第6話 新生活が始まりました

 グランヴィル騎士団での後方支援の仕事に就いて二週間が経過した。


 ここまで順調かといえば、色々と大変だった。曲がりなりにも社会人。日本でも事務仕事をしていたわけだし、すぐに慣れるだろうと踏んでいたのだが、現代っ子はパソコンが全てだった。


 そして、この世界にはパソコンもプリンターもないのである。今やオフィスに必須のデジタル機器が全くない中でのお仕事は勝手が違い、現在も戸惑いながら仕事をする日々だ。


 最近ファイリングとナンバリングとインデックスの大切さをひしひしと痛感している。必要資料をパソコンの中に取り込んでクリック一つで取り出していたあの頃が懐かしい。


「アイカ、そろそろお昼に行こうか」

「はい。リタさん」


 その言葉にお腹の方が先に反応する。今日はずっと予算関係の書類の書き写しをしていたから、ずっと気が張っていたのだ。指導係のリタはなんと、同じ年だった。それを言うと、彼女は目を真ん丸にして「嘘でしょ! 五歳は年下かと思っていたのに」と叫んだ。どうやらこちらの世界では日本人は若く見えるらしい。


「もう。リタでいいのに」

「ん、でも先輩なので」

「女神の客人に丁寧な言葉遣いされるのもむずむずするわ。希少性でいったら、あなたのほうがずっと上なのに」


 藍華は苦笑いを顔に浮かべた。

 二人が向かったのは騎士団施設内にある食堂である。ベレイナの王立軍は五つの騎士団から成る。この建物はその五つの騎士団の本部で、王都の一角に大きな軍事施設がある。藍華はまだ訪れたことはないが、兵舎や厩舎や貯蔵庫などもありそこそこの規模なのだそうだ。


 グランヴィル騎士団は五つの騎士団の中でも魔法騎士の精鋭部隊で、現在の隊員は二十名ほど。近衛騎士隊と並んで人々の憧れの的なのだそうだ。全部リタとケインの受け売りである。


 ちなみに近衛騎士団は王立軍とは別の独立した部隊だとも聞いた。主に王族の警護を担っており、ダレルは近衛騎士とグランヴィル騎士を兼任しているのだと教えられた。


 到着した食堂は賑わっていた。

 今日のメニューは豚肉の塊肉をじっくりと焼いたものだ。ソースにはエールを使っているらしい。付け合わせはにんじんとジャガイモを茹でたもの。スープには小麦粉を練って細かくちぎって茹でた、パスタのようなものと野菜が入っている。こちらは香草が使われていて、口に含むと鼻からふわりと清涼な香りが抜けていく。


「今日は午後から魔法師団で魔法の訓練だっけ」

 食事をとりつつ、リタが話しかけてくる。


「はい。訓練の方もどうにか、自分の中の魔力とやらを実感してきたところです」

「アイカの世界には魔法はないんだっけ」


「はい。その代り科学技術が発展していましたけど。こちらの世界では魔法石を使った技術が発展していますよね」


 魔法石とはその名の通り、魔法の力を持つ不思議な石のことだ。この世界は魔法の力で溢れていて、魔法の結晶が生み出される。魔力の塊のようなものだから、エネルギーとして使われているのだ。


「そうね。ただ、それなりにお高いから庶民はなかなか手が出しずらいけれど」


 リタがそう言って肩をすくめた。この世界の人々は生まれながらに魔力を持ち合わせているが、その量は個人差が大きく、ほとんどの人は派手な魔法は扱えないと教えられた。


 リタもその典型で、彼女曰く魔力が高かったら職業魔法使いになっていたとのこと。魔法学校で魔法を習うくらいの魔力持つ人間はそこまで多くはない。だからこそ魔法騎士は花形なのだ。


 今お世話になっているクレイドのお屋敷では、灯りにも魔法石が使われている。最初に目にしたことでそれが当たり前だと思ってしまったが、リタたちと親しくなったことで藍華の中のこの世界の常識が一般人のそれに近くなっていっている。


 二人はその後も他愛もない話をしながら昼食を食べ進めた。ちょうど最後の一口を食べたタイミングでクレイドが藍華たちの座る場所へやってきた。


「団長!」

 リタが立ち上がろうとするのをクレイドが無言で制する。


「アイカ、今日は午後から魔法師団で訓練だろう? 迎えに来た」

「ありがとうございます」

「それから、これは二人に差し入れ。他の団員には内緒」


 クレイドが秘密めいた笑みを作って、薄布の包みを机の上に置いた。中から現れたのはパウンドケーキである。


「ありがとうございます」


 二人は同時にお礼を言う。食後の甘いお菓子に藍華は頬を緩めた。この世界にも甘いものが存在していて嬉しい。ただ、生クリームやチョコレートはないらしい。どちらかというと素朴なお菓子が多い。


 それでもほんのりと甘いケーキは心を癒してくれる。体から疲れが抜けていくようでほうっと息を吐いた。


 昼休憩が終わり、藍華はリタと別れて魔法訓練に向かった。


「アイカの属性は光と水だと聞いている」

「あ、はい。前回、ようやく水滴ほどの水を出すことに成功しました」


 魔法には属性があり、人々は一つもしくは二つの属性魔法を操ることができる。藍華は測定の結果、光と水の属性持ちだと判明した。


「クレイド様は火と雷ですよね」


「ああ。攻撃魔法としても応用が利く属性だから騎士団に入ることにしたんだ。属性魔法は火・水・土・風・雷・光・闇。そして共通魔法は魔力のある人間なら誰にでも使える。このあたりのことは習った?」


 馬車に揺られながら即席魔法講義が始まった。


「はい。共通魔法は、伝達魔法や収納魔法、召喚魔法などです。ただ、技術を要するため、習得は難しいと習いました」


「そうだね。私は属性魔法を磨くことに注力してきたこともあって、共通魔法は必要最低限しか使えない。これらは主に魔法師団に所属する魔法使いたちの領域だ」


「わたしも今のところ水魔法の習得で精いっぱいなので、光魔法までは手が回りません」


「そんなに慌てなくてもいい。ゆっくりで大丈夫だ」

「ありがとうございます」


 馬車が停車し、二人は魔法師団の玄関先で別れた。

 その日も藍華は訓練に勤しみ、出せる水の球がほんの少しだけ大きくなった。先行きはまだまだ遠いな、と乾いた笑みを浮かべた。

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