第40話 聖女大作戦の顛末
藍華は一歩、また一歩と足を前に進める。これは決められた台詞ではない。自分自身の言葉だ。今まで、多くの人たちの前で意見を言うことが苦手だった。
正直今だって緊張で喉はカラカラだし、手足も震えている。口から心臓が飛び出てしまいそう。
「黒竜は悪いもの。長い歴史の中でそういうものだと認識してきた。だけど、言葉を交わしたら友達になれるかもしれない。だって、意思の疎通ができるんだもん」
「だが、あいつらは我々を攻撃してきた」
騎士の誰かが意見する。
藍華は小さく頷いた。
「そうだね。でも、あなたたちだって黒竜を攻撃した」
「だが……」
藍華は空を見上げた。
「ねえ、あなたは無防備な人間に魔法で攻撃をする? ここにいる村の人たちを攻撃したいと、そう思うの?」
叫んだ声に黒竜は黙ったまま。
黒竜はじっと地上を見下ろしていた。誰も何も発しない。成り行きを見守っている。
「……いや。我が人を攻撃するのは、我の命を守るため。命を脅かされない限り、我は魔法で人を襲ったりはしない」
「ねえ、あなたはどうしてこの土地に住みたいの? 何か、理由があるの?」
「……千年ほど前、我はこの地で人間の友と出会った。我に残された命の時間は短い。我は余生を友との思い出の地で過ごしたかった」
今、ようやく黒竜がこの地に降り立った理由が明かされた。それを聞いた者たちは一様に驚き、互いに顔を見合わせた。
「人間の友だと」「まさか」「だが、千年も前ともなるとそんなこともあり得たのかもしれないぞ」
疑心の声色、そして戸惑いの声。それらがあたりに充満していく。
と、ここで藍華の隣にクレイドが並び立った。
「そなたは千年もの昔、人と友情を結んだ。その昔交わした友情を、私たちは信じてもいいのか?」
クレイドの声に合わせるかのように、黒竜がゆっくりと地上へと降りてきた。
藍華はゆっくりとポチへと近づく。騎士の一人が止めようとしたが、クレイドが腕を上げ制した。
両手をポチへ向けて差し出す。彼の目がまっすぐに自分へと向けられている。
その瞳がカピバラ姿の彼のものとどこか重なって。つい、微笑んでしまう。
(さあ、ポチさん。最後までよろしくね)
女神の客人が黒竜の元へたどり着く。
人々が固唾を飲んで成り行きを見守る。いつの間にか多くに人々が集まってきていた。村人たちである。
ポチはお座りよろしく、お行儀よく地面に座っている。
「わたしたちとお友達になってくれますか?」
藍華は声を張り上げた。
黒竜は、ポチはやおら前足を持ち上げた。
そうして。アイカの両手の上に、ぽんっと置いた。ついでに頭も垂れた。
(え、いや。本気でお手するとは思わなかったんですけど!)
打ち合わせの際、藍華はついノリで言ってしまった。わたしの国ではペットの犬に芸を仕込むことがあり、一番有名なものが「お手」だと。あの時は、黒竜が芸などするか、と喚いていたのに。ノリノリではないか。
(実はポチってお茶目さん?)
じっと見つめると、なにやらにやりと笑われた気がした。
まずい、噴き出しそうだ。しかし、竜もお手をするのか。竜にお手を仕込んでしまい、何やら女神様に申し訳ない気持ちになった。
などと和んでいたのは藍華と黒竜だけで、辺りは騒然としていた。
何しろ聖女が黒竜を手懐けたのだ。こんな光景、滅多に見られるものではない。騎士や魔法使いたちもただ茫然と成り行きを見守っていた。
事情を知る者たちですら、黒竜が聖女に恭順を示すという光景に改めて驚嘆していた。それくらいインパクトがあることなのだ。
これで、黒竜と人間の和平が成立したかと思われた。
だが、意を唱える大きな声が割って入った。
「私は認めんぞ! 黒竜とお友達だと? ふざけるな!」
リウハルド伯爵である。彼は人垣を押しのけ、連れの魔法使いと共に藍華たちと騎士たちの間に躍り出た。
「黒竜のお宝は私のものだ!」
そう叫ぶや否や、隣の魔法使いマールブレンが氷の刃を大量に生み出し、それらを黒竜に向けて一斉に放った。
「アイカ!」
クレイドが叫んだ。
藍華は眼前に迫る太くて鋭い切っ先の氷に声も出なかった。そして体も動かない。
思わず目をつむった藍華を包むように結界が現れ、氷の刃から守ってくれた。
「黒竜め、聖女を誑かしおって」
「リウハルド伯爵やめろ!」
「黒竜に惑わされた聖女など要らぬ。それよりもマールブレンよ。早くあの黒竜を倒せ。そして、黒竜の持つ神秘のお宝を何としてでも手に入れるのだ」
「御意に」
頭をすっぽりと覆う灰色のローブ姿のマールブレンが両腕を前に突き出す。
「アイカは惑わされてなどいない!」
「そんなこと、どうでもいいんですよ」
リウハルド伯爵は昏い笑みを浮かべるのとマールブレンが再び魔法を放つのは同時だった。
再びの攻撃だが、藍華は今度もポチによって守れらた。黒竜は空へと飛び立つ。この場で派手に魔法を使えば集まった人間を巻き込む恐れがあると踏んだのだろう。
一方のマールブレンはそのようなこと意にも介さずに氷の刃を乱射する。魔法騎士たちが結界を張る。
「アイカ! 無事か」
「はい……きゃぁぁ!」
近寄ってきたクレイドに返事をした側からすぐ近くに太い氷の刃が突き刺さった。巨大な氷柱が容赦なく頭上から降り注ぐ。空へと放たれるが、重力によって結局は地上へ落ちてくるのだ。
「大丈夫。俺が守る」
「ありがとうございます……。あの、さっき伯爵が言っていた、お宝って。もしかして命の結晶のこと?」
「おそらくはそうだろう。もしかしたら伝承か何かが伝わっているのかもしれない。伯爵の本当の狙いは最初から黒竜の命の結晶だったんだ」
そのリウハルド伯爵はといえば、空に向かって何やら吠えている。
時折太い氷柱が彼の頭上にも落ちてくるが、そのたびに結界により守られている。もしかいしたら、マールブレンにあらかじめ魔法を施されているのかもしれない。もしくは自分の魔法だろうか。
「マールブレン! 老いた竜一匹さっさと倒せ! 伝承によると神秘のお宝は心臓の当たりにあるというぞ! 刃を突き刺して抉り出せ!」
「伯爵、あなたは最初から黒竜の持つ魔法の力が目的だったの?」
悔しくて彼の元に近寄った。
「もちろんだとも。あのマールブレンが教えてくれたのだよ。黒竜の持つお宝は素晴らしい魔法の力を秘めていると。それを持てば強大な力が手に入る! 私がこの国の王になることも夢ではない! いや、力を手にすれば強大な国を作ることができる!」
「そんなことのためにポチを殺そうだなんて……」
リウハルド伯爵は目をギラギラと輝かせて語った。己の野心のためだけに黒竜を殺すことも厭わない、その言葉の中には狂気が垣間見え、藍華は喉をひくつかせた。
「マールブレンさっさと黒竜を殺せ!」
藍華とクレイドになど目もくれず、彼は空に向かって吠えた。
「アイカ、きみは非難するんだ」
「でも!」
放っておけない、と叫ぼうとすると別の男の声が聞こえてくる。
「殿下も非難するんですよ」
「ダレルか。村民たちに怪我はないか?」
いつの間にかダレルたちグランヴィル騎士団がクレイドらを取り囲んでいた。
「もちろん。きちんと避難誘導しました」
「相変わらず私の部下たちは頼もしいな」
「黒竜の件、俺何やら仲間外れにされていましたよね?」
こんな時でもダレルは笑顔を絶やさず、そして若干どころかだいぶ目が据わっている。さすがというかクレイドは彼のその視線を真正面から受けたまま平然としている。
「詳細は追って話す。奴とはまあ、なんだ。休戦協定を結んだ。今はリウハルド伯爵のほうが危うい」
「まあ、はっきりとこの国の王になるとか叫んじゃってましたしね。あれ、さすがにやばいっしょ」
ダレルがあきれ顔で嘆息する。うっかり話し込んでいるが、再び魔法が放たれた。バラバラと氷の粒が降ってくる。それは地面をみるみるうちに凍りつかせていく。触れた箇所から凍るという仕掛けらしい。
「殿下もアイカ殿も一緒に避難しますよ」
「私はここに残る」
クレイドとダレルが言い合いをはじめたところで、頭上からマールブレンが降りてくる。
顔半分がローブで隠されているため、どこか不気味に感じた。
「だめですよ。せっかくこの場に留まっていてくださるのですから、十分に役に立ってくださらければ」
幼子に言い聞かせるような声音だった。優しく聞こえるがどこか得体の知れないねっとりとした気配を感じ、藍華は本能で一歩後ずさる。
「貴重な人的資源。さて、私の実験の始まりです」
男はローブの内側からいくつかの小瓶を取り出した。
「何を始める気だ?」
クレイドが眉をひそめた。
魔法使いマールブレンは唇で弧を書くように歪めて、小瓶のふたを魔法で開けゆっくりとさかさまに傾けた。
とろりとした黒い液体が流れ出し、そして――。
黒い霧が立ち込め、視界が闇に染まっていく。
「な、何これ……」
おどろおどろしい気配に、藍華は目をこぼれんばかりに見開いた。
結界の内側にいるため直接迫ってはこないが、墨のような黒い霧は寒気しか感じない。本能が告げるのだ。これに吞み込まれてはいけないと。
「魔瘴だ。どういうことだ……。あの男が魔瘴を作り出したというのか?」
「正解ですよ。第二王子殿。これは私の研究成果です。魔瘴を好きな時に、場所に発生させられるという画期的な代物です。これさえあれば戦いを有利に進めることも可能。需要は大いにあるでしょう」
くくく、とマールブレンがローブの下で不気味な笑みを浮かべた。
「外道め」
ダレルが舌打ちする。
「どうとでも。さあ、これからが面白くなる」
マールブレンが再び浮遊する。そうして彼はぱちんと指を鳴らした。
すると「結界が! 結界が消えたぞ!」というリウハルド伯爵の叫び声が聞こえてきた。
声の方向を凝視しても黒い霧が邪魔をして確認することはできない。けれども、伯爵の声が如実に状況を教えてくれる。
結界が払われ、彼は今魔瘴の中に放り込まれたも同然なのだ。
「おい! マールブレン! 結界が、結界が消えたぞ……どういうことだ⁉ うわぁぁぁ、こっちへ寄るな! 魔瘴め! うわぁぁぁ」
「なっ……」
驚きと叫び声。切羽詰まったそれはまさに命の危険が身に迫っているときに生まれる類のものだった。
「リウハルド伯爵を救助するぞ」
クレイドが指示し、まさに動き出そうとした瞬間に、雷が落ちた。結界が弾き飛ばす。
「おっと。邪魔は駄目です。これからいいものをお見せしましょう」
「あの人の属性魔法って水じゃないの?」
「おそらく雷の魔法を仕込んだ魔石を持っているんだろう」
藍華のひとり言にクレイドが返した。
クレイドが負けじと雷を上空に向かって打ち放つ。だが、視界不良のため的が定まらず手ごたえを感じられなかったらしい。彼にしては珍しく舌打ちが聞こえた。
「ぐぅ……うぁああ……あああ……」
そうこうしている間に、リウハルド伯爵の叫び声が聞こえてきた。
血の底から這うような、まがまがしいうめき声へと変化する。
「何が起こっているの?」
「まさか……魔瘴に取り込まれたのか?」
「殿下、まずいぞ。本気の本気でそのまさかかもしれない」
クレイドとダレルの顔がより一層緊迫する。すべての事象が初めての藍華はただ成り行きを見ていることしかできない。
霧が少しだけ薄くなった。だが、別の場所で黒い霧が固まり、大きくせり上がっていくのが見てとれた。
目を逸らせない。怖い。人だったものが異形へと変化していく。その様を、藍華の視界が捉える。
リウハルド伯爵だったものは、今や黒く爛れた魔物へと成り代わっていたのだ。
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