第12話 突然の報せ
「
詠唱が終わると同時に藍華の手のひらから透明な水の塊がぽよんと現れた。それらはふよふよと宙に留まり、そしてバシャンと地面に落ちる。宙に浮くこと約十数秒の儚い命であった。
「あぁぁぁ」
藍華は悲嘆の声を出した。
「アイカ殿。先ほど、水球の大きさに喜び、集中力が途切れましたね?」
「うっ……」
「そのせいでコントロールが疎かになり、水の球は落ちてしまった」
「うう……」
まさに図星のため反論の余地なしである。藍華は指導係の言葉にがっくりと項垂れた。
「もう一回お願いします」
ぽかぽか陽気が心地の好い春の日差しの中の一幕である。
藍華はその後繰り返し水の魔法の練習に勤しんだ。
それから約一時間ほど経過して、藍華の本日の練習は終了した。指導係の魔法使いに挨拶をして、帰り支度を整える。今日の過程は全て終了だ。
魔法の練習は体育の授業に似ているというのが藍華の感想だ。まずはお手本を見せてもらってひたすら反復練習あるのみ。成功した感覚を体に覚えさせるのである。
魔法師団の建物と王立軍下の騎士団本部は近い距離にあるため、藍華は寄り道することにした。直帰しても問題ないのだが、気になることがあるのだ。
てくてく歩いて騎士団本部の門をくぐる。
最初は広くて迷子になりかけた広い敷地も、今では勝手知ったる我が職場である。迷いのない足取りでグランヴィル騎士団本部のある区画へ向かっている途中でリタと出会った。
「アイカ、今日は魔法訓練の日だから直帰じゃなかった?」
「うん。そのつもりだったんだけど、みんなのことが気になっちゃって」
チョコレート作りを始めてからリタとは友人のように気安く話すようになっていた。仕事以外でも関りになることが増えたのと、チョコレートのことを好きになってくれた彼女に対する親近感もあってのことだ。
「アイカにとって、騎士団の遠征って初めての経験だもんね。まあ、遠征って言ってもツェーリエ近郊の町だから、そこまで遠くもないけれど」
「でも……
「グランヴィル騎士団は魔法剣士の精鋭だからね。ちょっとやそっとのことじゃやられないよ。さすがに黒竜相手のときは手こずったし、色々あったけど」
「
二人は歩きながら会話を続ける。
この世界のことは色々と学んできたけれど、まだまだ知らないことも多い。この世界は魔法の力、魔素がそこら中に溢れている。
そのため、魔素の吹き溜まりのようなものが発生する。そのような強い魔力に動植物が当てられてしまうと、凶暴化することがある。それが魔物の由来だと習った。黒竜も魔物の一種だろうか、とリタを見やる。
「そ。竜の中でもとっても凶暴で強いやつ。知性もあって一応話も通じるんだけど、その分厄介なんだよね」
「ふうん……?」
この世界にはまだまだ未知なる生物がいるらしい。
「まあ、今回の任務はそこまで大変なものじゃないと思うよ。団長もダレルさんもいるし」
「やっぱりクレイドさんって強いんだ?」
「そりゃあね。じゃないと団長は務まらないって」
などと話しているうちにグランヴィル騎士団後方支援室までたどり着いた。
扉を開けると、少々騒がしいことになっていた。全員が浮足立ち、慌ただしい気配が伝わってくる。直感的に何かあったのだと感じ、お互いに顔を見合わせる。
「ケインさん、何かありました?」
「ああ、リタか。それにアイカも。今連絡が入ったんだが、遠征中の団員に負傷者が出たとのことだ」
「ええっ!」
藍華は思わず叫んでいた。
「怪我人たちは近くの救護院に運ばれた。詳細不明だからこれから向かう」
藍華はバタバタと動き回る先輩たちを呆然と見つめていた。
怪我。その言葉が頭の中でぐるぐると回っている。だって、さっき聞いた話ではグランヴィル騎士団はみんな精鋭ではないのか。だったらどうして。そんなにも強い魔物が出たということなのか。
「アイカ、わたしたちにできることはないから、今日は帰ろう。明日になれば詳細が分かっているって」
「う、ん……」
リタに促され、その日は帰宅の途についた。
屋敷にもその連絡は言っていて、執事によると幸いにもクレイドに怪我はないとのこと。それを聞いた藍華はへにゃりとその場にしゃがみ込んでしまった。
それから二日後、ようやく現場が落ち着きを取り戻したとの連絡が入り、無傷だった団員たちが帰還した。怪我は重くて骨折程度とのこと。藍華にしてみれば十分に重症なのだが、自分の常識とみんなの常識は違うのだということも痛感させられた。
ケインの好意で藍華はクレイドたちのもとへ赴くことが許された。彼は団長として事後処理に奔走しているらしい。団員たちへの見舞いも兼ねて藍華は屋敷からチョコレートを持っていくことにした。これでホットチョコレートを作ろうと思い立ったのだ。骨折なら食事制限もないはず。こういうときは甘い飲み物を飲むと心が落ち着くこともある。
リタも同行できることになり、お屋敷の執事も一緒に馬車を仕立てて現場に向かうこととなった。
馬車に揺られること数時間、到着したのは魔物とは程遠いのどかな町だった。
煉瓦造りの建物が連なり、尖塔が飛び出しているのが見える。町の周りは畑と森が広がるその光景は、平穏そのものだった。
救護院は古い教会を改築したもので、訪れるとすでに撤退の準備を始めているところだった。
「クレイドさん!」
現場で指示を出すクレイドの姿を見つけた藍華は、彼に駆け寄った。普段変わらない様子に心底ほっとした。
「アイカか。わざわざ来てくれたのか」
「あの……。心配で。その……みなさんも無事だと聞いていたんですけど、やっぱり気になって」
「わざわざありがとう。幸いにも誰一人欠けることなく討伐することができた」
そう言うクレイドもかすり傷一つついていない。藍華は改めて彼の姿を目視して安堵した。二人の視線が交錯して、じっと見つめ合う。どういうわけか彼の方も藍華から視線を逸らさないのだ。
柔らかな眼差しを受けると、胸の奥の泉から何かがこぽこぽと湧き上がるような感覚がしてきて、藍華は落ち着かなくなる。何か、会話をしなければ。何か伝えること……と考え、そういえばと思い出す。
「あの。皆さんに差し入れを持って来たんです。準備をさせていただいてもいいですか?」
「あ、ああ」
「ありがとうございます」
藍華はぺこりと頭を下げて駆け出した。その間中心臓がドキドキしっぱなしだった。
藍華の差し入れ内容をあらかじめ知っていたリタと屋敷の執事が牛乳を調達してくれていたおかげで、ホットチョコレート作りは順調に進んだ。
これを飲んだ人たちの心が安らぐといいな。甘いものは気持ちを和らげるから。喜んでくれるといいな。そう願いを込めながら、チョコレートを牛乳で煮溶かし、最後にはちみつを加えた。
カップにいれたそれらを藍華はリタと手分けして患者に配った。腕や足に包帯を巻いた騎士団員数人はしかし想像したよりも元気そうで安心した。彼らは未知なる飲み物をしげしげと眺めていたが、誰かが一口飲んで「うまい」と言えば、全員口を付けてくれた。
「クレイドさんもどうぞ」
藍華は彼にもカップを渡した。
「ありがたくいただく」
何口か飲んだクレイドがカップから口を離したあと「アイカが作ってくれたからだろうか。とてもおいしい」と目じりを細めた。
(うわ。うわ……役得だぁ)
美青年の微笑みが胸の奥を直撃した。しかもナチュラルに褒めるところが王子様だ。こんなことを言われると、次もまたホットチョコレートを作ってしまいたくなる。
「あの、クレイドさんがお屋敷に帰られたら、またホットチョコレートを作りますね。今度は一緒に飲みたいです」
「ああ。約束だ。明日には帰るよ」
「本当ですか?」
「待っていてくれるのか?」
「はいっ! 今度ゲームを教えてくれるって約束、果たしてくださいね」
「もちろん」
クレイドの笑みが深まった気がして、藍華は目のやり場に困ってしまう。前言撤回。美青年の笑顔は心臓に悪い。
ドキマギしながら「じゃあ、最後に皆さんに挨拶してお暇します」と言い、藍華はクレイドから離れた。
藍華たちが去ってしばらくしたのち。不思議なことが起こるのだが、彼女たちは知る由もなかった。
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