第31話 ずいぶんと遠くまで来ましたね2

(これが男子への免疫がほぼない女子の痛い思考……。ああもう)


 実は藍華には悩みがある。それは今を遡る半月ほど前のこと。一緒に住む屋敷で夜二人で話をしていたら、ジュースで酔っぱらってクレイドに顔を近づけすぎてしまったのだ。


 あれは完全に失敗だった。まさかジュースで酔うとは。ダレルが乱入してきてくれて非常に助かった。きっと自分の髪に埃でもついていて、それを取り払おうとしていたとか、そんなしょうもないオチだったのだ。


 翌日以降、クレイドは何事もなかったかのように藍華に接してきたくらいだ。恋愛に関しては枯れている自覚ならある。それなのに超絶美形男子と同居することになって、これはいわゆるラブコメハイというやつだ。


 なるほど、イケメンと同居するとメンタルがおかしな方向に進むのか。ちょっとしたハプニングに心臓をドキドキさせて、それが恋のそれだと脳が錯覚する。吊り橋効果というやつに違いない。


(もっと冷静になろう、自分)

 藍華はうんうんと頷いた。


「何か不足はないか。できる限りなんとかする」

「え、いいえ。大丈夫ですよ。女子部屋、修学旅行とか研修旅行みたいで楽しいです。とと、楽しいは不謹慎でしたね」

「いや、大丈夫だ」


 クレイドが目を細めた。


(うん。これは妹を気遣うときのあれだ)

 藍華は一人で納得する。


「リウハルド伯爵のことはすまない。ダレルが調べてきたんだ。彼はアイカのチョコレートを分け与える対価として相当な額を請求したらしい」

「うわー」


 リウハルド領に到着した際のチョコレート騒動は完全に茶番だったようだ。聖女の力をさも己の力だと誇示するように、伯爵は領内の有力者たちに声をかけたらしい。腰痛や片頭痛、関節痛などの慢性的な痛み持ちで伯爵に金を払うだけの余裕ある人間だけがあの場に選ばれた。

 聞けばそのような症状は治癒魔法でも治せるらしい。


「だが、人間の老化とともに起こる症状は、結局のところ治せても一時しのぎにしかならない」

「それは、まあ……そうですよねえ」


 回復薬とは若返りの薬ではないからだ。不死の薬でもない。時間が経過すれば再び同じような症状に悩まされることになる。


「だが、アイカのチョコレートならば効果が持続する時間も長いのだろうが」

「話は変わりますけど、どうしてリウハルド伯爵はクレイドさん相手でもあんなにも遠慮がない……いえ、偉そう……いえ……ええと、自己主張が激しいんですか?」


 率直すぎる言葉を濁そうとすればするほど墓穴にハマってしまう藍華である。言葉のニュアンスにクレイドが笑う。

 子供っぽい無防備な笑顔にとくんと胸が疼いた。


「リウハルド伯爵領内には主要街道が通っている。この通行税と交易による収益により、伯爵家は多くの私兵を抱えている」


 クレイドがいくつかの理由を挙げていく。

 国王を頂点とするベレイナ王国だが、諸侯はその下で領邦支配を行っている。王からいくつかの権利を譲渡され、裁判権や徴税権が含まれている。人の流れが多く集まる場所を領内に抱えていれば税収も増え、そうなれば力を蓄えることもできる。


 王都からそれなりに離れた場所で、その気になれば周辺諸侯を巻き込んで街道封鎖をすることもできる。どうやら経済力と野心は比例するらしい。


「最近の伯爵の言動は目に余るものがあるが、それだけで首を飛ばせば今度は他の諸侯らの反感を買う。王とはいえ、簡単に処罰を下せる問題ではないんだ」

「政党の派閥に配慮して閣僚を決めるのと似ていますね」


 国王が支配する国とはいえ、一枚岩ではないということだ。政治とはたとえ世界が変わっても色々とややこしいらしい。


「そんなにもお金を持って私兵までそろえているんだったら、わざわざグランヴィル騎士団に頼らなくてもいいのに」

 つい本音が出てしまう。


「アイカは時々ずばっとものを言うな」

「ええと、すみません。たぶんこれ、わたしが日本育ちだからです。わたしの住んでいた国では、言論の自由というのがあって、自分の考えとか普通に話していたので」


 国王が国を治めるベレイナでは、支配階級に対して意見を言うことが不敬だと認識されている。気を抜くと本音が出てしまうので藍華は慌てた。


「いや、そのくらい別に構わない。グランヴィル騎士団は国中の魔法騎士の中でも特に秀でた者たちの集まりだ。人材を輩出する側の領主にとってみたら、このような時に頼るのは当然なんだ」


 領民はある意味領主の財産だ。優秀な人材を国の中央に取られることは領主にとって痛手でもある。人材を供給してくれた対価として国王は諸侯らの要請に応じて騎士団を派遣する。有事の際、国が護りの人材を提供するから各地から有能な人間を集めることができるのだ。


(もしかして、わたしがツェーリエに落ちたことって、とってもラッキーだったんじゃ……?)


 もしもリウハルド伯爵に最初に保護されていたらものすごくこき使われていたように思える。ただし、運よくカカオ豆と出会えていたかは不明なので、たらればの話だ。


 二人は話しながらのんびりと歩いた。明日からクレイドたちは山の中に入る。

 村の外は麦畑が広がっていて、その先に山々がそびえ立つ。夕日が沈む手前の淡いの時間。夜の闇の浸食がすでに始まっている。

 この山のどこかに黒竜がいるのだと思うと、胸の鼓動が速まる。


「明日から気を付けてくださいね」

「ああ。今度こそ黒竜を倒す」


 クレイドが決意に満ちた顔付きで頷いた。彼は本気なのだ。藍華は真剣な眼差しで山々を見つめる彼の横顔をじっと眺めた。

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