第16話 王妃様ご登場1
「まさか、わたくしの顔から正体がバレるとは思っていなかったわ」
王妃が軽やかに笑っている。とても楽しそうな気配が伝わってくるのだが、あいにくと藍華は笑えない。何しろ、今一緒にいらっしゃるこのお方は、ベレイナ王国の王妃様なのだ。
日本でいうなれば、総理大臣夫人といったところか。超のつくセレブだ。藍華にとっては雲の上のお人である。
どうしてそのような方と一緒にお庭を散策することになったのか。藍華は遠い目をした。
なぜって、客人の招待に思い至った藍華が卒倒しそうになったところで、ベレイナ王妃が「今からわたくしと一緒にお散歩でもして、女同士のお話でもしましょう」と提案してきたからだ。
王妃という立場にもかかわらず、目の前のお人は親しみやすい雰囲気を醸し出している。うっかりすると、彼女が国のトップの妻だということを忘れてしまいそうになる。
「何か、不足はないかしら。不自由はしていない? 欲しいものがあればなんでも言ってちょうだいね」
「そんな、不足なものなんてありません。皆さんにはとってもよくしてもらっています」
藍華は恐縮しっぱなしだ。どうしてみんな、藍華に親切にしてくれるのだろう。女神の客人だからなのだろうが、今一つそのすごさについて分からない藍華である。
「無欲なのね。それとも、クレイドの甲斐性がないだけかしら」
「クレイドさんはとてもお優しいです。先ほども、カカオ豆を仕入れてくれると約束してくださいました」
「それは……ええと、あなたの今のお仕事に関りがあることなのではなくって? やっぱり、騎士団での生活が長すぎて朴念仁になってしまったのね。ああ、困ったことだわ」
「いえいえ! わたし、チョコレートがないと生きていけないので、むしろわたしの方から産地別のカカオ豆が欲しいですとお願いさせていただきました! カカオ豆は育った場所によって味や風味が違うんです。もとの世界でもわたしは産地別チョコレートの食べ比べをしていまして。それをこちらの世界でもしてみたいな、と……すみません」
「あら、どうして謝るの?」
「わたし……チョコレートを語り出すと止まらなくなってしまって。よく友達にも、そろそろ止めようか、と突っ込まれることばかりで」
「好きなものを話すと止まらなくなってしまうのは仕方がないわ。王宮魔法師団の魔法使いたちも似たようなものよ」
王妃はころころと笑った。
(よかった……機嫌を損ねちゃったかと思った)
好きなことになると饒舌になりすぎるのは藍華の悪い癖だった。クレイド相手にも相当に語りつくしている。彼はいつも穏やかな顔のまま聞いてくれるから、つい話が長くなってしまう。これから気を付けないと、と改めて心に刻んだ。
「では、カカオ豆以外に、わたくしからも贈りものをさせてちょうだいな」
「えええっ⁉」
「実は仕立て屋を待たせてあるの。今から採寸をしましょう」
「えええっ⁉」
驚く間もなく、藍華は屋敷の中へと連行されてしまった。
部屋の中にはすでに仕立て屋がスタンバイしていて、藍華はあっという間にシュミューズ姿に剥かれてしまい、身体中のあちこちに巻尺を当てられる。
同じ部屋には王妃もいて、仕立て屋の主人と何やら話し込んでいる。
「せっかくだから、何着かドレスを仕立てましょうか。これから必要になるはずよ」
「必要……ですか……?」
「ええ。人前に出る機会もあるでしょう。あなたは女神の客人であり、特別な能力を発現させた聖女だもの」
「聖女!」
とんでもない単語に藍華は目を剥いた。
「で、でも。わたしはただの騎士団所属の事務員だし、確かにチョコレートはこれからも作りますけど、人前に出る必要はないような……」
やんわりとドレスを断ると、王妃の笑みが深まった気がして、背中がぞくりとした。
「わたくしね、あなたにお礼がしたいの」
「お礼……ですか?」
話があらぬ方向へ向かい、藍華は王妃の言葉を復唱した。
「ええ、そう。あなたはクレイドに対して、とてもよくしてくれたの。彼が言いたくないと主張するから、詳細は省くわ。けれど、あの子の親として、わたくしたちはあなたにとても感謝しているのよ。感謝の意を示したいと思っているの。だから、贈りものを授けたい。これはね、わたくしたちの我がままなのよ」
藍華は王妃の言葉にじっと聞き入った。彼女の表情はどこにでもいる母親の顔だと思ったのだ。
「わたくしたちの自己満足のために、受け取ってちょうだいな」
「……はあ」
つい生返事が口から漏れてしまい、慌てて両手で口元を押さえた。
「あなたに息子を想う母親を慮る気持ちがあるのというのなら、ここは素直にわたくしからの贈りものを受け取るべきだと思うの」
にこりと品のよい笑顔をつくった王妃のそれは、お願いというより強制ではないだろうか。もちろん、そんな突っ込みを口にすることはない。
すると、仕立て屋の主の女性がずずい、と藍華の前に押し出た。後ろに控えるのは店員たち。彼女たちはドレスを抱えている。
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