゃないから。ちゃんと前向きに唯依とつき合ってるつもりだし、ゆかりは心を許せる相手ではあるけど、未練はないよ」
その言葉に唯依が左腕に抱きついてきて、運転中だと注意したものの離してはもらえず、渋滞で車が止まったタイミングで視線をやると、唯依の唇が伸びてくる。
「もう……」
「わたしの、だから」
「はいはい。唯依はゆかりのことどう思ってるの?」
「…………一々煩い人、かな。母親みたいに口うるさく言ってくるから」
ゆかりは私からしてみれば安らぐ場所を与えてくれる存在だったけど、唯依にとっては全く違う存在に見えているのは面白い。
唯依は私の知らないゆかりを知っている。
でもそれは誰だって立場が変わればそうなるのだろう。
「ゆかりはじゃあ唯依にとってもう一人のお母さんだね」
「知らない」
怒りはしなかったので、それは恐らく唯依にとっては照れなのだろう。
ゆかりが唯依にとっての母親なら、私は振られたからその娘に手を出したみたいなものか、と考えると可笑しくなる。現実的には立場が逆だったけど、繋がりがあって、憎むわけでもなく今の関係を受け入れられてるのがちょっと不思議だった。
人の心なんて、理性だけで動くのなら、もっと世の中は平和なのかもしれないけど、きっと理性では唯依のことが好きだなんて答えは導き出されないだろう。
でも、多分それでいい気はしていた。
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